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リンボの傾き屋敷

作者: 穹向 水透

48作目です。秋というより冬ですね。何となく寂しいです。

       1


 その町は昔よりも廃れていた。表面上そう見えるが、間違ってはいないだろう。元から売り出すようなものもなかったから、廃れる一途であるのはわかっていたが、数十年でここまで廃れるものだとは思わなかった。もう少し、この手の辺境特有の狡賢く生き残るバイタリティがあると思っていたが、それすらも廃れてしまったのだろうか。

 私はそんなことを考えつつバスに揺られていた。曇った窓から見えるのは、町付近を流れる濁った川だ。昔は澄んでいたと記憶しているが、いつの間にか有害な流れに変わってしまったのだ。新版マップを確認すると、恐らく、この酷い色を作り出しているのは、上流にある工場だろう。

 しかし、私は工場を訴えたりしない。そもそも、この町の景観がどうなろうが、大して問題はないのだ。要は私の身辺に害を為さないなら何が起きようとどうでもいい。 

 私の目的は、この辺境の地に設けられる大学の下見である。私が以前まで勤めていた大学からの提案で、その分校である新設校舎で働いてくれないか、というものを受けたからだ。正直、都会での息詰まる生活にも飽き飽きしていたので、こういう辺境も悪くないと考えたのだ。それに、この町は初めてではない。少しでも馴染みがあるなら気が楽だと思ったのだが、あまりに衰えた町並みを見て、私の気分は下がる一方だった。

 バスが町に入ったのは風景を見ずともわかった。というのも、ある境界線を越えた時にある違和感を覚えたからである。空気がどんよりしている。町に入って、私は初めて後悔した。あんな仕事は受けるべきではなかったのだ、と。

 町に入って最初のエリアは白っぽい家が建ち並ぶ場所で、どれもこれも似たようなデザインをしていた。似ているというより、数種類のデザインをコピーペーストして適当に配置したような、客観的に見てつまらない家ばかりだった。これが現代の風潮ならば認めざるを得ないが、もしそうならば、人間の美的センスは衰退の一途を辿っているとしか思えない。昔を思い出せば、個性豊かとも言える掘っ建て小屋のような家が散見されたものだが、今となっては、それらの惨めなものは排除され、均一性と清潔感のある例の白い家々が台頭したのだろう。

 バスは白い家々に挟まれたところで停まった。私はバスを降り、まずは荷物を置くために、大学が借りた家へ向かった。

 白い町並みを歩いたが、商店のようなものはあまりなかった。何処にでもあるコンビニエンスストアがひとつ、昔からある靴屋がひとつ、本屋がひとつ。バスの走る通り沿いには、その程度のものしかなかった。あとはつまらない白い家ばかりである。

 残念なことに、大学が借りた私の住まいも例に漏れず、つまらない家の仲間だった。私は家の前に立って、改めて、この白の悍ましさがわかった。襲い掛かる不気味さに負けじとドアを開いた。流石に内装まで白くはなかった。寧ろ内装に関して、私から文句はない。家具は備え付けであるのが、私としては残念だったが、そこまでの問題ではない。恐らく、内装もコピーペーストだとは予想されるが、私が他の家の中を知ることはないので、気にすることではないのだ。

 書籍などが送られてくるのは明日以降なので、荷解きはまだだ。

 私はコンロで湯を沸かし、紅茶を淹れた。そして、リビングにあった安っぽいソファに腰掛けて暫しの休息を楽しんだ。

 この町にはホテルの類いはなかったのだろうか、と思ってマップを確認したが、それらしいものは何処にもなかった。

 私は紅茶を飲み干し、休息を終え、また外へ出た。大学の下見をしないといけない。それが目的なのだから。大学のおおよその位置はマップで調べて頭に入っているが、それでも、こんな白いコピペハウス群の町では迷ってしまうかもしれないという懸念があった。


       2


 私はまずバス通りに出た。町を東西に貫く通りで、ここに沿って歩くのが迷わないためには重要だと思われた。歩いていて、人や車の往来が嫌に少ないと思った。活気がないどころの話ではなく、もう死んでいる町も同然だった。この町の住民は何処で働いているのだろうか、と考える。下の町までは遠過ぎるので、だとするなら上流の工場だろうか。

