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一章1話『本当に異世界にやってきた』

「は?」


僕──田辺悠真は困惑していた。

つい先程、自分は崖から身投げをしたはずだ。

頭蓋骨が潰れる耳に残る音と共に意識はプツリと切れたのだ。死んだはずなのだ。今もまだあの瞬間を覚えている。


なのに、なぜ生きているのだろうか。そもそもここはどこなのか。いや、そもそも生きているのかすら分からない。自分に命があるのかと頬を抓ると、神経は通っているらしくしっかりと痛覚を認知する。


痛覚を感じた事で頭から垂直落下した事を鮮明に思い出すが、身投げする前まで身体中にあった青い痣や、打撲などによる痛みも引いていて、今や体調は万全を期していた。

ボロボロで色褪せていた洋服も、傷一つない──しかし、長年使っていることを思わせるような、不思議な真新しさを放っている。

そしてなぜか脱いだはずの靴も履いており、一体何がどうなっているのか理解が追いついていない。


これが天国なのだろうか。地獄にしては、些か賑やか過ぎるし活気も盛んだ。そういうものなのだろうか。


辺りを見回すと、先程の自然を感じる崖とは異なり、見た事のない石床に建物。まるで中世ヨーロッパを彷彿とさせる風格がある。

天使の輪っか乗せた人がいないあたり、天国では無いのだろうか。


「…なんだこれ…これが、転生?」


転生。様々なライトノベル、宗教、都市伝説、etc…。

人生においてこの4文字の音を聞いた事のない人間は居ないだろう。輪廻転生や極楽浄土なんかの話は、高校の日本史の授業でも聞くワードだ。


分かりやすく言えば、死後魂は浄化されて新たな生命に宿る──という感じの、矛盾はあれどどことなく納得できる来世にまつわる感情論だ。


しかし悠真には、なぜ自分が記憶を引き継いだまま訳の分からない世界に転生させられたのか分からなかった。そもそも転生とは生まれ変わることでは無いのか。


「神様の気まぐれって事なのかな」


少し考えてからそう思うことにした。現状を真摯に受け止めるしかない。

割り切って考えれば、前世の腐りきったシュールストレミングの匂いみたいに吐き気を催すような世界とお別れする事が出来た。とんでもない悪夢はもう去った。

この世界では穏やかに暮らそう。誰にも虐められない心の平穏を保てる世界を。

折角頂いた第2の人生なのだ、有難く頂戴するのがこの場における最善なのではないだろうか。

問題は山積みだが、なんとかしてこの世界で全力で生きてみたいと、そう考えることにした。



──しばらくの時間が経って街の様子を一通り見終わった悠真は、人のいない路地裏に座り込む。

この街では街頭で人々が商売をしていて、まるでスーパーの朝市を思い浮かばせるような賑わいを見せている。


道を見渡せば老若男女を問わず人間はもちろん、人間では無いような者まで沢山歩いている。あの店の店主らしい蜥蜴のような頭の奴はなんなんだ。


不幸中の幸いか、何を話しているのかは理解出来るのだが、文字だけは理解が出来ないためどこが何の店で何を売っているのかは商品を見ないと分からない。見ても分からないけれども。


それに、食料を買おうにもお金やお金の代わりになりそうな物もない。

困ったことに何も出来ない。今は気にならないが、水や食料が無いのは困る。


そして、1番の悩みは悠真のその見た目である。

何せ、いくら人間では無いような者もいるとは言えど、甲冑やローブなどを着た人間達と違って悠真はジャージ姿だった。いくら色が暗かろうと日の出ているこの時間には目立つ。


例えるならば、日本の渋谷の交差点で1人ピエロが佇んでいるようなものだ。実際、そこまで目立ちはしないくらいに悠真の影は薄いが。


それだけでは無い。この弱々しい見た目、装備品なし、所持品なし。その上、目立つ服装となると、金品と共に命を狙われてもおかしくはない。金品なんて欠片も無いが、奇抜で物珍しい人間は何かしらを持っていると勝手に思われやすい。つまりは格好の的だ。


