05:勇者、闘争
「姫様、姫様!」
侍女ゾーイ・バーリの呼びかけに、ボー・ブルは眠気に朦朧としていた頭を上げ、その拍子に一つ大きなくしゃみをついた。
グヘッショオゥンッ! という音が木々の間に響いてこだまし、
「なんやねんなうるさいな……」
「うるさいのは姫様のくしゃみです! 王侯貴族の姫君にはあるまじきくしゃみでしたよ!」
「べつにえぇがな、誰が聞いてるわけでなし……」
言ってもう一つ盛大なくしゃみを放ち、ボーは鼻をすすった。
「で、なんやて?」
「はい、姫様。ここより先は馬では進めないとのことで、申し訳ありませんが、下馬頂きます」
「あーん?」
ボーは眉間を寄せた。道はまだ続いているではないか、と思ったのを読んだ様にゾーイから注釈が入る。
「勇者様によれば、この方向に強者あり、との事でございまして……」
示す先は左手方向、繁茂する笹藪と急な傾斜は確かに馬での進行は難しそうだ。が、
「ムリやろ」
こんな山、ボーに歩けるはずもない。
「私がおぶって参りますので」
「いやいや、そんなんムリやし」
いかにボーが小柄でゾーイが鍛えているといっても、それで藪をかき分けて進むというのは無謀にも程があるし、何より乗り心地が悪そうで嫌だ。
「勇者はん、ホンマこっちにいますのん?」
「是! 強者! 圧倒的強者!」
「ほー……」
ボーは思案した。勇者はここに至るまでに五十九人の魔族を倒している。最初は一人で、続けて三人、五人……と徐々に数を増やして襲撃を掛けてきたが、いずれも危うげなく勝利しているのは、ボーにとって喜ばしい限りだった。
いまだ底を見せぬ実力を持つ勇者。その勇者の特殊能力なのか経験によるものなのか、或いは単なる直観に過ぎないのかは分からないが、悉くの襲撃において、彼は事前に察知してボーとゾーイを遠ざけていた。その気になれば魔獣に対していたのと同じく、先手を取る形で動けたであろう。
そんな勇者が「いる」というからには「いる」のだろうし、「圧倒的強者」と評するからには、この先にいるのはおそらく魔将〈烈風〉のジークであろう。
今回の討伐目標である以上、避けては通れないというか、避けては意味がない相手。
――けど歩きたないし。
なので、
「おらぁ! 〈烈風〉のジークゥ! 聞いとるんやろワレェ!!」
ボーは大声を張り上げた。大声には自信がある。日頃から議会でのヤジの飛ばし合いなどでさんざん鍛えているからだ。
「ワレさっきからポンポンポンポンポンポンポンポンよっわいよっわい手下ばっか送りつけてきくさってどーゆー神経しとるんじゃい! えぇ!?
ウチが、このホーフランツ王国最高権力者のボー・ブル様が! わざわざこーやって遠路遥々会いに来たったちゅーのに挨拶にもけぇへんとか、なってない、全然なってないでぇ!? おう! まったくどーゆー教育受けてきたんじゃボケナスがァ!
それともあれか、初等教育もロクに受けてへん落ちこぼれか!? おう! 聞こえとったらウンとかスンとかゆぅたらどーや! ほんまにウンスンいうたら許さへんけどなぁ!?
それとも何や!? ウチらのことが怖いんか!? 怖くてブルブル震えてどーにもこーにもでてこられへんっちゅーわけか! カッカッカッ! ほーかほーか! 〈烈風〉とか大層な異名掲げといてただの臆病モンっちゅーわけか!
まったくこないなしょーむないヤツひり出した親の顔が見てみたいで。さぞやご立派な親御さんやったんやろなぁ!?
