一章9話『無力でも』
お久しぶりです。
これからも不定期で上げていきます、読んでいただけるだけでも幸いです。
「やっぱり洞窟ってのは薄気味悪いな」
水滴が滴る洞窟内部。
サモンは警戒態勢になりながら探索を進める。
サモンの腰に提げられた装備品の一つである魔石が照明となって辺りを照らしているものの、光源としてはもの足りず薄暗い。
加えて僅かに目に飛び込んでくる光景はおびただしい数の血痕と死骸だけだ。
鼠や鳥などの小動物の死体だけではなく、人間ともゴブリンともとれる何者かの白骨死体も粗雑に捨てられていた。
「それにしてもここにこんな洞窟があったなんてな」
ギルドは未だエルルシャ樹海の半分程度しか開拓しきれていない。この洞窟のある場所は非開拓の土地で、おまけに100年近くは調査の滞りがある地帯。優占種の出現が観測できないのも頷けるが、それ以上に相当野放しにされていた事も容易に想像できる。
「まあ、冒険者の減りや実力不足のせいで開拓に十分な人手が少ないってのに開拓も調査も無理か」
開拓しきれていない一番の原因は人手不足だ。
冒険者は常に死と隣り合わせであり、新規の冒険者の数が増えようとも、増えた分よりも多くの冒険者が命を落とす。特に入りたての、力を徐々に身につけて鼻が高くなった新星が出鼻を挫かれるケースが何よりも多い。
当然ながら新入りの冒険者に未開の地の開拓などをさせるはずもないし、ベテランが駆り出されても今回のウィルの様に全滅するケースも多い。
現状ギルドは開拓の放棄とも言える状況下にあるのだ。
「それにしてもこの洞窟は広すぎる。──血の匂いが濃いのはこっちか」
サモンは五感を満遍なく活用して、より戦闘の激しかった場所を目指す。
比較的新しい血溜まりとゴブリンの死骸を踏みしめながらサモンは、洞窟の食料庫に辿り着いた。
そこには乱雑に投げ捨てられた食べかけの果実や王国への移入品が箱ごと置かれていた。
「うわ、臭っ!!絶対何かしら腐ってるだろ!!」
ただでさえ洞窟内は酸素が薄く、空気が立ちこめていて気分が悪いというのに、腐った食料がそのまま放置されているのか血腥い死体と腐乱臭が鼻腔を刺激する。
自然と吐き気が込み上げるが、喉元まで上がってきたものを根性で飲み込みつつ血溜まりの上を歩いていく。
やはりハイベルの仕業か、並程度のゴブリンの死体が辺り一面に散らばっている。
岩肌の元の色も分からなくなる程に飛び散った血痕が戦闘の激しさを物語っていた。激しい戦闘で多くのゴブリンが死んだのか、サモンが洞窟に入ってからは一切ゴブリンに遭遇しなかった。
「こりゃまた派手にやったな、あいつ」
魔物の血液は人間の血液よりも濃い色をしているため、古典的な冒険者は血痕等から索敵をすることが多く、また経験を積むことでどれほどの戦いの規模なのか、いつ発生した戦いなのかなど、事細かい事まで分かるのだという。
今回はあまりに血液の量が多いが、そのどれもが黒に近い赤色をしていて、人の血痕が少ない事から一方的な戦いが行われていたことが安易に感じ取れる。
「ただ、《マスターゴブリン》が出たってんなら、流石のあいつでもただじゃあ済まねえだろうな」
サモンが独り言を零しながら食料庫を突き抜けると、そこには恐らくこの洞窟内で最も広い空間が拡がっていた。
天井の高さと通路がない事がこの洞窟の最深部であることを語っており、この部屋はゴブリン達にとって最も重要な場所であることが分かる。
最奥の空席の石製の玉座が証明しているように、《マスターゴブリン》は実在していたのだろう。
サモンは、玉座の前のこの世のものとは思えない血溜まりを見逃さなかった。
激しい戦闘・攻防というよりは、まるで一方的に蹂躙されたかのような血痕。しかし色合いは人の物であり、間違いなくハイベルの物だと断定できる。
「畜生、一刻も早く見つけてやらねえと……」
などと言っていると、数メートル先の血溜まりの中に、何やら死体のような肉塊──否、瀕死のハイベルが横たわっているのを見つける。
死んでいるかと思っていたが、微かに胸部が上下しており、蚊の鳴くような音の呼吸音が聞こえる。
「……ハイベル?お前……生きてんのか?」
サモンは心の底から驚いていた。