それに、道行く人はほとんどが武器を持っている。随分と物騒な世の中だが悠真の手元には何も無い。せめてサバイバルナイフでもあれば良かったのだが、今の何も無いままでは何かあったとしても抵抗できないだろう。


極めつけに、路地裏という場所は人気がない。人に見られたく無いので路地裏に来たが、人気がないからこそ日陰者が多いであろう路地裏が今は危険なのだ。


「太陽の位置的に、今は昼過ぎくらいか」


時計も携帯電話も持ってない中、頼れるのは野生の勘と無駄に多い雑学的な知識だけだ。ここが地球と同じような環境であれば、影の大きさから大体の時間を推測する。あれが太陽なのかは分からないが。


「嫌なことは忘れて、こっちで頑張ってみるしかないか」


自分の命を自分で失ったとはいえ、あんな辛い思いはしたくない。思い出すだけで頭頂部がジンジンと痛む気がする。

だから、過去を忘れるために悠真は早速行動することにした。

────────────────────────


「すみません、あの──」


「すみませ──」


「すみま──」


「すみ──」



「…………はぁ………誰も見向きもしないか…」


どうやら話は通用しているようなのだが、顔を見るなり目を逸らしては逃げていく。やはり服装が奇抜だからか、宗教勧誘だと思われているのか、何故かは分からないが逃げられるのだ。


理由も「都合が悪いから」と言われては強気に出る訳にも行かない。買い物呑気にしていただろ、と文句を言いたいけれども。

大方、「面倒事に巻き込まれる」とでも思ってるのだろう。強ち間違いではない。もし学校の通学路に鎧武者が居ると考えれば、気味悪いと思う上に何をされるか分からないから避けるだろう。


人間だから仕方がない。人間じゃなさそうなのもいるけど。


「はぁ」と低く小さなため息をつきながら人の流れに沿って歩いていると、目の前に大きな建物が現れた。

家──にしては大きすぎる。国会議事堂とどちらが大きいだろうか、というレベルだ。感覚的には大きすぎる市役所というイメージだ。外観はヴェルサイユ宮殿のようなデザインで、内装は定期的に手入れをされているのか外観の古臭さとは打って変わって、新品のような新しさと懐かしさのような気持ちのする落ち着く空間になっている。


それにしても随分な賑わいを見せつけてくれる。

悠真は道行く人たちの話後を盗み聞きして、ここがなんなのかついに理解する。

どうやらここは、冒険者ギルドなるものだった。


酒、酒、酒、男、男、男、熱気、熱気、熱気。

沢山の人間の社交場のようなイメージだったギルドは、ただの熱狂するおっさん共の酒飲み場が本当の顔だった。というか、昼間から豪快に酒かよ。

内装の暖かさ以上に暑苦しくてむさ苦しい雄々しい空気に少し顔を引き攣らせながら、人の流れについて行き受付を目指した。


「こちら、冒険者ギルドでございます。ご要件はなんでしょうか」

「え、えーと…初めて利用するのですが…」


受付の女性は眼鏡をかけていて、顔立ちの整った凛々しい人だった。

深い蒼色の長い髪はきっとサラサラとしているのだろうか。女性が少し動く度、ふわっと甘い香りが漂う。


少し女性に見惚れつつ、初めて利用する旨を伝えた。

人と話すのは何年ぶりか。ロクな会話などする事も無いくらいには人生が辛かったので、まともに話せているのかはやや自信はない。唇や声は緊張からか震えている。


受付の女性は、悠真の特徴的な服装に少し訝しんだものの、「はい、了解しました」と一言返事をすると、


「では、こちらの紙に個人情報の記入をお願いします。」

「すみません、文字が書けないのですが……」

「……分かりました、そしたら私が代筆をしますので口頭で質問に答えて下さい」


お姉さんはやや手間がかかるのか面倒くさそうにしながら、それでもしっかりと書類の記入を代筆してくれた。その間も、どこに何の個人情報を記入しているのかから文字を少しずつ理解しようとはしてみたものの、やはりアルファベットですらない異国の文字に脳が対応してくれない。それに個人情報とはいえ氏名、年齢、血液型、程度しか聞かれることもなかった。


