鬱な時間
「――きゃああああああ!」
突然、耳の鼓膜が破れるような甲高い悲鳴が聞こえた。驚愕の中に恐怖の混じった声にただ事ではないと胸がどきっと強く脈打った。
学園で過ごす時間の中でも安息のひとときで過ごせる休み時間。私はその正体を知るべく声が響いた方向へ歩を進めた。
「どうしたのですか!」
そこに広がっていたのはこの学園で過ごしている間の頭痛の種であるマリアがところどころインクで汚れた制服を身にまとい、床に転がっていた。その前には2人の令嬢が呆然と立っていた。
この状況から声の主はマリアなのだと推測できる。
「ミリアーナ様......それが......」
冷静に簡潔に状況を伝えてくれた令嬢の一人がいうには、廊下を歩いていたところに反対側からマリアが歩いてきた。すると、ワックスを掛けたばかりの滑りやすい床に足をとられ彼女たちにぶつかり転んでしまったという。
「うぅ......ひっくっ...」
「......はぁ」
聞く人にはよりけりだが、少なくとも私は「それだけであれほどの悲鳴をあげるのは大げさすぎやしないか」とため息すらでてしまう。
あれほどの悲鳴。令嬢たちの言葉を嘘であろうと信じない人もいるだろう。
しかしマリアという人間はたかが転んでひざを擦りむいただけでも泣いてしまう人間であることはこの数年同じ学年だった私は十分に理解している。
「あなたたちお怪我はありませんか......マリア嬢も」
「ご心配痛み入りますわ。......ですが」
「大丈夫ですぅ......」
令嬢のひとりが床に散らばった教科書に視線をやる。その中には筆記用具も散らばっており、授業で使うインクがこぼれていた。
大方蓋が緩んだ状態でバッグの中にいれてぶつかって中身が飛びてた拍子にこぼれたのだろう。
「よろしければインクは私の予備のものをお使いになさって。......それからマリア嬢は立てますか?」
「は…...はひぃ」
正直日ごろの恨みつらみがあるのであまりかかわりあいたくないが、見てしまい関わってしまった以上最低限気を遣わないと後々面倒くさいことになるのはわかっている。
だから手を差し伸べた。心底嫌だけど。マリアは幼さが残る顔を柔らかく動かし、インクで汚れた手で私の手を握った。
「――マリア令嬢、さすがにそれは失礼ではありませんこと?」
「そうです。いくらミリアーナ様が手を差し伸べられたとしてもあなたの家柄は子爵。そしてミリアーナ様は公爵の家柄です。インクで汚れた手をぬぐうこともせず、あまつさえお礼も言わない、令嬢の断りなく触れるなどと......。かなり礼儀に欠いているのではなくて?」
「お二方、私は大丈夫ですから…...」
あー!やめてぇ!確かに同性といえども上位の家柄や気を許した相手以外に、その人の許しを得ずに身体に触れる行為は相手を舐めている行為とされ、いけないとされている。
マリアはまだ私に許しを得ていない状態で体に触れてしまっているため、礼儀に欠いてるだけろうけど。
私が助けたって事実を作らないとまたマリアとアシュリーの面倒くさい関係に巻き込まれるから今はそういう礼儀に口を出さないでほしかったなぁとも思ってしまう。
それにほら、もたもたしてるとマリアの番犬君が走ってやってきてしまうから――
「マリア!無事か!」
ほら。あなたストーカー?といわんばかりのスピードでマリアの不穏な動きを察知してやってくる。アシュリーはマリアの惨状に整った顔の中に敵意を見せた。
おもに私に向けて。
「またおまえかミリアーナ!それにこのインクの汚れ......おおかたマリアの人気に嫉妬してやったんだろう!」
「――はぁ」
――ああ、これ長くなるやつだ。そう思って私に注意がいっているうちに令嬢を教室に返す。彼は王族だから一度話始めたことに対し、許しを得ることなく話を遮ることは無礼に当たる。それがいくら理不尽なことだろうが疲れて言う気が失せるまで私はずっと聞かなければいけない。
まるで接客業のクレーマーの対応のごとく私は彼の気が収まるまでその場をやり過ごすしかない。
今日は夜食会。その献立を考えていることを悟られないように彼の制服のネクタイにずっと視線を送っていた。
――それから開放されたのはなんと1時間後だった。