この惨状、血の量を考えれば普通は死んでいるものだと推測して物事を運ぶものだ。実際に、ハイベルの横たわる床に溢れ出した出血は致死量を超えている。
しかしハイベルは文字通り虫の息で辛うじて九死に一生を得ていた。腐っても金ランクだからか、しかしそれでも肉体は着実に死に向かっている。放置はできない。
「待ってろ、助けてやるから」
サモンはすかさず万能薬をハイベルの口に流し込む。万能薬には即効性が無いものの、極端に生命力を回復させる事が出来る激レアなアイテムであり、死にかけの人間の生命力を全盛期以上まで回復させる効果を持つ。
万能薬の効果で怪我が治る訳では無いが、生命力は怪我を早く治す為のエネルギーにもなる為、生命力を回復する事で生存確率を大きく上げることができるのだ。
怪我が治らないのと同様に、失われた血液は取り戻すことが出来ないので、そこはある程度元気になった時に丸薬を飲ませるしか方法はないだろう。
「……奴を……倒した……んですか……?」
「いや、まだだ。この中にいると思って探しに来たらいいんだが、この洞窟には優占種どころかゴブリンにすら遭遇しなかった。どこへ行ったんだ?」
血を吐き出しながら、ハイベルは微かな声で話し始める。
よく見ると左腕は今にも千切れてしまいそうな様子であり、骨は数十本は折れていると推察できる。無論、常人なら死んでいる怪我であるにも関わらず、まるで何かしらの強い意志が無理矢理生かしているように見えた。
サモンは応急処置を施しつつ、《マスターゴブリン》の情報をハイベルに求めた。
「奴は……上に……行きました…。…恐らく、あなたの…うっ、存在を……っ感知して……」
「上だと?」
痛みに悶えながらハイベルが情報を開示する中、サモンは冷や汗を浮かべていた。
上には悠真とシェアラを置いてきたからだ。彼らはつい一週間程度前にギルドに登録したばかりの冒険者のヒヨっ子。優占種は勿論、ゴブリンの上位種にすら勝てるか危ういような人間だ。
確かに外に残ると言い出したのは二人だが、判断としては間違いではない。少なくともこの狭いスペースで二人を守りながら戦うのは骨が折れる。しかし、それなら言葉に甘えずに連れてくればよかったと後悔する。
当たり前だが、彼らが優占種を相手にすれば直ぐに嬲り殺しにされてしまうだろう。サモンの致命的な判断ミスだった。
──いや、初めから弱い2人を狙っていた可能性があったのかもしれない。
「……ド畜生め、並外れた知能もあるって事かよ」
どちらにしろ、サモンは至急洞窟の外に出なければならないが、瀕死のハイベルが多少は安全な状態になるまで元を離れる訳にも行かないという究極の2択を強いられる。
この葛藤から苦痛の表情を浮かべるサモンにハイベルは尋ねた。
「……上に、誰か……いるんですか…?ゲホッゴホッ」
「……あぁ、子供2人が上で待ってる」
「……なら、早く…………上に……、僕は大丈──」
瞬間、サモンは気配を察知する。咄嗟にこの部屋の入口を振り向いたサモンは、この玉座の部屋に駆け寄ってくる足音を耳で感じ取っていた。
ただしそれがゴブリンなのか、それとも異変を感じた悠真達なのかは一切分からない。分かることは、走ってくる足音は1人分という事だけ。
サモンは腰から斧を抜き、戦闘態勢に入る。
「──サモンさん!ユウマが!!」
「……嬢ちゃん?」
注意深く入口を凝視すると、見覚えのある銀髪の乱れた小柄な少女が、蒼白した顔で助けを求めてきた。
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「ぐっ……!」
回避、回避、回避。《マスターゴブリン》の即死級の攻撃をなんとか紙一重で躱すものの、悠真は反撃の思考を許されなかった。暴力的なまでのその一挙手一投足を、痛みと苦しみの中で辛うじて避ける事しか敵わない。
シェアラはもう洞窟の中に入っていった。彼女の【疾走脚】なら悠真よりも精度が良く、数分も経たないうちにサモンの元へ着く。なら少なくとも安全だろう。
しかし、現在の状況が悠真にとっては最悪なものであることには変わりない。
あの丸太のような腕から放たれる拳が直撃したら死ぬ。初めの腹パンで既に防具が役割を果たせなくなり、ほぼ裸で戦っているのと同じ耐久力となったのだ。結果、「1度もダメージを受けてはいけない」という強制縛りプレイが始まってしまったわけだ。