「タナベユウマさん、年齢は16歳、血液型はBで間違いないですか?」

「はい、合ってます」

「……個人的な質問なんですが、ファミリーネームが先行する氏名という事は東の島国出身だったりしますか?」

「え、あ、いや、まあ……」


東の島国なるものがあるらしい、ファミリーネームが先行する氏名というのは恐らく苗字が先に来る名前という事なのだろうか。日本や東アジアではよくある光景だが、この世界では珍しいのだろうか。


「──失礼しました、つい珍しくて……。それでは準備がございますので、少々お待ち頂きますね」

「あ、はい」


準備、という言葉に少し疑問を持ったが特に問題があるわけでもなさそうだ。珍しいという発言から、感覚的に外国にでも来たのかという心持ちになった。今後自己紹介する時は「ユウマタナベ」とでも名乗らないといけないのだろうか。

そんな事を考えられるくらいには緊張も解けたようで、「ふぅ」とため息が漏れてしまう。


「準備」とやらを待っている間、悠真は特にやることがなかった。

ギルドを彷徨くのもいいのだが、まだ気は抜けない。

さっきからチラチラと視線を送り続けるいい髭生やしたおっさんらは怖い。勿論喧嘩を吹っ掛けたいわけでもないし、酒は飲みたくない。穏便に過ごしたい。

なので、騒ぎが起きても何とかなるように、受付にちょっぴり近い小さな椅子にちょこんと座った。


──どれくらい時間が経ったのだろうか。体感では15分ほど経った。

急にバン!と扉が強引に開かれ、驚いて音の方を振り向くと、受付の女性が不思議な手のひら大の水晶のような物を持ってきた。

台座に置かれた水晶は翡翠色をしていて、どことなく心惹かれる美しさがある。見蕩れていると


「えー、タナベユウマさん、こちらへ」


と呼ばれた。周囲のざわつきが広まる。


「おっ、久しぶりに見るなぁ!」

「あれをやるってことは…オイおめぇら、いつもの準備しとくぞ!」


この水晶が登場してからやけに興奮してる人が多い。悠真は何をするのか何一つ理解が追いつかない。拷問か?尋問なのか?魔女裁判的な?この水晶は電気椅子的なものなのか?

