08:勇者、軒昂
魔王から書状が届いたのは、魔将討滅凱旋式から半月後、折からの涼風が暑熱を払う曇り空の午後だった。
堂々たる体躯の一人の美丈夫が、魔王の使者を名乗り、正面から王城を訪れたのである。
執政室に迎え、密かに引見したボー・ブルの前で、魔族は賛嘆を禁じ得ない程に優雅な礼と美麗な口上を用いた。
おそらく生前名のある人物だったのだろうと思うが、使者という職分のみを告げるだけで、その名が口にされることは最後までなかった。
その後、ゾーイに接待を命じ勇者と大賢者カス・ボスのみを招いてその書状の検分入ったのだが、共に沈黙のままに達筆のそれ読み進めたボーとカスは、同時に溜息をついた。
「こうきましたか……」
「なんとも……」
それは勇者へと送られた決闘状だった。だが、その内容よりも何よりも二人を驚かせたのは、最後に綴られた、その名。
大将軍エト・ブル――ホーフランツ王国初代王とされるリニ・ブルの実弟にして、現王統にとっては直系の先祖にあたる人物だ。
およそ百八十年前、ブル家の勢力拡大期において無類の武勇を誇った、ホーフランツ王国において単に「英雄」といえば、今なお彼を指すほどに、熱狂的な名声を博した男である。
その最期は、彼の甥、リニの嫡子カイ・ブルによる暗殺でもたらされた。
「真でしょうか?」
カスの掠れた声に、信じたくないという気持ちがありありと表れていたが、ボーはその点に疑義を抱いていなかった。
断言はできない。証拠はないのだ。とはいえ、この名に動揺するのはホーフランツ王国の人間だけであって、勇者にとっては与り知らぬことである以上、魔王の側に偽りを用いる理由もない。
それに、今日に至るまでの間に打倒してきた魔族の共通性質を分析すれば、「非業の死を遂げた英傑」が挙げられる。エト・ブルはそれにピタリと合致している人物だった。
「当然あり得べき、とそう言うことはできましょう」
「何とも……」
おいたわしい、と続いたカスの言葉は、誰に向けられた言葉だったのか。耳の中にそれを残しながら、ボーは別のことを考えていた。
――魔王の仇はカイ・ブルということになりますが……。
エトを暗殺したこの男は、公式には「二代王」とされているが、事実としては彼こそが初代ホーフランツ国王に即位した人物であるとボーは知っていた。
初代とされるリニ・ブルは、彼以前は伯国という従属的小勢力に過ぎなかったブル家を大公国にまで育て上げた英傑ではあったが、王位に至ってはいないのである。
東西公国が傘下に入ったのもカイの代だ。
それが二代王とされるのは、どこかの段階で大規模な正史改竄が行われたからに他ならなかった。いつ誰が何の目的でそれを行ったかは不明だが、彼の業績のほとんどが父リニと、後継となった従弟のベンに吸収され、彼自身に残されたのは〈毒蛇〉の貶称と「英雄殺し」の悪名だけ。
同じ〈毒〉の異名を冠するからではないが、ボーは以前からそんなカイに注目していた。
実際、カイは非情冷酷の人物であったらしく、その生涯が黒々とした陰謀塗れであったことも事実ではあるらしい。僅かに残る逸話も、濃厚な死臭の漂うものばかり。
しかし王室に残された史料を注意深く浚えば、その文字の海の中から、それだけではない、抹消され秘匿された過去が浮かびあがってくる。
何と言っても注目に値するのは、
――カイこそが「祖法の初王」、なのですよね……。
度々ボーの前に立ちはだかってきた「男子継承」を含む、ブル王家の基本法――「初王の祖法」――は、現代一般の認識とは異なり、「真の初王」たるカイ・ブルによって定められたものだった。
ここ最近調べていて分かったことだが、この今に至るまで国家大綱として継承されている「祖法」、改竄以前、カイが正しく初王として認識されていた時代から、すでに他とは異なる格別の尊重を受けていた。
それはつまり、英雄暗殺者であるにも関わらず、当初カイは相応の敬意を払われていたということになる。
考えるまでもなく当然の話で、汚名と、叔父暗殺後に待ち受けていた混乱を残り越え、権力をその手に掌握できたからこそ、王座に至り次代に繋ぎ得たのであり、ボーがカイを調べてきたのも、その手腕について興味があったからという面が大きい。
知れば知るほど、カイにはある種の共感のような感情を覚え、今では敬意すら抱くに至っていた。
――とはいえ、厄介な祖法を残してくれたのも事実。