「てやぁぁぁぁあああ!!!」
「ヌッ!」
「えっ……?」
隙を見計らって怯ませようと剣を全力で振り下ろすが、鈍い音と共にナマクラが砕け散った。たかだか魔物の筋肉にだ。
確かに剣は横の衝撃に弱いとよく聞く。横に強い力を加えればいとも簡単にへし折ることが出来るとはよく言う。
実際に悠真の剣は魔物の血液で錆びており、初期装備の為、武器の耐久面がお粗末である事を加味してはいるものの、真っ直ぐ縦に振り下ろしたにも関わらず傷すら付けられずに《マスターゴブリン》の筋肉で刃が砕けた、というのは信じられない。
いや、目の前で起きているのだから信じざるを得ないといった所だ。
そのような《マスターゴブリン》の異常なまでの肉体の強さに、悠真は想像以上に動揺していた。
そして、狡猾な相手はその隙を見逃さなかった。悠真が硬直したのをいいことに悠真の右腕を掴み、そしてそのまま遠くの壁に投げつけられる。
「フウンッ!!」
「がはっ……!」
肺の空気が無理やり押し出されるような感覚に吐血する。同時に数秒の間、呼吸も覚束無くなった。頭の中で光がチカチカと舞う。なんとか呼吸をしようと無理やり息を吸ったら、血液を誤嚥して噎せてしまった。
痛みには慣れているつもりだったが、流石に比較対象の父と比べても《マスターゴブリン》は圧倒的に強すぎる。悠真は血混じりの吐瀉物を吐き、涙を目に溜め、鼻血を出しながら、それでも戦わなければいけない状況下にあった。
理由は2つ。
1つは冒険者ギルドの人間が時間差でここにやってくるということだ。受付の人が後から人を送ると言っていた。つまり、サモンさんが来るまではここで相手をしなければ、他に犠牲者を増やしてしまう恐れがある。
そしてもう1つは、生きる為に。確かにこの世界で死んだらどうなるのかは疑問ではあるが、この脳を劈くような痛みがある時点で夢ではないのだ。再び死ぬなんて御免だ。大人しく犠牲になどなりたくない。折角楽しいと思えるようになってきたのだ、こんな所で頓挫などしてられない。
とはいえ、自分一人では叶わないのも事実だ。諦念も僅かに芽生えてきているのを実感する。
「サモンさんが……来るまで……、耐えれば……!」
後はシェアラを信じるしかない。彼女なら【敵探知】もある。最短でサモンに辿り着けるだろう。それまでは、悠真が《マスターゴブリン》を惹き付けなければ。
「……ごほっ、もう1発食らったら……終わりだな…」
自分に向かって近づく重苦しい足音を聞きながら、無理矢理悠真は立ち上がる。
恐らく今ので肋骨は折れただろう。それに、激痛と嘔吐感になんとか耐えている満身創痍のこの状態で、最初の数分のように攻撃を躱し続けられる自信など毛頭なかった。
腹パンと先程の叩きつけで両腕は腕と思えないほど曲がりきっている。それに加えて胴体の骨も折れている感覚があり、尋常ではない痛みが常時襲いかかる。呼吸するのも一苦労だ。
本当は叫び声を上げながらのたうち回って悶えたいほどだが、何とか口の端を噛むことで平静を無理矢理保っている。アドレナリンが止まらないのだろう、普段なら絶対我慢できない痛みだ。
幸い足だけはまだ元気な為、走り回る事は出来そうだが、この怪物相手ではすぐに追いつかれてしまう気がしてならない。というか恐らくは、手加減してこれなのだろう。
「……もしかしなくても…詰んでるのか…」
ドスンドスンと足を踏み鳴らしながら近付く化け物が、砂煙の向こうから殴りかかってくる影が見えた。
「……んがぁぁあ!!」
痛みに苦しむ体を無理やり動かして全力で横に回避すると、先程まで悠真がいた所には小さなクレーターが生じていた。
サモンが斧を振り落とした時と同じくらいの大きさだろうか。この世界の筋肉は全てを凌駕するとでも言うのか。
「……喰らえ!」
悠真は【風刃】を打ち込みつつ、その風圧を利用して膝の震える足を奮い立たせながらある程度の距離を取る。欲を言えば多少の傷くらいは付けて欲しかったが、《マスターゴブリン》の身体にとって不可視の鋭利な斬撃は小石混じりのそよ風程度の印象でしかなかったようだ。
「……カユイ」
「……ですよね」
悠真は苦笑いするしか無かった。
絶望という文字をそのまま体現したかのような存在を目前に控えて出来ることは、奴のサンドバッグになる事だった。