 私は大学の方向を示す看板を見つけて、その通りに歩いた。しかし、どうにも風景は寂れていく一方で、やがて、白くてつまらない家々は消え、昔ながらの惨めな掘っ建て小屋のような家々が見えてきた。私からすれば、こちらの方が気楽である。というのも、あの白い家々と違って、こちらは素顔を晒しているように思えるからだ。

 こちらの方が人の往来があり、旧世界から取り残されたような人々が話していたり、遊んでいたりする。その大半が女子供で、私を見ると物珍しいという視線を送ってくる。私の格好はそんなに違和感があるのだろうか。ステッキがいけないのだろうか。

「そこのあんた」

 ふと、嗄れた声がした。一瞬、この世のものではないと思ったが、振り返ってみれば、単なる老婆であった。皺なのか傷なのか判然としないものが顔にいくつもあった。

「何でしょう?」

「あんた、何処のもんだい?」

「私はこういうものでして……」

 私は名刺を差し出した。

「慶光大学物理学科教授の佐藤行吾(さとう あんご)……」

「はい。佐藤と申します」

「大学教授が何の用でね?」

「この町に新しく大学ができるんです。私はそこで勤務する予定なのですが、それの下見に来ました」

「ほぉかね。大層なもんだ」

 老婆は顔を上下に揺らして言った。

「では、私は先を急ぐので……」

「待ちな」

 私が去ろうとすると、老婆はそう言って私を呼び止めた。

「はい?」

「そっちはダメだ。ろくなことにならん」

「どういうことです?」

「そっちはダメなんだ。言いかね。私の言うことは聞いておくもんだ。でなきゃ、あんたも、私らも危ない目に遭うんだ」

「話が見えませんが……」

「いやぁ、聞いておくもんさ。私の口からは言えんがね」

「言えない?」

「言えん」

 私にはさっぱりわからなかったが、どうやら、土着的な何かがあり、地元民はそれを忌避すべきものだと認識しているようだった。

「大学はこっちからでは遠回りになりますよ」

 老婆の後方にいた中年の女が言った。

「そうなんですか?」

「ええ。そうなんです。だから、道を戻って下さい。大通りに出たら、そこを横断して、あとは道なりに行けば着きます」

「わかりました」

 私は納得がいかなかったが、それに従うことにした。というのも、この手の辺境の民が言う奇怪な言葉には従っておくのがベストであるからだ。郷に入っては郷に従えとはよく言ったものである。

 私は言われた通りに道を戻り、バス通りを横断し、道なりに歩いた。確かに大学らしき建物はすぐに見えた。白い町並みから離脱して、昔ながらの田園風景が広がる中に大学はあった。

 大学の校舎はつまらない家々同様に真っ白であった。確か、廃校を改装したものだった筈で、建物の形状こそ昔からある、掘っ建て小屋の進化したようなものだが、色だけは現代化に呑まれてしまっているようだ。改装ついでに新しいホールを造ったようだが、何とも不格好な出で立ちであった。地盤が緩いのか、気持ちだけ傾いているようだ。

 大学は当然のことだが人の気配がなかったが、私は入口で煙草を吸っている男を見つけた。

「どうも」

「おや、佐藤先生」

「お早いですね。島谷(しまたに)先生も下見ですか?」

「そうなんですよ。私もここで働くように言われましてね。ここへ来てみたら、左遷されたのかと思ってしまいましたよ」

「私もです。ところで建築科の教授である島谷先生の観点から、この町の建物群はどうです?」

「いやはや、息苦しいですね。町並みから来る古いイメージを一掃しようとしたのでしょうが、ミスでしたね。予算の都合もあったのかもしれませんが、町の入口方面だけが改造されています。とんでもない見栄っ張りなんですな、この町は」

「それにしても、学生が集まるのでしょうかね?」

「どうでしょうね。しかし、この仕事は受けなければ良かった」

「同感です」

「慶光大学なんてマイナー中のマイナー、大したことは期待できませんし、大人しく余生を楽しんでおくべきでした。でも、佐藤先生はまだ若いじゃないですか。どうして引き受けたんです?」

