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廻る縁の妖剣士  作者: 井田 いづ
壱話 無名の剣士と無銘の妖刀
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(弐)ユキの夢

 父の罪について、ユキは人から嫌になるほど聞かされてきた。


 咎人生天目(なばため)カゲヨシはかつての主人の屋敷に押し入り、盗みを働いた挙句に彼を止めようとした人を誰彼構わずに斬り捨てたとりいう。

 カゲヨシはその場から逃げたものの、道中で背後から斬りつけられて死亡した──正面から悪意と立ち向かうことを理想とした一人の剣士としては、屈辱的な最期だったのだと人はせせら笑った。


 ユキはその話を何度も何度も何度も何度も何度も何度も、本当に嫌になるくらいに色々な人から聞かされてきた。ばかみたいに示し合わせたような一つ覚えの話はすっかり覚えてしまって、想像してしまったその場面を悪夢に見るくらいだ。


 父は欲に目が(くら)んだ落ちぶれた剣士であり、救いようのない卑劣漢ひれつかんであり、その息子であるユキもきっと同じ性質なのだろうと人は罵った。蛙の子は蛙、ならば悪逆卑劣(あくぎゃくひれつ)な男の血を引くユキは、当然苦しむ状況に身を置くべき人間であるのだと、終わりない不幸の中で親の罪を背負うべきだと、周りは望んでいた。


 しかし、親の因果を背負うべしとされたユキではあったが、周囲の期待に反して幸運に恵まれていた。


 芥間イヅミがユキを目にかけ、その身を引き取ったのだ。

 聞けば、亡父(カゲヨシ)の旧友だという。日毎の(かて)と雨を(しの)ぐ屋根は与えられたことはユキにとってなによりも幸運だった。

 少なくても命の危機に瀕することはない。

 芥間は、暇があればユキに剣の稽古をつけ、出張から帰えるたびに珍しい菓子を与え、父の話を語らい合うこともあった。屋敷を留守にしがちではあったが帰ればユキを食事の席に呼んだりもする。奥方と嫡男はそれを嫌がるが、芥間は気に留めようともしないで、客人がいなければ、むしろユキと二人きりでの食事を好んでさえいた。


 咎人の子だと使用人たちが蔑みながらも、そのほとんどが陰口ばかりで、目立って殴るだの蹴るだのをしないのは、芥間にユキが気に入られているからだ。



 その幸運が気に入らない人は多くいる。


「おい」


声をかけられて、ユキは顔を上げた。

 最近入ったばかりの男が目の前に来ていた。初日こそユキに挨拶をしてくれたものだが、ユキの出自を聞くなり態度を変えて、それから会話らしい会話をして来なかった男だ。

 何の用事だろうとは思ったが、流石に無視をするわけにもいかない。ユキは顔を上げて平坦に応えた。


「……俺でしょうか」

「おまえ以外に誰がいンだよ」


 周り人は遠巻きに眺めているだけである。どこか興味深そうに──一体今日は何が起こるかと(ゆる)んだ口元を隠そうともしない人もちらほらと。


「聞いたぜ、おまえの親父は大層な悪人だったそうじゃないか。盗みに殺しに主君を(だま)して裏切って、だっけか」

「……」

「なんでンな奴の(せがれ)芥間屋敷(こんなところ)で呑気に働いてンだよ。なァ、誰から言われてここに来たんだ?」

「……それは、旦那様にお声がけをいただいて」

「あーあー、聞いた聞いた、それも聞いた。おめぇ芥間様のお気に入りだってなァ。どんな方にも欠点のひとつやふたつあるとは言うがよォ──へへ、おめぇ一体どんな手練手管で旦那様を籠絡(ろうらく)したんだ? 教えてくれよ、つまりそういうことだろ?」


 あまりに下品だ。ユキは無表情の仮面の下で思わず軽蔑(けいべつ)していた。よくもまあ、己の主人をそう言えるものだ。

 下卑(げび)た笑いを口元に(にじ)ませて、男はユキを見下ろしている。ユキは無表情をそれに返す。なんか言えや、と凄まれてもユキは口を閉ざしていた。


 どうせ、この男が欲しいのは口実だけだ。「生意気な態度をとった」「咎人の子に脅された」そういう建前が欲しいだけ。それさえあれば、ユキを()()する言い訳ができる。使用人頭の立花は面倒を嫌う性質(タチ)なので、ユキの教育に何かしらの理由があるのなら深入りはしない。 