そう考えると不安が止まらなくなって、冷や汗が頬を伝い困惑と焦燥に駆られる。


「では、この魔石晶に触ってもらいます。それでは」

「あ、え?はい…」


せめて具体的に中身を教えて欲しい。

説明が飛びすぎだ!と、ツッコミをしたいのを我慢して、美人の静かな笑顔の裏の圧に押し負けて恐る恐る魔石晶とやらに手を伸ばす。


指先が魔石晶に微かに触れた瞬間、バリバリバリッ!と紫色の雷が身体中を流れる──しかし、決して痛くない──不思議な感覚が全身に迸る。

炸裂する紫色の光と派手な轟音に体が驚きつつも、さらに手を伸ばして、水晶と手との接着面を広げてみる。


数秒が経つと、雷のような謎の光は消え、魔石晶は役目を終えたかのように透明感が消えて黒ずんでいた。

そしてそこからは見覚えのない異国の文字が浮かんでいるのだ。


「それではこちらへどうぞ」


受付嬢に案内されると、「それではこれを」と言って、カードのようなものを渡された。

金属のような冷たい質感だが、見た目は透明でプラスチックに近い温かみのある、矛盾を包摂したような不思議な板だ。


「それでは、冒険者というものについてご説明をさせていただきます──」


──受付嬢の話を要約するとこういう事だった。


この板は“ステータスプレート”と呼ばれるものらしい。こちらの世界の身分証のようなものらしい。


ここには、個人情報は勿論のこと、自身のステータス、職業などが記されるのだそうだ。

先程利用した“魔石晶”なる物は、このステータスプレートの詳細を記す為の魔道具のようで、読み取った物は全てこのステータスプレートに記されているそうだ。また、データはこれまた別の魔道具に保存されるらしく、紛失したらお金がかかるため肌身離さず持っておくことを推奨された。

所属が記されていて再発行が有料な学生証、という感覚だろうか。


これでギルドに所属した事になるらしく、例えばギルド直轄の鍛冶屋や雑貨屋などでは割引などのサービスが受けられるのはもちろん、ギルドに来た依頼を受理したりアイテムの勘定をしたり、と様々なサービスを受けられるようになった。つまりは無職脱却、餓死回避である。


ここのギルドには鍛冶屋、雑貨屋、エステ、酒屋、魔道具専門店のような店があるとの事だ。

今の悠真には武器や防具がない為、至急鍛冶屋にて取り揃えないといけないので、この場で解決出来るのは非常に助かる。


魔道具、は想像がつかないが、魔法的な何かがこの世界にあるという事なのだろうか。

酒とエステは……興味がないのでどうでもいいか。


最後にランクの話をされた。

冒険者という役職は、貢献度やその実力に応じてランクが付けられるそうだ。

ランクは全部で7段階あるらしい。最初は白でそこから紫、黒、銅、銀、金、白金と上がっていくらしい。与太話だが、白金は現在10人ほどしかいないくらいには少数なのだとか。

ランクが上がることによって受けられる依頼の幅も広がっていくらしい。こんな感じのシステムは日本にもあった気がする。


長い説明が終わると、見覚えのない酒場の一人の男が叫んだ。


「それでは、新たな冒険者の誕生に!乾杯!」

「「「「「「ウオオオオオオォォ!!」」」」」」


ギルドの盛り上がりが頂点に達していた。

なるほど、噂話は自分への陰口ではなくステータスプレートへの登録についてであらせられたか。

その対象の新たな冒険者──悠真はただ呆然と苦笑いをしながら突っ立っているだけなのだが。

悠真は新たに手にしたステータスプレートなる物に目を見やる。

さっきの書類と違って、日本語のゴシック体で


────────────────────────

タナベユウマ 16歳

職業:冒険者 ランク:白 Lv:1


ATK:15

INT:8

DEF:5

RES:5

AGI:10

DEX:12

LUC:50


────────────────────────

と書かれていた。

親切設計なのかそういう物なのか、それともそう脳が認識しているだけなのか、原理は全く分からないが、知っている言語で可視化されているのは非常に助かる。


そして恐らくこの謎の数値こそが『ステータス』と言うやつなのだろう。個人の能力を数値で可視化する、というのは噂に聞くRPGのような世界を髣髴とさせる。

気になるのは、HPやスタミナのようなステータスが無いことだ。これがRPGの世界ならゼロになった途端死ぬのがセオリーだが、この世界ではどういう理屈なのだろうか。そのようなステータスは前世と同じ、という事だろうか。


次に気になるのは、この世界においての平均ステータスだ。これが悠真の現在のステータスだが、実は特段人より優れていたりする可能性はゼロではない。そう考えるとワクワクはする。