なあ!? 〈烈風〉のジークゥ!? やーいやーい、お前のかーちゃんでーべーそー!」
少し喉が渇いたので湿らす程度に酒を含む。蒸留酒はとうになくなっており、今は安いどぶろくになっているが、酒精さえ入っていればあまりこだわりがないボーであった。
ゥィーっく、とオクビを漏らしつつ口元を袖で拭ったところで、目標としている方向から何かが凄まじい勢いで藪をかき分けて飛び出してきた。
それは軽装の革鎧に身を包み、長剣を腰に下げた壮年の男であり、大跳躍にも拘わらず、姿勢を崩さず道に降り立つなり、眼を怒らし咆えた。
「何たる! 何たる野卑千万なる悪口雑言! 我がことのみならばいざ知らず、我が母までもさまでにこき下ろすとは! 許さぬぞ、ボー・ブル!」
「はっはっはっはっ、釣れた釣れた! 釣れおったで、ゾーイ!」
手を打って喜ぶボーに、ゾーイは頭が痛い、という恰好で首を振る。
「ボー・ブル! さっさと剣を取れ! 我が剣の錆にしてくれるっ!」
激昂するジークが、腰の一剣を抜き放つのを見て、ボーは鼻で笑った。
「はっ! 冗談ゆぅなや。何でか弱いウチがワレみたいなゴツイのんと戦わんなあかんのじゃいアホンダラ。
てか戦いになると思うんか? ウチが剣と触れるように見えるんか? ウチと剣なんかあわせてみぃ、そのままズバッと縦二分割になっておわりやウチが! 節穴もえーとこやんけ。その辺の老木でもワレよりマシな観察眼もっとるんちゃう? 知らんけど!」
「む……確かにそれはそうだが、では何故貴様戦地に赴いてきたのだ。しかもそんな少人数で……そちらの女性は聊か出来る様子だが、他に護衛も伴わぬなど、非常識ではないか」
「それはな、話せばめっちゃ長くなるんやけどな、まあ有体にゆーたらな、ついてくるヤツがおらんかったんや……」
「……じ、人望がないのか?」
「な、なにゆーてけつかんねん!? 失敬失敬失敬千万やでワレ!? こー見えても司法関係に関してはウチが完全掌握しとるし、財務系もウチの傘下なんやで!?
なんなら偏った判決かてバンバン出せるし、経費削減で脅してピーピーゆわせんのも大得意や! ……まあ、でも軍関係は全然やな。あいつら、ウチが女やからって舐め腐りよってからに……」
「……そんな状況で貴様何をしに来たのだ」
「ンな呆れたみたいな顔で見んなやボケ。軍はおらんでもウチにはこの勇者はんがついてはるさかいな。さっきまで見とったんやったら分かるやろ? ウチの勇者はんはナリこそアレやけどホンマ強いでぇ? 一騎当千万夫不当天下無双の最強戦士や。ワレなんぞ指先一つでチョーンでバーンで御愁傷様々や。せやから恐れることなんぞなーんもあらへんねや」
「ならば勇者に任せて城で大人しくしていた方がよかったのではないのか?」
「それはアレや。アレて何や、アレはそう……そうアレやアレ、アレアレ――ゾーイ、アレてなんや!?」
「それはやはり責任感とか、義務感とか――」
「そう、それ。責任感。発案者の責任っちゅーヤッちゃな。
なんぼなんでも勇者はん一人で行ってきてくれまへんかとは言われへんやろ? ゆーてウッとこの男連中はキャンタマどこに忘れてきてけつかんねんやいうくらい腰抜けの腑抜けの役立たずのゴミクズクソムシばっかやさかい、ウチ自ら出張らんなしゃーないねん。ホンマあれやで、高給取りのくせして肝心な時には使われへんヤツらやで……。
ほやからな、帰ったらな、あいつらポーン、ポポーンとクビにしたんねん。一部はこの際首だけになってもらおかな、なーんてな……なんやその顔、冗談、冗談や! わざわざクビなんぞ斬らへんわい。毒盛るほうが得意やさかいな」
「…………」
「姫様、シー! シーッ!」
「あ、そ、そーやったな! 悪いゾーイ、ちょい口滑ったわ。ああ、気にすんなやジーク、今のもただの冗談やさかいな! 笑っとけ笑っとけ! はっはっはっ!」
「さ、さすがは姫様、場を和ます素晴らしく小粋な諧謔でした! ホホホホ!」
主従二人で笑い声を飛ばすも、場の空気は冷え切ったものになっていた。
ジークは眉間に皺をよせ、勇者はよく分かっていないのか、キョロキョロとこちらとあちらにせわしなく首を振っている。
心なしか、空気が重い。
――アカン! かんっぜんにスベったわ!