 言葉だけで違うのだと訴えても無駄だということは、ユキは嫌というほど知っている。がむしゃらに叫んだところで、届かなければ意味がないことも知っていた。


(それに俺が何も知らないのも本当だし)


 ユキは父を殺した人を知らない。

 父が盗んだとされるものも知らない。

 そもそも父が本当にそんなことをしたのかすら、或いは誰かに()められたのかも分からないのだ。

 誰とも知らぬ者に、命も名誉も斬られて死んだ父────ユキはずっと真実を探している。顔も知らない仇を討つため、ユキは何もかもを呑み込んでいた。


(期をみて、旦那様には暇を出していただかないといけないな。仇を探す旅に出て、俺は……)

 

 すっかり黙り込んだユキに、つっかかってきた男はつまらなさそうに小声で捨て台詞を吐いた。飽きたのか、自分のところに戻っていく。乱暴な動き方だったもんだから、ユキの湯呑みが倒れてぬるい液体が床に染みを作った。


 遠くからずっと様子を見ていたらしい女が嫌味を言いにやってくる。

 こんな時でも怒られるのはユキなのだ。



+++



 お小言が終わり、罰として課せられた広間の拭き上げを終えた頃にはすっかり夜も更けていた。

 ユキの寝床は、屋敷の隅にある狭苦しい物置部屋の中に埋もれていた。箱が積み上げられた細い隙間の奥、板の上に麻布を敷いただけのそこは一見ただのゴミ山で、誰が見ても人がいるかどうかはわからない。一度人が探しに来た時も声を張り上げてユキを呼びつけなくてはならなかった。

 夜番の見回りたちも、わざわざ部屋の中を探ったりはしない。


 これがユキには好都合だった。


 ユキは毎晩、こっそりと寝床を抜け出している。

 (ほうき)の柄だったり、運が良ければ(盗まれていなければ)芥間が与えてくれた木刀だったりを手に取って、見回りの目を掻い潜って物陰で気が済むまで振り回すのが日課だった。

 父から教えられた基本の型。恩人から教えられた芥間流の型。足運び、視線の流れ、父の動きや芥間の動き、呼吸を真似て、記憶をなぞりながらそれを自分に叩き込む。

 目には見えぬ仮想の敵を想像して、斬る、打つ、刎ねる。


 父を失い、名を失い、家を失っても、それでも父から教えられた剣だけはユキの中に残っていた。


 父のような純粋な剣士は昨今の時代には遅れているものとして廃れているが、ユキはあくまでもそれを目指していた。

 この国では新たに発見された妖術なるものが主流となってきている。人ならざるモノ由来の力を扱って、人智を超えたあらゆる現象を引き起こす──その妖術の台頭で、戦い方は変わり、世間は確かに便利になった。

 今日(こんにち)では一言に「剣士」と言っても剣と妖術とを併せ使う人が多いのである。故に妖術のひとつも使えも知りもせず、剣一本で仇を討つのは至難の業だというのはユキも理解はしていた。

 それでも、彼には妖術を習う機会も暇も与えられなかったのだから、剣を鍛えるほかない。


(いつか仇の首を、父さんの遺してくれたこの剣で落としてやる)


 だけど、まだまだ遠い。

 これではまだまだ届かない。

 父の背中も仇の首も遥かにあって、ユキはひたすら剣を振るう。(はや)く、鋭く、父のような剣士になって仇の首を落とす、ただそれだけの為に毎日歯を食いしばって生きている。


 剣の中には父の教えが生きている。

 剣の先に父が追っていた夢がある。

 剣を握るこの瞬間だけ、ユキは呼吸を許されたような気がしていた。


 ひとしきり剣を振り回して、ふと空を見上げる。二つの月が見下ろす。そのズレから、今の時刻を押し測る。


(そろそろ戻らないと……明日も早いから)


肩で息を吐きながら、来た時と同じように気配を殺して部屋に戻った。


 ──必ず仇を探し出す。

 その日のために全てを噛み殺して、ユキは生きている。


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