「……いや、サンドバッグなんかになってたまるかァァア!!!」
「──!」
決死の雄叫びを上げながら悠真は《マスターゴブリン》が再び繰り出した拳を紙一重で躱し、【疾走脚】を展開する。
「……今の僕に出来ることは……!考えろ……!考えろ…!!」
【疾走脚】を極めればよりアクロバティックな動きを行う事ができるようになる。空中や水中といった場面では、移動が快適になるだけでなく戦闘面でも相手を翻弄出来る。
これは前日の魔術習得の際にシェアラから聞いた話だ。
この魔術が「単なる移動速度バフ」から「戦闘形態の多様化」に昇華出来たら少しは逆転出来るのでは無いか。【氷牙】でイメージを徐々に変えて行ったように、【疾走脚】のイメージを変えれば、攻撃手段が無くても相手を翻弄出来るのかもしれない。
そうなれば状況は大きく変えられる。
「イチかバチか……やってみるしか……!」
《マスターゴブリン》の丸太のような腕が飛んでくるのを見切り、悠真は【疾走脚】に込める魔力を瞬間的に増やす事で噴出する風を増やした。
【疾走脚】は風の靴を履くようなイメージだったが、よりアクロバティックな動きの為に、「踏み込む度に風を吹き出す靴」に変換する。
「うおぉお!!?」
力み過ぎたのか、大きく飛び上がった事でパンチを避けることは出來たものの、そのまま前方に回転しながら吹っ飛んで行った。
パンチよりはマシだったのだろうが、赤紫色に染った腕に追い打ちをかけるダメージを負い、悠真は悶絶する。
「ぁぁああ!!……はぁ、はぁ、でも、距離は取れたぞ……」
幸いな事に当初の予定通り距離を引き離すことが出来た。高々数メートルが数十メートルに伸びただけだが、悠真にとって僅かでも距離が伸びる事こそが生存確率を上げる可能性に繋がるきっかけであった。
「……これで……!!【氷槍】!!!」
2度目の【氷槍】を放つ。。勿論傷を付けられるわけでも無いが、質量と威力からある程度吹き飛ばすことは出来る。
「ヤルナ……オマエ……!」
「……どこが!」
「ヨワイ……ノニ、オレト、タタカエル」
確かに悠真のステータスは弱い。シェアラには「平凡すぎる」と酷評されてしまったし、肝心の運の良さもいまいち発揮されているのか否か判断できない。
そんな白ランクの悠真が、《マスターゴブリン》と戦えるというのは、確かにおかしいのかも知れない。
その前に《マスターゴブリン》が人の言語を話している事に違和感を感じなかったが、優占種はそういう物なのだろうか。
いや、今はそんな事を気にしている場合でも無い。
「そりゃあ、負けたくない理由があるから……ね!!」
「ウグゥ!!」
【氷牙】を《マスターゴブリン》の足元から顎に目掛けて放つ。ゴブリンという種族が人間に近い種類であるのならば、顎に攻撃を当てることで軽い脳震盪程度なら起こすことが出来るのでは無いか。
結果は案の定と言うべきか、特に何も起こらなかったが、不意打ちという意味では成功していたのかもしれない。先程とは打って代わり、多少の怯みくらいはしたようだが、しかし。
「ヒキョウ……!コロス!!」
「なっ……!?」
巨体は怒声を上げながらすぐ近くの木を引っこ抜き、悠真に向かって投げつけた。
マスターゴブリンの怪力には毎度のように度肝を抜かれるが、ここまでできるとは想像もつかなかった。
想像以上に早く飛んできた大木から身を守るために死にかけの腕を組んでガードしたが、まるで意味を為していないかのような衝撃が全身を駆け抜ける。
気付けば近場の崖に背中からぶつかり、大木と岩とで押し潰される形となった。
「…………ぁぐ、はぁ、はぁ……」
やっとの思いで僅かな隙間から這い出すが、ザラザラとしたこの表面や想像以上に鋭利な岩が傷口に塩を塗り付けるかのような痛みを与えてくる。
血の出しすぎで意識が朦朧となりながらも、1歩1歩足音を立てて近付いてくる《マスターゴブリン》の目の前では、一瞬たりとも気が抜けない。
「……考えろ、この場に……サモンさんが来るまでどうするべきか……!」
《マスターゴブリン》には並大抵の攻撃が効かなかった。剣の刃は折れ、初級魔術ではかすり傷もつかない程度しかダメージを与える事が出来なかった。
