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届かなくても


 青々と伸び地面に埋め込まれた石板を覆ってしまっている雑草を慎重に抜く。

 根っこから抜かないと数日と経たずにまたにょきりと出てくるので葉だけが千切れないようにしなければならない。


 地面に膝をつき単調ながらも気が抜けない作業は毎日の日課でもあるので、なるべくなら早朝かもしくは夕方あたりが望ましいのだが。


 最近夜遅くまで浮かばぬ、固まらぬ、次なる構想に頭を悩ませていたものだからこうして日が高く昇った時刻に草取りをする羽目になっている。


 容赦なくじりじりと照らされじわりと浮かんだ汗がやがてゆっくりと額やこめかみから粒になり顎へと流れてくるのを乱暴に手の甲で拭う。


 夜ならば静かとは無縁の墓場だが、日中はどうやら地中や影で霊たちはおとなしくまどろんでいるらしい。


 死んでいるというのに呑気というか、肉体が無いのに休息が必要なのかという呆れと共に苦い笑みが浮かぶ。


「ま、邪魔されないぶんはかどっていいがな」


 しゃがんだまま草を追って移動しているといつの間にか荷を運ぶ手押し車から随分と離れてしまっていた。


 ざっと毟った草をかき集め立ち上がると固まった腰と膝が軋んだように痛んで思わず頬を歪める。

 視界の端で影が動いた気がして眉間に皺を刻んだまま視線を向けた。


「あ?」


 間抜けにも声が上ずって意味のある言葉すらいえなかった。


 音を出したままぽかんと口を開けっぱなしにしたオリゴを見てにこりと微笑んだ少年は萎び始めた草の山を腕に抱えて「これ、どうすればいいかな?」と尋ねる。


「あ、アル、お前、どうして」

「え?だっていつでも来ていいってオリゴが、え?あれ?まさかあれ社交辞令的なやつだったんですか!?」

「違う!だが」


 どうしてひと月も顔出さぬままだったのだと責めるのは簡単だが、アルにとっては理不尽極まりない言いがかりのようなものだ。


 ぐっと言葉を飲み込んで。

 新しい言葉を舌に乗せる。


「よく、来たな」


 歓迎の意を伝えるとアルはくしゃりと笑った。


 心から嬉しそうに。


 私服で来ていたアルが手伝いを申し出てくれたのでありがたくキリの良い所まで草取りを手伝ってもらった。


 そのお礼に茶でも飲んで行けと小屋へと誘うと瞳を輝かせてついてくる。

 手押し車を倉庫の前に置き、井戸から水を汲んで顔と手を洗う。


 太陽は西に傾き日差しも和らいでいる中、冷たい水がほてった肌に心地いい。


 代わってアルが井戸を使っている間に小屋へ入り、棚から手拭いを二枚取りその内の一枚で自分の顔を雑に拭きながら残りの一枚をアルへと渡すため急いで戻る。


 丁度洗い終えた後だったようで、差し出した布を受け取るとごしごしと顔に当てて擦っていた。

 ぽたぽたと横髪の先から水滴が落ちているのはそのままに、オリゴへと視線を向けて「ありがとう」と機嫌よく笑う。


 オリゴはもごもごと「おう」とか「うん」とかの微妙な言葉を口の中で右に左へと動かしながら足早に小屋へと向かった。


 背後から聞こえている足音にどこかほっとしている自分がいてひどく落ち着かない。

 太い首の後ろを固い手のひらで撫でながら、戸棚に薔薇の実を乾燥させた薔薇茶があったはず――と頭を悩ませて顔を顰める。


 故郷にはそれなりに友もいたし、知り合いもいたのにどうやって客をもてなそうかなどと悩むことになるとは。


 たかが五年ほど幽霊たちと住むようになっただけで普通のことができなくなるとは情けない。


 朝食を食べるために使った竈の火を熾し直していると、アルが入口で立ち止まりゆっくりと小屋の中を眺めて二度瞬きをする。

 そして部屋の隅の壁に立てかけられた石板に気づくと小さく息を飲んだあと静かに近づいて行った。


「すごい」


 石板の前にしゃがみ込みぐっと顔を近づけて。

 アルのため息交じりの声を聞いてオリゴは満足気に目を細めた。


 小鍋に水を入れて湯を沸かし、数少ない食器や貴重品である塩や胡椒などの調味料が雑多に入っている棚の奥から赤い欠片の入った小瓶を取る。

 目の粗い布の小袋の中に瓶を傾けて中身を適当に出し、紐を引っ張って口を閉めてから沸騰しはじめた鍋の中へと放り込む。


 火からおろしてちらりと様子を窺ったが、飽きずにアルはオリゴが作った石板を眺めているようだった。

 ここからではアルの後頭部と頬の部分しか見えないのでどんな顔をしているのかは分からない。


 微かに甘く爽やかな香りがし始めてオリゴは視線を鍋へと戻す。

 赤くルビーのような美しい色を認めて棚からコップを二つ取り出した。

 そのままでも十分美味いがちょうど蜂蜜もある。

 木匙で掬い取ってコップの底へと入れ、その上からゆっくりと小鍋から薔薇の実の茶を注いだ。


「アル、いつまで見ているんだ。茶ができたぞ」


 こっちへ来いとテーブルへと誘うのにアルは生返事で動こうとしない。

 仕方がないのでコップを手にそちらへと移動してその手の中へと渡してやる。


「熱心に見てもらって嬉しい限りだが、俺よりもずっと巧みで良いものを作る奴は山ほどいる」


 実際オリゴは故郷のドワーフたちの中で特出して彫刻や細工物に秀でている方ではなかった。

 まあ器用ではあったのである程度のことは直ぐにできるようになったし、物覚えも悪い方ではなかったので用語や知識も抵抗なく馴染むことはできた。


 だがそれだけだ。


 上達は早くても技術を突きつめて高みを目指すための根気も、誰も考えたことの無いものを生み出す柔軟さも持ち合わせていなかった。


 真に才能を持っているものには到底適わないと冷静に受け止めている。


 これは悔し紛れでも諦念でもないのだ。


 オリゴはいわゆる天才と呼ばれる相手に対し嫉妬も焦りも抱かなかった。

 次々と出来上がる見事な細工の品々や力強い輝きと形でもって鼓舞する武器や防具の数々を感嘆の思いで手に取り胸を高鳴らせて見つめられるだけで満足で。


 ――お前は欲が無い


 そういって苦笑いする父の姿がまぶたの裏に浮かんで消えた。

 今は親友と共に旅の空の下だ。


 それでいい。


 これはオリゴが望んだこと。

 そして今の生活を案外楽しんでもいる。


 なのに。


「他の人がどんなにすごいものを作れるとしても、今ここでオレの目を奪い、心を動かしているのはオリゴのこの(・・)彫刻だ。それ以外にだいじなことってある?オレは無いと思う」


