魔女と少年
「相変わらずしけた部屋ねぇ」
午前中の仕事を終え、パンを齧りながら図案集を捲っていたオリゴは突然の訪問者に渋面を作る。その僅かな間に「こんな所で寝泊まりしてるだなんて考えただけでもカビが生えそぉ」だとか「ああ、イヤだぁ。辛気臭い顔しないで。こんなに美しい私が来てあげたんだから喜びなさいよぉ」などと宣う。
招かれざる客―—拘泥の魔女エレノアの登場をこの墓地で喜ぶものなどひとりもいないと知らないのは本人だけだ。
「嫌なら来なければいい」
「イヤだけど、一番有力な情報がつかめそうなのがここだけなんだから仕方ないでしょ」
腰を揺らしながら古い床の上をコツコツとヒールを鳴らして歩いてきた魔女はオリゴの正面にある椅子を引いて座ろそうとして一瞬止まる。
じっと眺めて細い眉を寄せると自分の後ろに立っていた少年のコートを雑に脱がせ、背もたれと座面が隠れるように掛けてからようやく腰を下ろした。
少年は不服そうな顔をしていたが、唇を引き結びただじっと恨めしそうに女を見ているだけだ。
「ちゃんと掃除くらいしときなさいよ。まったくぅ」
「掃除ならしている」
もちろん毎日ではないが。
管理小屋兼作業場は自分が困らない程度に片付いていれば問題ないのだ。
「汚い、きたない、汚いぃい」
机の上を手で払って文句を言っている魔女を無視してチラリと少年に目をやる。
背中を丸め白銀色の前髪の隙間から見える青紫の瞳の下には濃い隈を作っているからか、仕立ての良さが窺える白いシャツと綺麗な藍色のベストを着ているのに陰鬱に見えた。
拘泥の魔女と行動して不規則な生活をしているのだろうか。
青白い肌は荒れ、頬もこけている。
由緒正しい騎士の子息にしては線も細く、明らかに向いていないと分かる風貌だった。これならばファベット家当主がアルを養子にして騎士にしようと思うのも納得である。
さすがに不躾なオリゴの視線に気づいた少年がこちらを軽く睨んだ後でふいっと横を向く。
「お前、ファベット家の子息だろ?」
「え~?なぁに?あなたたち知り合いなの?それならそうと早く言いなさいよぉ。そしたらこのドワーフだって、幽霊たちだってもっと協力的になってくれたのにぃ」
だが少年は長い前髪に隠れるようにして返事を拒む。その様子にため息をつきながら「可愛くなぁい」と愚痴った拘泥の魔女は誘うように瞬きをしてこちらへと微笑みかける。
「ねぇ、そろそろ諦めて取り次いでよぉ。麗しの女王陛下に」
「俺はただの墓守だ。取り次ぎは俺の仕事じゃない」
「でもこの墓地を管理してるのはあなたでしょぉ?身寄りがない人間にだって知り合いや友人はいるんだからぁ、それを訪ねてここへ来た相手を案内するのはあなたの仕事だと思うけどぉ?」
机の端に両腕を着きグッと身を乗り出してきた魔女が赤い唇を尖らせて小首を傾げる。以前ポプラがいっていた”見せつけるよう開いている胸元”が腕に持ち上げられて零れそうになっていた。
白い肌と膨らみに目が眩みそうになるが、ぎゅっと目を閉じて額の傷を撫でる。
「確かに埋葬してある場所まで案内するのは俺の仕事だが」
埋葬されたばかりの者ならいざ知らず、女王陛下と呼ばれているエマはこの墓地の最古参だ。
すでに骸は土にかえってしまっている。
そこに留まったところで彼女のことを想って誰かが訪ねてくることなどないのだから、好きな場所で好きなように夜を過ごすのが信条なのだと軽やかな微笑みで教えてくれたことがある。
それに。
ただでさえ拘泥の魔女は女王に嫌われている。
連れて行ったところで会えはしないだろう。
それどころか案内したことを後でひどく詰られるのがオチである。
責められ怒られるだけならいいが、二度とオリゴの前に姿を現してくれなくなる可能性だってあった。
「死者の眠りを守り、彼らの意思を尊重すると決めている」
「なるほどぉ。協力はできないってことかぁ」
しょうがない。
立ち上がった拘泥の魔女エレノアは凍えるような瞳でオリゴを見下ろして呟いた。机の上の下絵の束を興味がなさそうに掴み無造作に床に放り捨てる。乾いた音を立てて散らばる紙の上に細い靴先が乗り、細いヒールが草花のモチーフを踏みにじった。
「残念だわ」
コツコツと音が遠ざかる。
オリゴは床に膝を着き、土と悪意で汚れた紙を搔き集めながらその後ろ姿をギリっとにらんだ。
「古代遺跡はこの街のどこかにある。それを見つけるのは私の悲願なの。できれば穏便にすませたかったけど、無駄だということは分かったわ」
扉が開き湿った土と枯草の匂いが小屋に入ってくる。
馴染んだ風と空気。
「大切なものはちゃんとしまっておいたほうがいいわよ」
お邪魔さまと言い残し魔女は去り、椅子の上からローブを回収し遅れて少年が出て行く。
白銀の長い髪を靡かせて、アルが慕うファベット家の子息シリカは始終一言も発さぬまま仏頂面だった。