「簡単ですよ。都会の喧騒に嫌気が差したのと、ここが初めてではないからです。しかし、ここまでだとは思いませんでしたが……」

「お互い大変ですな」

 島谷は煙草の煙を揺らしながら笑った。

「そうだ。佐藤先生は『傾き屋敷』について聞きましたか?」

「『傾き屋敷』?」

「ええ。この町の外れにある廃墟だそうです。何でも、曰く付きの建物らしく、私も下見ついでに見に行きたいんですよ」

「島谷先生はその手の話がお好きなんですか?」

「いやいや。建築ですよ、勿論ね。不思議な構造らしいんです」 

「そうなんですか……」

「では、私はそろそろ、それを見に行くのでね」

「お気をつけて」

 島谷が去って、私は校舎内に入った。廊下はワックスでよく滑った。自分の担当する物理学科の教室などを確認して入口に戻った。最後に新設ホールを訪れたが、まだ伽藍堂であった。

 私は敷地から出て、来た道を戻った。来る時は気にならなかったが、大学の隣に大きな建物があり、看板を見れば、学生寮とあった。随分と部屋があるようだが、本当に学生なんて来るのだろうか。

 時計はまだ午後三時だった。何処かでお茶をと思ったが、この町にそういう場所があるのか知らなかった。

 取り敢えず、私も島谷が言っていた『傾き屋敷』を見に行くことにした。さっきのように大通りに出て、あの看板が大学方向だと教える道に入った。看板をよく見ると、途中で軸が捩られていて、それで逆方向を示しているようだった。しかし、それでは不自然であるので、よく見ると、看板の根本に引っこ抜かれた形跡があった。大通りを挟んだ対岸にも標識があったので、調べてみれば、そちらも同様の形跡があった。目的がわからないが、無駄に労力の掛かることをする人間がいるものだと、私は驚いた。


       3


 例の、看板には『美し通り』とある道を行くと、さっきのように人の往来が増え、子供たちが遊び回っていた。大人の姿は見当たらないので、私はさっきよりも先へ進むことができた。次第に人が少なくなってきた辺りで、顔を上に向けると、ぼんやりした風景の奥に黒っぽい尖塔が見えた。私はそれが『傾き屋敷』の一部だと判断し、そちらへ歩いた。

「何処へ行くだね」

 また声がした。さっきとは違う意味で、人ならざるものが擬声しているのかと思うほどの無機質さをしていた。

「何処へ行くだね」

 振り返ると、さっき同様に深い溝が顔中にある老婆が立っていた。こちらの方が細く、神経質そうな出で立ちであった。

「ちょっと散歩です」

「この先は良くない。行くでない」

「えっと、何故です?」

「良くないからだ。ほら、あんたにも見えるだろう、あの尖塔が、あの呪われた尖塔がよ」

「呪われた尖塔、ですか?」

「そうさね」

「どうして呪われているんです?」

「あの愚かな外人どもが住み着いて、勝手にいなくなっちまったからさ。あいつらは呪いを擦り付けていったんだ。聞こえないかね? その呪いの音が響いてくるのがよ」

 老婆は耳に手を当てた。私には何も聞こえなかった。恐らく、屋敷を忌み嫌う心が生み出した幻想の類いだと予想された。仮に音がしているとして、明らかに感覚器官の衰退した様子の老婆よりも、ずっと若い私が感知できない筈がないと思った。

「どんな音なんです?」

「ガタガタ、ガアガア、聞こえるだろう?」

 私は尖塔を見上げた。朧気に見える尖塔は煉瓦が剥がれてみすぼらしいものとなっている。しかし、耳を澄ませど音は聞こえてこなかった。尖塔から来るという呪われた音は勿論、車が走る音のような環境的なものも聞こえなかった。酷く静寂に満ちていると私は感じた。

「確かに聞こえますね」

 私は適当に相槌を打っておいた。下手に逆らうのは得策ではない。

「そうだろう、そうだろう。ならば、早く引き返すのだ」

 老婆はそう言って踵を返し、そそくさと家の中に入って行った。それほどに『傾き屋敷』と対面していたくないらしい。

 私は余計に興味をそそられ、老婆の言葉には従わずに屋敷へと近付いた。屋敷までは思ったよりも距離があり、老婆と会った地点から三百メートルは歩いた。掘っ建て小屋群も消えて、大学周辺のような田園風景、と言っても管理されている形跡はないが、そればかりが広がっていた。