とはいえ、前世には無かった概念だったためステータスについていまいち理解が出来ていないが、そのうち別の人にでも教えてもらえば良いだろう。


因みに、白金の称号を持つ冒険者のステータス平均は、基本的に万を超えているとか言われていた。小耳に挟んだ情報だが。一体レベルの上限はどこまで行ってるんだ。


簡単な地理も教えてもらった。

この国は『バルモンド王国』と言われ、地上界三大陸の中でも人間領と言われるアスカディナ大陸の東半分程を占めている大国だそうだ。

その中でもここは王国の辺境、大陸の極東に位置するエルルシャという街なのだそうだ。


エルルシャは東が海、西から南にかけて、かなり広大な樹海が広がっていて、交通や貿易などは全て北の交易ルートからの物資か東の島国の資源に委ねられているそうだ。受付の人の言っていた東の島国とは恐らくここの事なのだろう。

西から南にかけて広がる樹海には多数の魔獣や害獣などが住み着いていて、未だ開拓も全て終わっていないような危険な場所もあるとの事だ。


だがそれでも、王国領で1番平和な場所と言われているそうだ。


慌ただしかった一日の感想としては「夢を見てるんじゃないだろうか」ただ一つである。

崖から飛び降りて、死んで、生きて、異世界で冒険者になったというのだ、情報量が多くて十分頭がパンクしている。

だが、折角拾った命だ。今でも人は怖いけれど、自分を脅かす人は前世ほど多くは無い。きっとトラウマや価値観の違いから苦難は多いだろうけれど、せめて前世にできなかった楽しい生活を送りたい。


やっと一息がつけた所で、窓側の席に座る。

運がいいのか、はたまたそのような席なのか、窓に目をやると目の前には夕焼けが煌々としていた。


そんなに長い間いたつもりでは無かったのだが、気付いたらもう既に夕方になっていたらしい。

そんなこともどうでもいいくらいに夕焼けに見蕩れながら、今後どうしていくかについて惚けながら考えていた。


「どうだ、キレイだろ」

「はい…めっちゃキレイ……って誰!?」


自然な流れで返してしまった。これがノリツッコミってやつなのだろう。

少しだけ初めての俗世的行動に感動しつつ声のするほうを振り向くと、そこにいるのは、少し褐色じみた肌色の禿男──ガタイはいいが、傷まみれの4、50代くらいの男だった。


「すまんすまん」と、男は笑いながら悠真に話しかける。


「俺の名はサモンだ。よろしくな、兄ちゃん」

「僕はユウマ…です。よろしくお願いします」

「兄ちゃん、ギルドは初めてだろ?って事はお金、無いんだろ??」

「……仰る通り……全くもって無一文です」


カツアゲをされるのかと思っていたら、まさかのお金の心配をされるとは思わなかった。

この大男が全身からプレッシャーを放っているため、悠真は萎縮しきっていた。傷塗れや体躯の良さ、腰に下げられた重苦しい斧から圧を感じてしまう。


大男──サモンは「そうかそうか」と繰り返し頷くと、「ま、そうだよな」と言いながらにこりと微笑んで、ポケットから紙幣を取り出したのを見て悠真はぎょっとした。


「そのナリじゃあ冒険もなんも出来ねえだろ、せめて武器と防具くらいはこれで買いな」

「いやいやいやいや!!!そうは言っても流石にお金は受け取れませんって!!!」

「でもお前さんも見たろあの歓声、みんなお前さんを祝ってるんだぜ???」

「そもそも僕は彼らの誰とも話してなかったんですけどね!?」

「でも今俺と話してるじゃねえか」


大声でツッコミを飛ばす悠真に向かってガハハ、と豪快に笑うとサモンは、お金を机に叩きつけながら「じゃあまたな!」と、そそくさと帰ってしまった。

その様子を、ギルドのおっさん達は小動物を見るかのような暖かい目で見ていて、悠真はなんとも言えない気まずさと感謝から渋々お金を受け取る。


「1、2…3000ゼルも貰っちゃった…」


ゼル、とは地上界三大陸のの通貨だ。

1ゼルの価値は大体5円くらいという印象だ。

つまり、換算すると悠真は1万5000円を初対面の男に貰ってしまったのだ。


「今度会ったら…お礼言わなきゃな…」


誰もいなくなった窓際の席で、そそくさと帰った褐色肌禿男に感謝をする。

1万5000もあればご飯も水も防具も武器も買えるだろう。

次に悠真は装備を整えるべく、鍛冶屋へ向かった。


鍛冶屋はギルドの酒場の裏側に位置し、ギルド直轄だけあって、「鍛冶屋」という言葉から想定していた職人のいる狭い空間のイメージを破壊され、大規模な工房のような印象を受けた。