ナニクソ今度こそと、爆笑ネタを絞り出そうとしていると、ジークが剣を納めて腕を組んだ。その目は、何やら場違いに真剣で、真っ直ぐボーを射抜くように見据えている。
「なんやワレ、さてはウチに惚れたな……?」
シナまで作り流し目のボーをジークは無視し、
「貴女は仮にも王族であろう」
「誰が仮やねん、ウチは真性や。一皮も剥けてへん――否、一膜温存の真の乙女や! う、嘘やないでッ!?」
ボー、渾身自虐の下ネタであった。
ややあって、一つ咳払いをついたジークは、何事もなかったかのように口をひらいた。
数呼吸の間を魔将から奪ったのは、誇っていいものやら泣いていいものやら。
「……本来軍事に関わらぬ王家の女性が身一つで戦場に立つ――命が惜しくはないのか?」
「ハッ!」
ボーは短く笑い飛ばし、どぶろくを口いっぱいに含んで飲み干した。
「惜しくないヤツがあるもんかい! でもな、やからっちゅーてな、命を賭ける場面なんぞ王族稼業には山ほどあるんじゃ!
あいつもこいつもほとんどみんな敵や。笑顔で差し出してくる手の対の一方には短剣握っとるようなヤツばっかりや!
せやけどウチは覚悟を決めとる……。覚悟、覚悟、覚悟を重ねて、築き上ぐるは死体の山っちゅぅてなぁ! その上で死臭に塗れてふんぞり返って偉そうにしてんのが王族っちゅうもんなんや。
ああ、そうや、いつ因果の応報で頭と胴が泣き別れてもおかしない因業深い商売や!」
手刀で首筋を叩いている内に、何か激越な感情がこみあげてきて、ボーはいっそう声を荒げる。
「舐めんなやクソ魔族風情がッ! このボー・ブル、何より惜しい命も賭けて、我が身の責務を果たすが道理や!!」
言い切った――ボーはそう思った。何やら無闇に爽快な気分だった。
――そう、例えて言うなら、どうにもこうにも取れへんかったデカ耳クソが取れたみたいな……!?
ふう、と一息ついてボーは再びグビリと酒を含み、ちょっと塩気が欲しくなったので、干し肉を舐めた。
「いうて、ウチの首が獲れるんはこの最強勇者はんを倒してからや。ワレにそれができるかどうか――この安酒がウチの末期の酒になるかどうか、とっくりとワレの実力、見せてもらおやないか……!?」
この挑発的な言葉に、ふとジークは微笑みを見せた。
「貴女の――殿下の仰る通り、我が剣を交わすべきは、勇者殿に御座いましたな」
「……何やねんいきなり下手に出よってからに……気ッ色ワル……ゆぅとくけど、ちょっと敬語使ってみたいくらいで懐柔できるほどウチは安い女やあらへんで?」
「そんなつもりは毛頭。ただ、殿下には敬意を捧げるべきと存じたまで」
「あぁん? ……まあ、ええ。ウチは確かに敬意を捧げられるに足る素敵な女やさかいな。分相応の扱いを受けて文句つけるような狭い度量は持ち合わせ取らん。大いに敬うとええ」
胸を張ったボーにジークは丁重な一礼を示し、そして勇者に初めて正対した。
「待たせて失礼、勇者殿」
「気遣い、無用! 勝負、互い、必死! 交わす、言葉! 告げる、想い! 重要!」
「いかにも――そのような決着を、望んでいたとも!」
二人は同時に頷きあい、
「我、勇者! 我、長! 我、繧ョ繝」繝ウ繝懊ぐ繝」繝ウ繝懊?繝吶?繝ォ繧ョ繝ァ繝!!」
「我が名は〈烈風〉のジーク――もとい! ジークべルト・リーツ!」
名乗ると同時に、〈烈風〉のジークことジークベルトの武装が一変した。革鎧の各所に金属質の外装が展開していき、何より鮮やかな変化を見せたのは、左肩当が目の覚める様な真紅に染め上げられたことだった。
その名その武装を見聞きしたボーは、驚愕の声を上げた。
「ジ、ジークベルト・リーツやて!? ほしたらあれが、〈赤肩〉!!」
「知っているのですか、姫様!?」
「知ってるも何も! ジークベルト・リーツゆうたら、亡東ブルン帝国筆頭大将軍、およそ二百七十年前のゾーリンゲン紛争で抜群の殊勲を上げた驍将や! 帝国が隣国ウェルダー゠ブロー公国連合と争った際にはおよそあらゆる重要な戦域で一番槍を上げたほどや! 見てみい、あの赤い左肩! あれは〈赤肩〉っちゅうジークベルト将軍率いる精鋭の象徴で、その軍はふつーの部隊の三倍速で戦場を駆け巡ったっちゅう話や!」