男子継承を法制化されてしまったせいで、ボーの限界は王権の代理人である現在であって、真の王権を担うことは決してない。
それを不満に思うわけではないが、所詮王には至れぬ女の代理人でしかない、という諸人の明け透けな態度は、仕事をする上で大いに障害となってきた。
今少し地盤を確固たるものにした後、それを背景にこの手で後継を定め、せめて次期王の相談役、できれば宰相級の権力を手に入れたいと思っていたのだが――。
「殿下、罠の可能性はいかがでしょう?」
カスから投げかけられた疑問に、場違いな物思いから覚めたボーは、どうだろう、と首を傾げた。
――私見では、低いと見ますが……。
それはやはり、勇者とともに多くの魔族、とりわけ四魔将と接した経験からくる思考だった。
彼等は正々堂々の勝負に拘り、その結果の敗北にも拘わらず晴れやかに帰道を選んでいた。中には〈天眼〉のスヴェトのように、一晩の対話で十分足りた相手もいたほどだ。複数で襲撃をかけてきた魔族も、勇者に対する時は一対一を望む者がほとんどで、多対一の場合でも、その戦法にこそ誇り持つ者達だった。
もしも単に勇者を破りたいというのであれば、もっと別のやり方があっただろう。数に任せて波状に攻め立てれば、さすがの勇者も疲労に斃れたかもしれない。
しかし彼らはそれをよしとはしなかった。汚らわしい負の感情に侵された魔族、という先入観を破って、彼らはみな誇りある「戦士」ばかりであったのだ。
まして、魔王エトにその気があれば、細々とした策や罠など用いずとも、勇者召喚など行わせるまでもなく、名立たる英傑精兵達を率いて正面からホーフランツ王国ごときを踏み潰すは容易かったであろう。
だというのに降臨以来、組織だった外征が行われなかったのは、それが彼等の無念浄除において無意味な行為であるからに他ならない。
――少なくとも、エト・ブルには「ホーフランツ王国」に対する遺恨はない……。
何となく思うのは、或いはエトは「勇者」を待ち望んでいたのではないか、ということだ。
唯一勇者召喚を可能とする女神真教は、古くは大陸に広く信者を得ていたというが、エト生前の頃には既に後背山脈を中心とした狭い地域にのみ残存する、古信仰と化していた。
今でも多数の信者を残すのはホーフランツ王国を措いて他になく、そのホーフランツを圧迫すれば、いずれ勇者を頼る――勇者召喚の秘儀を知っていたに違いないエトであれば、そう考えた可能性はある。
沈黙の内に大森林地帯に蟠り、貿易封鎖で王国を追い詰めたのは、その辺りに眼目を置いていたからではないか。
魔王がエト・ブルということを知らなければ、思いつきもしなかった推測だ。
――「魔王」は、果たして何を望んでいるのでしょう。
甥に暗殺された英雄――ここだけを見ると、エトの無念はカイという人物に対して向けられていると考えるのが自然ではあるのだが、しかしどうだろう。
残る書簡を見る限りでは、実はエトとカイは、年も近く、叔甥というよりも兄弟のように育った、極めて親密な間柄であったことが見えてくる。一地方の領主に過ぎなかったブル伯国の国主たるリニを、武の面でエトが、文の面でカイが補佐し、一体となって乱世を伸し上がっていったことが伺えた。
とはいえ、良好な関係であったが故に、怨恨をいっそう深くするということも当然あり得る。
「さて……」
彼等の時代は遥けく遠く、僅かに残された史料で当時に接するのみで、英雄どころか武人ですらないボーには、その心懐を推し量るのはともかく、口にする資格はないように思えた。
ならば、それを為すに相応しい人物といえば、
「勇者様」
「ヌ?」
「魔族は何を求めて勇者様に挑んできたと思われますか?」
「納得!」
即応された言葉に、ボーは少し思考の時間を取った。
「納得できる闘争、という意味でしょうか?」
「近似!」
「闘争だけではない……?」
「納得、多様! 望み、多様!」
「なるほど……?」
確かに闘争だけでは〈天眼〉のスヴェトの帰道が説明できないが、勇者の言語は相変わらず簡潔で、ボーに十分の理解を与えてはくれない。
ともあれ、と思考を切り替える。
「この決闘の誘い、罠の可能性はどう思われますか、勇者様」
「皆無!」
勇者は一片の迷いも見せず断言した。武人にして英雄たる彼の言葉には無比の価値がある。
「それでは――」
「我、受諾、決闘、魔王!!」
凛呼たる声。既にして闘志漲る勇者に対して、ボーが口を挟む隙はなかった。




