過去話①
ミリアーナ・アーテルは幼い頃は内向的で控え目。努力家で物分かりのいい少女だった。
対して婚約者のアシュリー・カプリスは他人に完璧を求めた。女性は貞淑で男の一歩後ろで控えているものだと教えられたが故なのか、ミリアーナにそうあれと求めた。
我儘でひとつのことしか物事が考えられず、とくに怒りの感情を抑えることが苦手だった。
例えば、自分の思うようにいかないことをミリアーナがすれば「何故それができないのか」と責め立てた。
普通の女ならばその理不尽な怒り、感情に身を任せて泣くか婚約を事態するだろうが、ミリアーナはそういうワケにはいかなかった。
というのも、ミリアーナの家、アーテル家は代々王国の№2である宰相という地位を輩出している家系。
王族と強いつながりを持つことでその地位を盤石にする必要があったからだ。
人一倍使命感を持っていた少女ミリアーナは幼い子が抱くような「アシュリーと婚約したくない」己の子供のような感情を押し込めた。
すべては家の為。使用人たちを露頭に迷わせないためだと自分のわがままを飲み込み続けた。
しかし、中等部へあがるのをきっかけに今までのアシュリーとミリアーナの関係性が変わることになる。
マリアという女の存在が関係していた。
★
アシュリー・カプリスは女という生物にうんざりするほど呆れていた。
自分は利益を生み出せない癖に一人前に口を開く。
喜怒哀楽が激しく、すぐに自分の不満を態度に表す。
自分の王族の地位に惹かれて光に群がる虫のように媚びへつらう。
女という生物の声も行動原理も態度も。匂いも表情もすべてに嫌気がさしていた。
それを言えばミリアーナ・アーテルという人物はアシュリーにとってはさしてデメリットにならない存在だった。
物分かりがよく大人しい。こちらが質問することにきちんと答え、自分に対する無駄な質問はしない。
年相応の女のように甲高い声で自分を表現しなければ、贅沢をつくすほど金遣いが荒いこともなかった。
稽古事の励み、常に家のためにと理不尽なことを我慢する少女だった。
アシュリーは周りの女性と比べるとミリアーナのことは買っていた。
そう、初等部卒業までは。
2人の関係が変わったのは学園の中等部入学、ちょうどマリアがアシュリーと関わりだしたあたりからだった。
――――――。
「アシュリー様は本当に聡明でいらっしゃる。帝王学の授業も経済の授業も4年をかけて勉強する範囲を3年半で終えられてしまった……。覚えも早くてうちの子も見習ってほしいくらいです」
「ダル伯爵の授業はつまらんすぎるのだ。もう少し骨のある内容をもってこい」
「ははは……この先の内容はより実践的なものになりますので、私は専門外となります。後は後任の者が担当します故......」
アシュリー・カプリスはノエル王国第一王子に位置する王位継承権を持つ有力者のひとりだった。
このノエル王国の中で次の王の座に最も近く、将来王となるべくあらゆる教養を受けた。
――しかし、アシュリーは日々を退屈そうに過ごした。
なんの苦労もなく。なんの努力もなく。なんの心配もなく。
ただ与えられた勉強をこなし、出された課題をこなす。
問題を解いて間違っても優しく教えを説かれ、会っていれば媚を売るように教師は彼を誉めた。
この日常にアシュリーは退屈をするほかなかった。
いつしかアシュリーは何をしても怒らない人間たちになにも思うことがなくなり、傲慢に振舞うようになった。
当たり前だ。実質偉い地位にいるし、下位の貴族を顎で使い傍若無人に振舞うことを許される地位だったから。
アシュリーは自分より相当年上の伯爵を嘲笑した。
「おまえはいつも年下の俺にへこへこと腰を折るのだな。大人としてのプライドはないのか?」
「はは……、アシュリー様に向けるプライドなどと。王家に仕える喜びこそ我が本懐ですので」
耳障りのよい言葉を並べる。アシュリーはつまらなそうに長い息を吐いた。
★
フィオーレ学園中等部初春。
ある日の放課後にて。
この日のアシュリーはむしゃくしゃしていた。
今日の授業、経済学の授業の中で先生が出した問題をアシュリーが回答するように言われる。
しかし、難しすぎて答えることができなかった。
その答えられなかった回答を自分の婚約者であるミリアーナが回答した。
彼女に見せ場をすべて持っていかれたのだ。
楽勝だと思っていた問題を答えることができず、女である婚約者を目立たせてしまったことを非常に情けなく思い、授業が終わるや否や、彼の休憩スペースとして使っている学園図書館の隅の席に座る。
「くそ……伯爵のやつ……教えてもらった場所の答え全然違うではないか……!俺に恥をかかせやがって」
アシュリーは次期王として様々なことを学んだ。
その難易度や彼の勉強に対する態度は第三者から見れば問題はありだが、それでも彼は彼なりに取り組んだつもりだった。
学んだことすべてを吸収し、勉学も学園の中でレベルが高い方だと自負していたのに。
初歩的な問題に答えられない、男尊のきらいがあるアシュリーは女性に答えさせてしまったという状況がさらに彼のプライドを傷つけた。
苛立ちと沈む気持ちで自分の気持ちを表すことができずに机に突っ伏した。
「あのぅ......」
「…………」
「あのぅ......すみませぇ~ん」
「――うるさい!なんだおまえは!」
「きゃあッ」
人の気配がして、自分に向けて蚊のような細い声を向けられたことに気づいた。
がばっと顔を上げて声がした方向を見ると茶髪の平凡そうな一人の女子が立っていった。
印象はひ弱そうで気弱そうだった。
手に持っている雑巾をきゅっと握りしめて女生徒は言葉を続けた。
「ご、ごめんなさい。私、今日図書室の掃除当番でぇ……そこの机拭きたいのでちょっとだけ移動してくれないかなぁ......と」
なんだ、この女は。と思ったが反対に王子である自分に色眼鏡を使うこともなくただ意見する女はミリアーナ以外初めてであったことから、高圧的に振舞うのをやめて席を離れる。
「は……あ、ああ。まあ、当番なら仕方ないか。ほら」
「ありがとうございます」
女はマリア・クライゼルと名乗り、アシュリーが座っていた机を雑巾で綺麗にする。
「ありがとうございます」と言葉を返すとアシュリーに背を向けてその場を去ろうとする。
が、好奇心を抱いたアシュリーは彼女の歩みを止めた。
「一か所くらい掃除しなくてもばれないだろう。何故そこまで生真面目に掃除をするのだ?」
「逆に掃除しちゃいけない理由ってありますか?できるところだけ掃除をしなくちゃ。ホコリがたまっちゃうじゃないですか」
「……変わっているな、おまえ」
「そうですか?家が貧乏なんで、自分でやらなきゃいけない家庭だったし……」
掃除すら真面目に取り組み、自分を王子という贔屓目なしで会話が成立したことは初めてかもしれない。
周りの人間は自分をノエル王国第一王子、アシュリー・カプリスとして接する。
婚約者であるミリアーナも自分に対する敬意を忘れず、一度も無礼な態度を取ったことはない。
だが、目の前のマリア・クライゼルなる女は違った。
普通の女性のように取り繕うことなくころころと表情を変え、友人に接するようにアシュリーに接する態度にアシュリーは妙な安心感を覚えた。
同時にマリアを面白い女として、この放課後の件から度々彼女と逢瀬を重ねるようになった。




