02:勇者、披露
勝負は一瞬で決した。
近衛騎士団長による「始め!」の号令により、メッレ・モルが長剣を構えるや否や、何か短い風切り音がボー・ブルの耳に届いた。
そして一呼吸の後に、崩れる様に膝をつきそのまま音を立てて地に伏し動かなくなった巨漢と、その背後に、瞬間前までメッレと相対していたはずの矮躯の勇者の姿があった。
見れば、持参の骨製武器は元の位置に捨て置かれ、勇者は無手だった。
勇者現ると聞き及び、その武技を一目見んと訓練場に集まった武官や兵士達が賛嘆とも動揺ともとれる呻きをこもごも漏らした。
最初に勇者が皆の前に披露された際の、何とも言えぬ微妙な空気はもはや微塵もない。
「……えっ? えっ?」
そんな中、状況が掴み切れず取り残されたようにきょろきょろするボーの斜め後ろで、「め、めちゃんこつよいでかんわ!」と侍女のゾーイ・バーリが謎の言葉を発していた。
――今の訛り具合……乳母の故郷の言葉ですわね。
ホーフランツ王国の標準語と親類関係にある言語だったはずだ。乳母からいくらか教えてもったこともあるので、今のは少しだけ理解できた。耳慣れず完全把握は難しいが、「ものすごく強い」という風なことを言っていたのだろう。
ボーの乳母を務めたゾーイの亡母は、遠方異郷の亡スンツマル王国の王族の出だったという。彼女は戦火に滅びた故国を逃れてホーフランツ王国に流れてきた際、姻戚関係でブル家の遠縁に連なる血統と、類まれなるその教養を評価され、生まれ来るボーの為に雇われたと聞く。
そうして乳姉妹となったゾーイは、ボーにとって全幅の信頼を置く第一の側近である。
そんなゾーイは、乳母の亡国流浪の経験からか、幼少より武術の修養に時間を割かされており、その道にまるで不案内なボーとは見える物が違う。普段は隠している、未知未踏の故郷の言葉を発してしまったところに、彼女の動揺が表れていた。
「何が見えましたか、ゾーイ」
「はい、殿下。あの勇者様、恐るべき手練れに御座います。開始の合図と同時に瞬時に背後に回り込み、メッレ・モル殿の首後ろを軽く撫でる様に手刀で一撃。その結果が、今殿下が御覧になっている有様で御座います」
「……ほほぅ?」
メッレ・モルは、いわゆる叩き上げの騎士で、出自こそよくないが個人戦闘力では一頭地抜いているとされる男だ。
最近まで、近隣七ヵ国同盟主催で執り行われていた二年に一度の連合闘技会でも上位常連である。諸国への示威的面もある行事だけに、各国腕利きを選抜しており、つまりメッレの腕前は客観的に見て、人類でも高いところにあると証明されていると言える。
それを子ども扱いとは――一筋の光明を見たとボーは思った。
――しかし、魔族に通用するかどうか、そこが問題ですわ。
「勇者召喚」などという、財政的にできれば使わずに済ませたかった奥義。そんなものを用いざるを得ないないほど切迫している現状を作り出している元凶――魔族。
彼等もやはりメッレ・モルを一瞬のうちに打ち倒せるに違いない。メッレがいかに強者とはいえ、鍛えられた兵士十人を同時に相手取ることもできないというのに、平均的魔族は一人で十五人に伍すると言われる。
その意味では、魔族に対する者を測る人物としてメッレでは力不足なのだが、彼以上がいないのだから仕方がない。
次は一対多の試合を組むべきかとも思うが、さすがに賓客に対してそれは無礼というものかとも思う。力不足を懸念していると気づかれれば、機嫌を損ねてしまいかねず、それは悪手というべきだった。
――まあ、勇者様も、まだまだ力を隠している御様子ではありますね。
腕組みして、やや上体を逸らすようにしている、ともすれば尊大にすら見える勇者の姿には、ボーの素人目にも圧倒的強者の風格があった。
少なくとも、計り知れぬ強者ではある。そのことに満足してボーは話を進める決断をした。
「さすがは勇者様、お見事に御座います」
一歩前に出たボーを首から上だけの動きで振り返った勇者に向けて淑やかに一礼し、
「願わくば勇者様、その御力を振るい、わたくし共の危難を払って頂きたく」
対して勇者が軽く顎をしゃくって見せたのを促しと判断し、言葉を繋ぐ。
「勇者様にお相手頂きたいのは魔族、そしてその首魁たる『魔王』という存在です」
魔族の本性は、悪霊・怨霊の類である。
生前、憎悪や怨恨、嫉妬といった強い負の感情を残した霊魂が、輪廻に回帰できずに留まった結果、長い時を掛けて魔素を吸収、蓄積し、かりそめの肉体を得た姿だ。
基本的に生前抱いていた感情に即した行動をとり、その必然として人類にとって脅威となる。
中でもごく稀に発生する「魔王」と呼ばれる個体は、格段に強い力を持ち、その影響によって周囲に魔族発生を加速させるという極めて厄介な性質を有していた。