 その屋敷は丘のように盛り上がった場所に聳えていた。一見して、西洋風の教会を連想した。尖塔もそう見える。入口には有刺鉄線があるが、潜れば入れそうである。なるほど、全体的に老朽が酷く、無事な窓硝子は確認できず、建物が歪んでいるようだった。単なる推測だが、ここも地盤が緩いのだと思われた。

 私の胸はざわめいていた。いや、頭もだが、この建物と相対してみて、何か底知れない、しかし、既知のものが私の中に湧き上がった。

 私はここを知っているのだろうか。

 それとも、知らないのだろうか。

 かつて、この町を訪れたという確実な記憶はあるが、いつ訪れ、何処を訪れたかという記憶は曖昧だった。もしかしたら、その記憶で、ここを訪れていたのかもしれない。

 この地元民に忌み嫌われている教会風の建物に、私は出所不明の親近感を覚えた。しかし、まだ入るのは躊躇われた。この『傾き屋敷』について調べるのが優先で、踏み込むのは最後に取っておくべきだと思った。故に私は踵を返し、来た道を戻った。大通りに戻る途中は誰にも会うことはなかったが、時折、鷹の視線のように鋭い敵意を感じることがあった。恐らくは、迷信深い人々が私をマークしているということだろう。誰だって平和を乱されたくはない。私だって勿論そうだ。しかし、私の心の平和を維持するには『傾き屋敷』の詳細が必要なのである。誰だって自分の平和が最優先なのである。


       4


 私は借家に戻り、仮眠の後でパスタを茹でた。ソースはレトルトのものを使った。酒を忘れたので、買いに出ようと思ったが、億劫だったので止めた。コンビニがあるのは白い家々の方であり、あの幽霊のような町並みを夜間に通りたくなかったのだ。しかし、飲み物が水道水しかないのは問題だと思い、仕方なく出掛けることにした。

 大通りに出ると、暴走族らしき連中が屯していた。そこは捩れた看板のある場所で、きっと、あの連中が弄ったのだと想像できた。

 私は連中を横目に歩いて、コンビニを目指した。白い家々には灯りがぼんやりしていて、宛ら怪奇現象である。人の死滅したような感覚を抱かせる風景に、弔慰のごとき灯があるのは、これまた一種の呪いだと思えた。コンビニにも灯が点いていたが、その灯りは都会でもある品のないものだったので、私は幾分か現実味を取り戻した。しかし、何処か排他的な雰囲気があるのは、致し方ないことかもしれない。

 私はビールと煙草を買い込んだ。ついでにつまみも。

 レジには眼鏡を掛けた顔の白い青年が立っていた。私は会計のついでに、それとなく『傾き屋敷』について訊ねてみることにした。

「あの廃墟についてですか?」

 青年は老婆たちとは違う軽い口調で件の建物について語った。

「僕も人伝に聞いただけなんですが、あそこ、ポルターガイストが起きるらしいんですよ」

「ほう。ポルターガイスト」

「というのも、夜中にドタバタ音がしたり、何かが割れる音がしたりするんです。もうずっと続いてますね。あ、毎晩ってわけではないらしいですけど。確かめに行った奴は知りませんね。小学生の頃から、あの屋敷には近付いてはいけないって言われてましたから。みんな、それをきちっと守ってるんです」

 青年は眉を顰めて言った。年長者や迷信深い人に聞かれたくはないのだろう。どうやら町は全体の風潮として、あの屋敷を忌むべきものとしているようだからだ。

 しかし、ポルターガイストか。私は体験したことがないが。本当なのだろうか。私はローマ神話のレムレースを想像したが、あの屋敷で果たして誰かが悲惨な死を迎えたようなことがあったのだろうか。そうでなくては、ポルターガイストの話も出まい。