その大きさは鍛冶屋というか、どちらかと言うと武具店にしか見えない。奥の部屋から金属を叩く音が聞こえるまでは炉があることすら信じられないくらいだ。


「すみません!誰かいますか!」

「およ?」

「うわぁっ!?」


大声を上げて人を呼んだら、真下から現れた人影に驚き、尻もちをついてしまった。

体を起こすと、鍛冶屋の受付の机の下から、太った小人のような老人が顔を覗き込んでいたことに気付く。


「お前さん、見ない顔だのぉ。新入りかい?」

「は、はい……タナベユウマです」

「なるほどなるほど、見るからに防具も武具もないといったとこかのぉ。ちょっと待っとれ」


老人は悠真を見るやいなや装備品の不足を見抜き、何も聞かずに装備品を取りに厨房へ入っていった。

流石に熟練者と言うべきか、それとも職業的に見分ける技能が必須なのか、言わなくても伝わるとは思わなかった。目は口ほどに物を言うという事だろうか。


「ほれ、これじゃ」


1分くらいすると、老人が装備品一式を持ってきた。

案の定あまり強そうには見えないが、ジャージのような薄い生地よりは安心感が持てる。

鉄のメイルに鉄のレギンス、鉄のアームに鉄の剣と、まさに鉄一式装備だ。見た目がダサいことは口にしないでおこう。


「とりあえず初期装備一式じゃ。こればっかしは金は取らんよ」

「あ、ありがとうございます!」


老人の善意かはたまたサービスか、一銭も使わずに初期装備なる装備一式を受け取ることが出来た。

とりあえず装備をしてみる。どうやら【付呪(エンチャント)】という魔力がかかっていて着る時にサイズは自動調整されるとだとか。便利すぎる。

やはりは鉄製と言うべきか、重くて動き辛いように感じるが、造り手の手が込んでいるからか一挙手一投足の行動に馴染む構造をしている。恐らく慣れたら違和感なく使えるようになるだろう。


個人依頼(オーダーメイド)も受け付けてるでな、気が向いたら顔出すんじゃよ」

「わ、わかりました」


オーダーメイド、という事は自分にしか使えない、この世に一つだけの装備も作ってくれるということだろう。お金が無くなりそうだから生活に慣れたらにしたい。


装備を身につけて鍛冶屋を出ると、窓の外はすっかり暗くて、街灯のあまり多くないこの街では、辺りがすぐに闇に染り、日本の夜の山奥みたいな暗さをしている。

一応、雑貨屋にも顔を出し、ついでに夜ご飯を買うことにした。せっかく貰ったお金なので温存をしておきたいが、やはり餓死は耐えられない。この世界に来て未だに何も口に含んでいないので流石に腹も減ったし喉も渇いた。


雑貨屋は、本当に色々なものを売っていた。

様々な種類の日用品の魔石と呼ばれる道具や、食料品は勿論のこと、雑誌や、新聞までもが売られているのは驚いた。


コンビニかよ!とツッコミたいくらいに、様々なジャンルの商品が並べられていて、しかしコンビニとは大きく異なりかなり商品は安い。


とりあえず安いパンを2個買っておいた。見た目はクロワッサンとフランスパンを足して2で割ったようなパンで、試食したが味はまずまず、と言ったところだ。硬さがある見た目をしながらそこまで硬くもなく、ボリュームがある上にパンの中では最も安い。