「そんな、まさか……!」
「まさかを可能にするのが名将の条件や! フルート・メアーの『名将列伝』にもそう書いとるで!?」
〈古今不二の大歴史家〉フルート・メアーの手になる『名将列伝』全十二巻はボーの愛読書である。ジークベルト・リーツはその中でも珠玉と謳われる第三巻に名を連ねる、名将中の名将というべき男だった。
ただ、そのあまりに高すぎる功名故に、時の皇帝に疎まれた。そしてその意をくむ形で動いた宰相により、冤罪を以って獄され、そのまま無念の最期を遂げたと言う悲劇の将軍でもあった。
――次代皇帝時に名誉は回復されたっちゅう話やが……。
なるほど、華々しい経歴の最期に待ち受けた非業の死は、忠義の武人としても讃えられたジークベルト・リーツをして魔族たらしめるだけのものがある。
「あかん! なんちゅぅこっちゃ! ウチとしたことがジークベルト様にあんな無礼な口きいてもうた!」
「姫様! 相手は過去の名将かもしれませんが、今は我らが宿敵の魔族に過ぎません!」
「そんなん関係ないわい! あー、もう! あー、もう! 城に賓客としてお招きでけへんか!? めっちゃお話お聴きしたいねんけど!」
「こ、この名将偏執狂! そんなことをすれば姫様が裏切り者扱いで無事で済みませんよ!」
「せやけど……!」
そんな女主従の会話など最早雑音とばかりに、勇者とジークベルトは、互いの間の、静謐ながらも張り詰めた空気を挟んで、深く闘争に没入しているようだった。
その間、およそ五十歩。ボーの観戦知識では、この段階では互いに相手の隙を伺いながら徐々に距離を詰めていくのが常道だ。だが、
「なぬっ!?」
「速い!」
何の前触れもなく唐突に、空間が瞬時に双方から詰められ、その中央で高音が鳴り響いた。
勇者は骨ナタを下から掬い上げる様に、ジークベルトは長剣を上から叩きつける様に。互いの身長差からくる必然の一撃が、噛み合うがごとく拮抗したのもつかの間、ボーの視界から二人の姿が消え去った。
「ど、どこや!?」
「無理です、姫様。私共の眼にしかと捉えられる程度の速度ではありません!」
ゾーイの言う通り、頭を巡らしてもどこにも二人の姿はなく、ただ風切りの音と武器のぶつかり合う音が、周辺そちこちで連続する。
その音は次第に間隔を詰めていきほとんど連綿となり、
「残像っ!」
悲鳴のような声をゾーイがあげた。
まるで幻影のように、幾つもの二人の姿が現れては消え、現れては消え、すぐに消滅を出現が上回り、その数もまた徐々に数を増していく。今やボーとゾーイを数えきれないほどの残像が取り囲んでいた。
「す、凄まじな!」
ボーは知らず、額の汗をぬぐい喉を鳴らした。
まさに人外の領域。ジークベルトも生前はこれほどの力を持たなかったろうが、魔族の、その中でも特筆すべき実力者としての能力で、練り上げた技を使えば、こうなるということなのだろう。
対する勇者も、その栄光ある称号に相応しく、見ている限りでは互角の戦いを繰り広げている。
「ぬっ!?」
不意に、あれほど荒ぶっていた撃音が途絶え、周囲に満ちていた二人の姿が掻き消える。
そして、乾いた唇を舐めたボーの視線の先には、ちょうど先程とは逆の立ち位置で向かい合う二人の姿があった。
「……勇者はんの方がなんぼか上手やったみたいたいやな」
「そのようです」
ジークベルトの装備のあちこちに破損がみられ、彼自身肩を上下させて荒い息を整えているが、ボーに対して背中を見せる格好で立つ勇者の蛮族装備には乱れが一切なく、左右の骨の得物を自然な形で提げる後ろ姿には、疲労の気配など微塵も見えなかった。
しかし、劣勢のはずのジークベルトの口元には、笑みさえ浮いている。
それは陰りなく楽し気で、いっそ心地よさげだ。
――充足感を得とるんか!?
