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廻る縁の妖剣士  作者: 井田 いづ
壱話 無名の剣士と無銘の妖刀
3/50

(参)芥間イヅミという男

 芥間家には優秀な嫡男がいる。

 そんな彼が突然やってきて、掃除中のユキから木桶を奪いとっても、ユキは顔色を変えることはない。たとえその中身──埃の浮いた冷たい水を頭から被ることになっても、日常茶飯事だと耐えるしかないのだ。時折吹く風が容赦なく身体に刺さる。

 ユキは床を擦っていた手を止めて、目線を下げたまま、静かに嵐が去るのを待っていた。


「おい」


空の木桶が乱暴に床に落とされてひっくり返る。水を引っ掛けるだけでは気が済まないらしい少年は、木桶を蹴った。

 嫡男、芥間イナタ。

 彼の為だけに(あつら)えた上等な服を身に(まと)い、よく手入れされた肌や髪は色艶も良い。父譲りの才覚と(たゆ)まぬ鍛錬から次期当主としても周囲に期待された少年。

 そんな彼が、屋敷の隅で過ごすユキに難癖をつけにくるのは何も今日に限ったことではない。ユキが初めてこの屋敷に来た時から、この二つ年下の少年はユキをひどく嫌っていたのである。


 イナタは何かと理由をつけてユキに文句を言ってきた。早くから芥間に釘を刺されたこともあり、やはり殴る蹴るだのはしないのだが、それでも水を掛けるだの持ち物を壊されるだの、悪態をつかれたり無駄な作業を繰り返して命じられるのは日常茶飯事だった。

 無論ユキは彼の世話係でもなく、言葉を交わすような間柄であるわけがない。使用人頭の立花がそれとなくユキの仕事場をイナタの部屋から遠ざけてはみたのだが、あまり意味は為さなかった。


 それでも普段なら黙って抵抗ひとつ見せなければ飽きて帰っていくはずだ。そう、普段ならば──この日はどうしてか、そうもいかない。イナタはユキの前に仁王立ちして見下ろしていた。


「おい、クソ野郎が、おまえは主人に返事もできねえのか」

「申し訳ありません、イナタ様。俺に御用ですか」

「御用ですかじゃねえよ。聞いたぞ、おまえまた父上に稽古をつけてもらってたんだってな! 父上も父上だ、なんだってこんな奴なんかに……」

「……はい」

「くそ、なんでだよ! 断ればいいだろ! 父上がそうするのはおまえだけなんだぞ──僕には、必死で頼まなきゃしてくれないのにだ! 周りからあれこれ有る事無い事言われて、おまえにわかるかよ!」


 イナタが苦しげに吐き出した言葉。蹴飛ばされる桶。

 ユキにも訳がわからないのだから答えられるわけもなく、黙る。この屋敷の誰もわからないのだ。わかるはずがない。


 旦那様──芥間イヅミは、何故息子(イナタ)ではなく、咎人の子(ユキ)のことばかりを大事にするのかと。




+++




 ユキにとって、芥間イヅミの印象は()()()()()()()、この一言に尽きた。


 無論、恩人である。彼の為に働くことに微塵(みじん)の疑いもない。必死で恩を返すべきだとも思っている。しかし彼本人のこととなると、非常に掴みづらい人だとしか言いようがないのである。


 芥間が生天目カゲユキの友人であったことだけは確かだ。ユキ自身、父からもその名前と剣の腕前は聞いたことがあったし、わざわざ利益もないのにユキを家に住まわせるくらいだ。嘘ではないのだろう。

 彼はユキの父が咎人として生を終えてもなお、今ですら、その友情を大切にしていた。

 

 ユキに対しても友人の子として向き合ってくれたのだが、その割にはユキの境遇には無頓着(むとんちゃく)なところがあった。

 使用人に過ぎないユキにもよく語りかけ、食事に誘って、時には実子よりも熱心に剣を教え込むなど丁重に扱う。それなのに、屋敷内でユキがどう扱われているかは耳に届くはずだというのに、彼は何もしないのだ。怪我について配慮はしても、待遇を変えたりはしない。

 もっとも、あまりに目に余る時は立花を通して対処してくれることもあるのだろうが、そういうレベルだ。


 しかしユキにとってそれはさして問題ではない。そこまでの庇護は求めてもいない。

 問題なのは、彼が実子に対してはひどく無関心だということだった。


 イナタが特別不出来だと言うことはないし、嫡男として相応しくないと言うこともない。父に似て剣も妖術も達者で、一所懸命に勉学にも励んでいる。後継として周囲の期待も背負っているというのに、イヅミだけはイナタにまるで関心を示さないのである。(けな)しも褒めもしない。話しかけられれば答えるし、特段無視もしないが、ただそれだけだ。

 頼まれなければ稽古はつけず、言われなければ彼から食事に誘うことはほとんどなく、彼のための土産はほとんど家臣の誰かが選んで買ったものだった。


 ユキに向ける関心のうちほんの僅かにでも我が子に向けていたならば少しは違っていたのかもしれないが──現実、彼はそうしなかった。

 芥間イヅミは剣士として名高く、領主としても優秀で、しかしながら父親としてはまるで出来ていない人だったのだ。亡き友の忘れ形見には目をかけるのに、たった一人の息子には目を向けない。


「ユキノスケはいるかな」


 忙しく外出も多い主人と、ただの使用人とで顔を合わせる機会はそう多くはないのだが、芥間は時間を見つけてはユキに声をかけてきた。


「はい、旦那様。こちらに」

「顔をお上げ──いけない、また()せたね。夕食を二人分私の部屋に運ばせようか。菓子も用意させるから、着替えておいで」

「ありがとうございます」

「剣の稽古はその後にしようか」

「はい。でも、本日はお疲れでは……」

「おまえを通してカゲヨシの剣を相手できるんだ、そんな機会に疲れたなど言うものか。──ああそうだ、街で面白い絡繰(からくり)を見たんだ。今度ユキノスケにも欲しいものをひとつ買ってこよう。食事の際にどんなものが好きか教えておくれたら嬉しい」


柔和に微笑んで、慈しむ。

 本当に、ユキに向けたうちの何度かでも、イナタに向けていたらよかったのに。

 当然、息子は何処から湧いたかも分からないユキの存在をひどく憎んだ。誰かが言った「どちらがご子息かわかったもんじゃない」なんて囁きや「時期が経ったら咎人の子を養子にしようと各所に働きかけているらしい」なんて噂が彼の怒りを更に燃え上がらせた。


 

「何故父上は僕を見てくれないんだッ!」



 ユキはその悲痛な叫びを聞いて無視できる人間ではない。

 イナタが向けられるべき視線は一度たりともイナタに向かず、享受できたはずの愛情はすべて使用人の──それも咎人の子に流れ行く。誰にも向かない愛ならば、存在しないものとして受け入れられたかもしれないのに。下手にそれを向けられた人がいるものだからイナタが納得できるはずがない。


 ユキもその悲痛さに耐えかねて何度も主人に問いかけた。イナタはアレが好きそうだ、イナタとの稽古はどうだろうか、イナタも食事に誘えばどうかと問うたところで、


「それはあまり興味のない話だ。それ以上は続けないでくれるかな」


そう告げられて終わりだった。

 口調は穏やかそのもの、しかし有無を言わさぬ口調にユキは黙らざるを得ない。他の誰が言っても同じだった。


 芥間イヅミの気まぐれに誰も彼も振り回されている。



本日12:00に次話更新予定です(*´꒳`*)

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