 アルの率直な意見に狼狽えることになるとは。

 正直自分でも驚きだった。


「オリゴの仕事は丁寧だよね。気持ちがこもっているっていうか、繊細で、真面目でオリゴそのものって感じする」

「なんだ、それは。ホメてんのか?」

「え?ほめてるんだけど……ごめんなさい。学がないから上手く言葉にできないけど、花も蔦も葉も自然で、ありのままでさ」


 唐突にふふっとアルは笑い吐息とともに「優しさが溢れてる」と呟いた。


「なんでかあったかくて悲しい気持ちになるんだ」

「はあ?無茶苦茶だな」


 相反する気持ちを抱くアルの複雑さに顔を顰めていると追い打ちのように「あとやっぱり羨ましくてたまらなくなる」という言葉が続いた。


 どこがそんなに気に入ったのか。


 それでも他の誰のものでもなく自分の作品にこそ惹かれたといわれて嬉しくないわけがない。


 額の傷痕を指先で引っ掻きながら花の実茶を啜ると酸っぱさの中に蜂蜜のコクのある甘みが口いっぱいに広がった。


「そういえば前に見た時より花が削られて減ってるけど、それは全体を見て必要ないと判断したから?」

「は?」

「え?」


 問われてまともな返答ができずに目を丸くしているとアルもびっくりしたような顔で首を傾げる。

 長くはないが短くもない妙な時間を見つめ合いながら数え、先に自分を取り戻したのはアルの方だった。


「だってこことここ、それからここにも綺麗な花と蕾があったのに」


 迷うことなく右上の角とそこから下へと流れて蔦の隙間を指差したあと最後に一番下の真ん中辺りに密集して花が咲き零れている場所の一部で止まる。


 そのどれもが滑らかに磨かれていて、そこに花や蕾があったなど分かるはずもない。


 アルは的確に調和が乱れているとオリゴが感じて削り落とした部分を指摘していた。


 たまたまなのか。


 忘れられないほどしっかりと脳に、心に、刻み込んでいてくれたのかと喜ぶよりは呆れてしまい絶句してしまう。


「オリゴ?どうかした?急に黙り込んで、オレなにか気に障ること」

「いや、悪い。ただよく分かったなと驚いただけだ」

「そう?ならよかった」


 安心したように息をつきアルはそうっとコップを傾けると一口飲んで。

「あちっ」と小さく舌を出しへにゃりと眉を下げる。


「大丈夫か?もうだいぶ冷めているはずだが」

「ええぇ……かなり熱いけどなぁ。そうだ!ドワーフは舌も鍛えてるってことはない?」

「そんな話聞いたこともない」

「そっか。もし鍛えてるならその方法を教えてもらおうかと思ったのにな」


 ふうふうと息を吹いて波打っている表面をぼんやりと見ているアルの顔に落胆の色が広がっているのに気づいてオリゴはおやっと首を傾げた。


 そういえば先輩とやらになにかとからかわれているんだったかと思い出す。


「誰かにバカにでもされたか?」

「うん、まあ」


 一旦は言葉を濁したもののアルはしがない墓守相手だと思ったのか。

 重い口を開いた。


「オレは要領悪いんでいつも注意されちゃうんです。騎士は武を極め、清く正しい心を持っていればいいんだと思ってたのに、全然ちがくて」


 大きなため息がアルの背中を丸く縮めさせていく。

 こんなはずじゃなかったと落ち込む少年の肩をオリゴはぽんっと軽く叩いた。


「そもそもお前は騎士になりたかったわけじゃないだろ。責めるべきはできない自分じゃなく、それを押し付けた奴らだ」

「でも、それは断らなかったオレにも原因があると思う」

「いいや。雇い主に強要されれば断れるわけがない。しかもアルは十五のガキだ」

「たしかに、そうだけど」