直感したボーに、遠く対面している形のジークベルトが視線を合わせ、そして咆えた。
「恐れ多くもホーフランツ王国が摂政王女、ボー・ブル殿下に請願奉る! 願わくば我が精魂傾けたる渾身の一剣、篤と御覧頂きたく!」
ああ、とボーは思った。きっとこれに頷けば本当に最期になってしまう、と。
魔族は無念を残した亡霊のため、ただ倒されただけであれば長い年月をかけて復活を果たす。
しかし、その無念が晴れれば、輪廻に回帰していく。それは正しき道への帰還であり、故に「帰道」とも呼ばれているが、それはつまり、「ジークベルト・リーツ」が永遠に失われてしまうということに他ならなかった。
本来であれば嘉すべき一事であろうが、ボーにとっては残念の一言であった。しかし、
――なんやウチに見送って欲しいんか!?
つい今しがた出会ったばかりだというに、僅かに非友好的な言葉を交わしただけだというのに、ボーが一方的にジークベルトの事績を知っているだけだというのに、何が彼にそうさせるのかは分からない。
ただ、分からないなりに、心の深い場所で確かに「納得」の一語を捉えたボーは、
「おおさ! 存分にやれやぁ!」
「有り難し!」
ジークベルトが「構え」を見せた。体は半身、大きく前後に脚を開き、重心をやや後方に据える。同時に、頭部右側、後方に絞るように右手で長剣の柄を引き、剣身の根元に左手を添えた。
その切っ先は、ぴたりと勇者をとらえているかに見えた。
対する勇者は、足を肩幅に開き、腕を前に伸ばして両の得物を眼前に交差させる。
「いざ!」
「是!」
ジークベルトの呼びかけに勇者が応じ、ボーが固唾を飲んだ直後。
硬く涼やかな音が弾け、そして空を舞う白い曲線。
それはくるくると回りながら地に向かい、その鋭利な一方の端を突き立てて、ボーの眼に形を明確にさせた。
「……角?」
はっと視線戻すと、勇者とジークベルトはほとんど交差するほどに互いの距離をなくしていた。その一方のジークベルトの残心は、
「おそらく、突き――」
ゾーイの見立てに首肯する。目に映らぬほどに鮮烈な突きの残影を、確かにボーも見たと思った。
勇者の骨兜を見ると、三つ角のうち左端のそれが姿を消している。ジークベルトの一剣に貫かれ断たれたのだ。
ジークベルトはにやりと笑い、そしてがくりと膝をついた。
同時にその象徴たる赤の左肩が砕け、そしてそこから斜めに、常人であれば心の臓を割る形に、赤い線が走る。
「我、勝利!」
「然り」
苦し気に、しかし莞爾と頷くジークベルトを勇者は暫し見つめた後、振り返って折れた角を見、それから自分の兜の損傷部位に触れた。
「……我、兜、傷……汝、初。我、感嘆、我、誇り、勝利、抜群、強者!」
「光栄の至りだ勇者殿――貴殿に深甚なる感謝を」
勇者にそう告げ剣を納めたジークベルトは、ボーを見てこちらに歩み出した。
その足取りは蹌踉として、身体からは赤い燐光がまるで花が散るように零れていく。
今、正にその「死後」の終焉に向かおうという男とボーの間に、ゾーイが立つ。
「何用ですか、魔将〈烈風〉のジーク」
言いつつ長剣を突き付ける。あくまで「敵」として、護るべき主に近づくことは許さない。その側近としての矜持を理解せぬボーではないが、
「まあ、まちぃやゾーイ」
よっ、と掛け声をかけながら馬から降り、酔いに乱れる足を踏み出した。
「なりません、姫様! おさがりを!!」
「大丈夫や。殺る気があったらいつでも殺れたわい」
「しかし……!」
なおも言い募ろうとするゾーイの肩を「すまんな」と叩き、前に立った。
そして、足を引きずりながらも一歩の距離に至り、そこで剣を脇に置き、恭しく跪いたジークベルトは、
「御眼汚し、御無礼仕りました」
「なんの――眼福至極やったで? さすがは青史に武威を刻みつけた大将軍。その技の冴えは天晴の一言や」
俯かせていた顔を上げ、白い歯を見せ、ボーの手を取り、そしてジークベルトは赤々と盛る炎のように輝き、煌めき、
「もったいなき、御言葉」
そう言い残して、帰道した。赤光の花弁が渦を巻くように舞い上がり、残されたのはボーの小さな掌ほどに巨大な、眩く輝く真紅の魔石。
それを帰道残光に翳し、透かし見て、ボーは呟いた。
「ジークベルト・キーツ、正に名将の誉れに偽りなしや……!」
魔石を通した視線の先では、勇者が哀調を帯びた「歌」を森に響かせている。