唯一多少のダメージを与えられたのは【氷槍】だけだが、今の悠真の技術では構築に数秒の時間が要求される。
それにダメージとは言っても、せいぜいあの巨体を数メートル後ろに退けさせる程度だ。悠真が倒す事は不可能なのは言うまでもない。
【光明】を目眩しに使う作戦も思い付いたが、もう日が昇っている以上、洞窟ならともかくこの広々とした外の空間であの光を使ったのでは、ただの自殺志願にしかならないだろう。
【疾走脚】はいつでも使えるが、流石に軽快に空中を舞うのは難しい。また転んで先程同様隙を突かれてしまうし、それでは今度こそ殺されてしまう。
加えて、他に切り札は何一つない。
こうなると【氷槍】を使ってヒットアンドアウェイに徹するという従来の作戦しか方法はない。
「……ははっ、もう詰みじゃんか」
「ゥゥウ……!」
少しずつ近付く化け物の唸り声が、悠真の恐怖心を掻き立てる。この恐怖心は死と対面した時の根源的な恐怖だ、崖から飛び降りた空中で感じた恐怖と同じような。
この出せる拳の見つからない戦いに、渇いた笑いが込み上げてくるほどだ。
「ウグゥウオオォォォオオオ!!!」
「まずっ──がはっ!!!」
突然猛牛のように突進してくる《マスターゴブリン》のタックルを躱そうとするが、悠真の体はもう限界の域を優に超えていた。
《マスターゴブリン》のタックルの直撃は何とか避けたものの、衝撃波によって大きく吹き飛ばされ、背後の樹木に背中から衝突した。
たかが衝撃波だが、全身が痛みに覆われている悠真の意識を刈りとるには十分以上の威力だ。
全身が震え、嘔吐感が脳を支配し、噴き出す血液を僅かな五感で感じ取りながら、糸の切れそうなくらいの辛うじて保っている意識が、ここからはもうどうしようもないことを悟っていた。
「……モウ、オマエ、ウゴケナイ」
「……そ、ぅだ……な……」
至近距離の《マスターゴブリン》が生臭い溜息を吐き出す。
己の甘さと無力を呪い続けながら、生暖かい吐息と気色の悪い感覚から血と吐瀉物の混ざった半液体を吐いた。
無力の自分に出来ることはやれた。もう何分経ったかは分からないが、ここまで生き残れたのだ。自分のことを賞賛してやろう。最も、来世があればだが。
そんな事を考えながら、悠真の瞼が落ち、眠りにつくように意識が落ちる。
《マスターゴブリン》は微動だにしない悠真を確認すると同時に、近くの木を再び引っこ抜いた。
「サラバ、ツヨイ、ニンゲン」
《マスターゴブリン》は、既に意識のない悠真に言い聞かせるように呟くと、大きく大木を振り被った。
一拍空いて、
「ヌゥゥウウウ!!!」
雄叫びを上げながら、悠真に振り下ろされる。
その四肢は跡形もなく潰れ、人としての形を留めない肉塊になる。心臓が爆ぜ、辛うじて息をしていたであろう悠真が赫い華を咲かせる。
──本来ならばそうなる筈だった。
「──!?」
「……おいおい、俺の連れを勝手に殺すなよ」
振り下ろされた大木を軽々と片手で受け止める褐色肌の禿頭の大男。
この筋骨隆々な見た目、この野太い声、この人間離れした力。
「……何とか、本当にギリギリ間に合ったみてぇだな」
その男はまだ生きている悠真を驚き半分、安堵半分で確認すると、庇うかのように悠真に背を向けて仁王立ちする。
「ヌゥ!?」
「随分と楽しんでくれたみたいじゃねえか、なあおい」
片手で握る巨木越しにそれを持つ《マスターゴブリン》を投げつけ、静かな声音でサモンは指をポキポキと鳴らし始める。だがそこには、ふつふつと湧き上がるような怒りの感情も込められていた。
「灸を据えてやる、とっととかかってこいよ」
「ヌゥ……オマエ…………ツヨイ」
サモンは一回り図体の大きい《マスターゴブリン》を見下しながら、口の端を釣り上げて不敵に笑うと、腰に提げた斧を構え始めた。
誤字脱字、文脈のおかしな点などあればご報告していただけると幸いです。
マスターゴブリンに《》が付く理由ですが、優占種だからです。
優占種は同じ種族の中でもめちゃくちゃ強いだけなので、生物学上では同じ種とされます。今回の場合ではゴブリンという魔物の中の頂点の存在として区別化するために《》が付くという世界です。要は突然変異個体の二つ名です。
あと、優占種は魔物だけでなく魔獣などにも存在はしています。原理は少し異なりますがいずれ出てくると思います。