結果として、通常散発的で、それ故に対処可能な魔族発生が大規模化し、また魔王に導かれる形で発生する魔族は魔王と共鳴しやすい個性を有しているためか、組織化された一つの「勢力」として成立してしまう事が多い。
何百年かに一度という頻度でしかないが、この「魔王降臨」は、幾度となく世界の勢力分布を強制変更させてきた、巨大な「災厄」なのである。
幸いなことに、ホーフランツ王国南方に広がる大森林地帯で発生した今度の魔王は、森林大部分を勢力下に収めて以降、積極的組織的侵攻意志を見せていない。ホーフランツ王国でも南部辺境に散発的な魔族の襲撃が続きその対応に追われているが、軍事的な意味での決定的な脅威とはまだなっていなかった。
そう、「軍事的な意味」では。
「これが我が国周辺の簡易な地理環境を示したものになります」
話している間に勇者の間近まで移動していたボーは、携えていた地図を広げる。
ホーフランツ王国の存在するここ高地地方は、北方後背に峻険長大なる大山脈を擁し、東西方向も山塊巍々として連なる。
唯一南に向けてのみ高度を下げていくが、獰猛な魔獣や奸智に長ける妖精の住まう大森林地帯に阻まれて、開発の歩みは遅々としていて、人の領域を容易に広げさせてはくれない。
緯度も高度も高い地勢で気候は寒冷、地味は痩せており、農業生産力は低い。
一方で、鉱業は盛んで、豊富に産出される各種鉱物を輸出し、食料を輸入することで国家は経営されてきた。
「その為の交易路となるのが、この大アメル川」
ボーは指で一筋の線を地図上になぞった。
後背山脈に水源を発し、大森林地帯を東西に分かちながら南流し南大海に注ぐ、まさに王国の生命線と言える大河である。
その大アメル川中流域が、各支流を含めて全て、こともあろうに魔族の勢力圏に落ちたために、王国は魔王降臨以来の二年間、疲弊の一途をたどっていた。
輸出激減により周辺諸国でも富裕で知られた国の財政が一挙に傾いたことは、まだ話としてはましな方で、最大の問題は食料輸入の「道」が大きく閉塞してしまったことにある。
北はともかく東西方向は陸路の交易路がないわけではないが、やはり河川を用いた大規模交易の代替にはなるべくもなく、しかも経費は割高になり、交易相手が足元を見るため、価格も高い。そうでなくとも、東西隣国の生産力は南方平野諸国に比べて低く、輸出に回せる十分な余剰があるわけでもないのだ。
これら要因によって、現在のホーフランツ王国は、食料難に陥っていた。
「この冬は、餓死者がでるやもしれません……」
細々と備荒の貯えを放出しながらだましだましやってきたが、それももう限界に近い。
だからこその「勇者召喚」。
渋る貴族や豪商たちを、宥めては賺し、諭しては脅してどうにかこうにか費用協力に合意させ、やっとのことで得た唯一無二の希望。
とはいえ、女神真教の主神は慈悲と正義の女神である。苦境に陥った信徒に手を差し伸べる一方で、それは無条件というわけではなく、「合意」や「契約」を重く見る。
「勇者召喚」においても、相手の承諾を必須としていた。
――もし勇者様が否とおっしゃられたら……。
これより七日間の交渉期間で翻心を促し契約を成立し得なかった場合、そのまま帰還してしまう事になる。
機嫌を損ねるのを恐れるのはそのためだ。
さて、なにはともあれ、勇者にとっての魅力的な利益を提示しなければなるまいが、蛮族の求めるものとは何だろう、とボーが思ったところで、それまで沈黙を保っていた勇者が一つ雄たけびの後、
「我! 勇者! 我! 聞く、精霊、声! 強者、戦う! 弱者、護る! 我! 勇者! 我! 僕、精霊! 我! 応える、期待! 我! 捧ぐ、精霊、勝利!!」
続けてその場で屈伸運動を連続させながらやかましい歌が始まった。そのけたたましい声量はともかく、紡がれる音律はなかなかに美しく厳かで、どこか神殿の聖歌を思わせる。
もしかしたら勇者の言葉に出た「精霊」に捧げられる歌なのかもしれない。
それがどういった存在かは不明だが、彼等の信仰対象に違いない。
そして、おそらく、召喚前に精霊経由で女神からなにがしかの情報が勇者にもたらされ、勇者は「強者と戦う」こと前提で召喚に応じたということらしい。
――さすがは女神真教最終奥義! 隙がありませんわね!
無意味に交渉を難しくしないために、最初から可能性がない相手が省かれているということなのだろう。
そこからさらに推察の枝を伸ばすに、魔族に敵し得ない人材は、最初から召喚対象に入っていないとみてもいいのではあるまいか。
素晴らしい、とボーはもとより深甚を極めた女神への信仰心を更に篤くした。