1個30ゼルと、比較的安く、あまり消費はしなかった。150円でそれなりの大きさのパンが買えるのだ。

味に目をつぶればコスパ最強はこのパンだろう。

加えて水を1リットル買ったが、水も1リットルで20ゼルと格安価格だ。その癖ただの水なのに意外と美味い。塩素の味が無い自然100パーセントだからだろうか。

というかパンも水も安すぎやしないか?物価恐ろしいな。


ふと、これからについて歩きながら考えていた。


一体この世界はどこなのだろうか、いつまで居られるのだろうか。ここで死んだらどうなるのだろうか。あのまま飛び込まずに生きていたらどう過ごしていただろうか。これから生きていけるだろうか。そのような事を考えながら、それでも今を生きる決意を決めた。無論、元の世界に帰る気は無い。

まあ、帰ったところで居場所が最初からないが。


サモンさんのように、誰にも優しい人になりたい。今はまだ人の目線が怖くとも、少しづつ人や世界に慣れたい。

そして借りたお金も返さなければならない。


そうと決まれば、まず明日からは任務をする。

とりあえず、収入を安定させて餓死しない生活を続ける。まずはそこからだ。


そして込み上げるこれからの生活に対する高揚感と、嫌だった世界から離れられたという開放感と、1人での生活に対する不安によって引き起こされた異常に高いテンションの中で、鼻歌を歌いながら人気の無い路地裏に入ると──


──白髪の小柄な少女が倒れていた。



───────────────────────


ここは、深淵の中。夜目の効く人間でも何も見えないような深い闇。

そんな時空の狭間で、ただ1人居座る何かがいた。

威圧感。ただ存在だけが辺りに畏敬の念を抱かせる圧倒的な威圧感が時空の狭間を満たす。


眩しいほどの玉座の周りの蝋燭の灯火が、何かの姿を明確に映し出す。

男だ。ただの男では無いのだろうが、その姿は男だった。


「ふ」


──それは、笑い、なのだろうか。

男は頬杖をつきながら、虚無の深淵に声をかける。


「彼はこの世界に呼べたのか」

「はい。あの者を連れてくることに成功しました」


どこからともなく闇から現れたのは1人の女性、と思えるような人物だ。

絶妙なタイミングで質問に答える。


「しかし、あれを彼に授けて良かったのでしょうか?」

「あぁ。寧ろあれは彼にしか使えん。少し昔の彼奴と同じだ」


男は部下の疑問の色を感じ取ると、「300年前を思い出すなぁ」と表情一つ変えずに、静かな声音で答える。


「あれを授けていいのは、適性のある人間だけだからな。田辺優真には、それがある。」

「──?はぁ、よく分かりませんが」


部下の返事に小刻みに男が笑いながら「君はそれでいい」と呟いた。

部下としてはますます困惑が深まるばかりである。


それでも良かったのだ。

過程など、どうでもよかった。


「それにしても、これでようやく準備が整いましたね」

「あぁ。実に、実に楽しみでならないよ」


計画は成功していた。それだけだ。

男の声が、極上の晩餐を楽しんだ直後のような甘い声で静かに笑う。


誰も、この話を聞くものはいない。

誰も、この話を信じるものはいない。

誰も、この話を受け入れる者はいない。


ただ深淵が辺りを闇に染めているだけだった。

それだけの事だった。


乾いた男の笑いが、何度も闇に木霊しているだけだった。

耳に残る笑いは、いつか深淵の中に吸い込まれる。


「──期待しているよ田辺悠真君。君たちが私を殺しに来るその日を」


謎の人物は、最後にそう言い残して、暗闇の中に解けるように消えていった。


蝋燭の光は、いつの間にか消えていた。

明確な殺意だけが、玉座を見つめながら。


暗闇だけが、そこに佇んでいるだけだった。

誤字脱字、不明な点等ございましたら報告願います。

次回の投稿は未定です。

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