 老婆の話によれば、「愚かな外人どもによる呪い」だった筈だ。愚かな外人とは何だろうか。

 私はコンビニを出て、あれこれ考えながら歩き、暴走族が屯する看板までやって来たので、私は彼らに近付いた。

「何だ? おっさん」

「少し話を聞かせてくれないか?」

 私はビールや煙草を彼らに渡して言った。

「話だ?」

「そう。あの『傾き屋敷』についてだよ」

 私がそう口にした瞬間、若さに溺れた彼らから若さが消えたように思えた。しかし、彼らは話してくれた。

「あそこは危ねぇよ。おれらも肝試しで入ったことはあるけど、失敗だったわ。あそこ、上手く立つのも辛いんだぜ」

「立つのが?」

「おう。何か傾いてんだ」

「そうなのか……」

 私はそれから色々なことを聞いたが、あくまで噂の域を出ない土着的な忌々しい話ばかりで、歴史に関しては彼らからは聞き出せなかった。

「ありがとう、助かったよ」

「ちょい待て、おっさん」

「何だね?」

「詳しく知りたいなら町役場に行けばいい」

 私は吃驚した。暴走族の青年からそんな的確なアドバイスが出てくるとは思わなかった。確かにそうだ。町役場でも図書館でも行けばいいのだ。私は彼らに感謝して、借家に戻った。気分は上々で、ビールを飲んで、シャワーを浴びて寝た。

 夢のことなら僅かに記憶にある。私は私の知らない、あの尖塔を見た時に湧き上がった底知れない既知の何かの手掛かりを掴んだのだ。しかし、それはすぐに記憶、或いは夢の底流に沈んでしまった。


       5


 翌日、大学を訪れて図書館の有無を確認したが、まだなかった。大学で島谷に会い、建物の感想を訊くと、「アレンジこそ加わっているが、ベースはゴシック建築の歴史の流れにあるもの」と答えた。

 私は下見をすぐに終えて、町内の図書館に出向いた。それがあることはマップで確認した。図書館にしたのは、町役場では正確な情報を教えてくれるか不安だったからだ。今の人の言葉より、古き文字の方が包み隠さずに教えてくれると思った。

 図書館は大学から十五分ほどのところにあった。こぢんまりした佇まいで、表にある古木がいい味を出していた。一応、町営のものらしいが、歴史書は置いてあるだろう。図書館に入り、なるべく若い司書に案内してもらって、歴史書の棚まで行った。

 歴史書は期待通りにあった。しかも、想像以上に事細かに書かれているようだった。私は一字一句を見逃すまいと読んだ。

『傾き屋敷』に関連すると思われるものは点々とあった。

「異国より来たるファレット氏、南古墳の上に教会を建てる。町内、反発し、ファレット氏の追放を企てるが失敗」

 ファレット。この人物が『傾き屋敷』を建てたのだ。読めば、その人は考古学者であり、後に娘夫婦も移り住んだとのことである。ファレット氏の娘の名はダルシャで、後に帰化して青葉(あおば)と名乗ったそうだ。

 しかし、あの屋敷が忌み嫌われるのは古墳の上にあるからという理由だけなのだろうか。まだ理由がある筈だ。

 そして、それについてもすぐわかった。

 ファレットは研究のために古墳を発掘し、古代の統治者の石棺を暴いた。しかし、その後、ファレットは狂い出し、町に行ってはトラブルを繰り返した。そして、ついに人を殺したのだ。それも十三人。犠牲者は古墳の発掘に雇われていた町民たちで、遺体は細かく刻まれ、発掘された石棺の中に押し込められていたそうだ。実は、その統治者も悪評高い人間だったらしく、ファレットが来る前から古墳の丘は呪われた地とされていたようである。そこに家を建てて、呪われた統治者を解放し、そして、その家主が狂ったとなれば、忌み嫌われたとしても文句はない。

 結果として、娘夫婦は出ていき、狂人ファレットは屋敷に半ば幽閉され、そのまま死んだ。その亡骸の行方は当時から不明のままだそうだ。私が思うに、亡骸は町民が密かに遺棄したのだろう。

 さて、私は関連の歴史を把握して、ひとり、静寂が鉄則の図書館で声を出して笑った。そして、私は図書館を出て、あの『傾き屋敷』へ向かうことにした。足取りは軽く、家々の窓を破りたい気分だった。

 私は通ったことのないルートで屋敷を目指したが、すぐに屋敷に到達することができた。改めて対面してみると、妙に威圧感がある。古呆けた高貴さが爛々と私に向かっている。私の杳としていた記憶が凝縮して光源となり、全てが詳らかとなった。

「おい、そこの人。止まりなされ」

 嗄れた声がした。振り返ると、縮んだ老人が立っていた。彼は鋭い眼光をこちらに向けている。

「何でしょう?」

「その屋敷に何の用だね? そこは呪われているのだ。入れば貴方もただでは済まないし、儂らにも危険が迫る」

 老人は眼光そのままで、いかにも悲痛であるという声で訴えた。

「そこは地獄の門。貴方はまだ通りたくはないだろう?」

「……地獄の門ですか。ならば、この町はリンボですね」

 私は口角を上げた。

「残念ですが、私は呪いとやらは信じないのです」

「信じる信じないの話ではないのだ。呪いはあるのだよ」

「私には関係がありません」

「違う。儂らに影響が……」

「関係がありません。いいですね?」

 私は振り返って言った。すると、老人は私の顔を見て明らかに怯え始めた。何か理解し難い現象に直面したかのような、そんな不条理を理解しようとする際の顔だった。

 私は老人が怯えている理由を簡単に予想できた。

「お前は、ファレット……」

 やはり、予想通りである。

「生きていた? いや、そんなことはあるまい。儂はお前が死ぬのを見ていたのだから……」

「……いいですか? いくら不可解な現象でも、ある『必然』のもとに成り立つものなのです。それが物理的な問題であれ何であれ……。だから、今、貴方の言うファレットと私が同じ顔をしていることも『偶然』ではなく、『必然』なのですよ」

 老人は顔をひきつらせて、後退りした。

「しかし、私がこの町に行くように提案されたのも『偶然』などではなく、『必然』だったんですね」

 私は老人に背を向けて、屋敷入口の有刺鉄線を潜った。後ろで老人が言葉にならない獣性の叫声を上げて走り去って行った。哀れにも、彼らがファレットの死から封印していた門が大っぴらに開かれるのだ。迷信深い人々は卒倒してしまうかもしれない。

 屋敷の庭には枯れた植物、まだ青い植物が入り乱れて、茶と緑が模様を作っていた。所々に背の高い草が生えていて、花をつけているが、私はそれの名を知らない。

 屋敷のドアは軋みながら開いた。鍵は掛かっていたのかもしれないが、明らかに抉じ開けられた形跡があった。恐らく、肝試し目的で侵入した輩の仕業だろう。私は中に入り、持って来た懐中電灯で光を得た。中は黴臭く、床や壁、天井には年月とともに生成された裂傷のようなものが数多あった。私の記憶が正しければ、一階は客間やリビングがあった筈である。そして、その通りに、朽ち果てたテーブルのある部屋があった。

 私は二階へ進もうとしたのだが、ここで家が揺れ始めた。これが所謂、ポルターガイストというものか。揺れは酷く、体内の異物を吐き出すように動いている。これでは壊れた階段など上れないので、立ち止まって、私は声を上げた。

「静まれ騒霊ども! 私は帰って来たのだ!」

 私が思い出したのは、私の血筋の話。私はハーフなのだ。母の名は青葉。もとい、ダルシャ。祖父の名はファレット。私はその狂った血筋の人間で、呪いを受ける側ではなく、与える側なのだ。

 揺れが静まったので、私は二階へ。階段は酷く傷んでいて上るのに苦労した。この教会風の建物は、外観のみ教会で、内部は普通の家と何ら変わらない。二階に上ってすぐの書斎に入った。しかし、荒れ果てていて、何かがあるわけでもなかった。

 私は一通りの調査を終えて、階段を下った。怪奇現象よりも恐ろしいのは、この家の老朽具合である。下手に動くと、倒壊しかねないような、そんな感じがする。

 私の心拍は驚くほどに正常であった。何故なら、ここは私の勝手知ったる屋敷なのだから。今更、私が何を怖れるわけでもない。

 私はここに住もうと思った。いや、住まなければならないと思ったのだ。しかし、修理をしなければ、ろくに動けもしない。当面は、あのつまらない家にいるしかないのか。あれこれ考えながら外に出た時、私は頭部に強い衝撃を受けた。

 ぼやける視界に捉えたのは、さっきの老人の殺意ある眼光。呪いを根絶やしにせんと躍起になった狂人の眼光。こうして呪われた因果は巡るものらしいが、私の次は誰が請け負うのだろうか。私には子供はいない。しかし、これは『偶然』ではなく、『必然』の円環なのだ。

 まだ『傾き屋敷』は生きているのだ。

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