「ま、イヤなら逃げるべきだったな。坊ちゃんのように」

「シリカさまは!逃げたんじゃない!ただ、傷ついて、出て来られなくなって!」


 オレが

 オレのせいで


 そんな後悔がぐるぐると渦巻いているのだろう。

 罪悪感でいっぱいのアルは過剰なくらいの反応をした。


「そのご子息さまは殊勝に部屋なんかに引きこもってなんかいないぞ。魔女の家に入り浸って屋敷にすらずっと帰っていない」

「ウソだ!そんなことなんでオリゴが知ってるんだよ!」


 上気した頬の向こうにギラギラと輝くふたつの目は想像していた以上に物騒だった。


 当然だ。


 代々騎士として領主に仕えている名家の当主である男に素質があると跡継ぎの練習相手として求められ、共に剣の腕を鍛えて成長した少年なのだから。


 腕力や体力で負けることはなくても、技術や速さでは勝てそうもない。


 それでも。

 恐れるほどではなかった。


 肩を竦めて左唇の端を持ち上げる。


「そりゃ会ったことがあるからだな」

「あっ、え!?シリカさまに、会った!?」

「会ったっつうか、見たってくらいだが」


 いつ?と勢い込んで問われ、ひと月半前ほどだと答えるとがっくりとアルは脱力した。


「ひと月、半前に、そんな」

拘泥こうでいの魔女と一緒に墓地ここへ来たぞ」

「ほんと、に……?そうか、なるほど、あはは」


 頭を抱えこんだアルの乾いた笑い声が、額をつけた膝から滑り落ちて床の上にコロコロと転がる。

 それを蹴散らしてやりたくてもオリゴには人間やエルフのように器用で長い脚を持たないし、そもそも自ら好んで落ち込んでいるような相手にかける言葉は残念ながら持ち合わせていない。


「シリカさま、外へ出られるようになったんだ。よかった……」


 最終的にはグスッと洟をすすって引きこもりから脱却できていたことを喜んでいるんだから本当にどれだけおめでたいのか。


「お前さっさとそれ飲んで、そろそろ帰れ。俺はそいつを依頼主の墓に備えつけに行かなきゃならねえんだ」


 忙しいのだと促したのにアルは湯気も立たなくなったコップを握りしめて動こうとしない。

 これ以上は付き合っていられないと見切りをつけ自分の分のコップを机の上に置き、椅子の上に畳んでおいた毛布を掴みズカズカと石板の前へと進み出た。


 アルを押し退けるようにして膝をつき広げた毛布で墓石を包んで肩に持ち上げる。


「あ、あの」

「いっておくがついて来るんじゃないぞ。これは墓守と依頼人だけの神聖な儀式なんでな。部外者の立ち合いは一切お断りだ」


 すがるような瞳で見上げてきたのを先回りして釘をさすと、途端に左右に視線を揺らすのでどうやら図星だったらしい。


 ふんっと鼻息を吐いてオリゴは大股で玄関へと歩む。

 外へと出る前に振り返るとぼんやりとした顔でアルが見送っていてなぜだか無性に苛々した。


「ああ、クソ。なんなんだ。まったく。おい!いつまでも辛気臭い顔するな!空気が重くて頭が痛くなる」

「うぇ?あ、ごめんなさい」

「謝ってほしいわけじゃない」

「でも」


 じゃあ一体どうすればいいのだと涙目になっているアルににやりと笑みを返す。


「さっき俺を睨んだお前はかなりよかった」

「え?」

「アルにもあんな顔ができるのかと感心した」


 だから


「バカにされて笑って誤魔化して落ち込むくらいなら、イヤな時は反論してやり返してやれ。相手が先輩だろうが気にするな」

「え」

「なめられたままでもお前が構わないっていうのなら別にいい。好きにしろ」


 心細そうに開いていた眉間がぎゅっと寄り、震えていた唇が引き結ばれる。

 ズボンの腿の辺りを力いっぱい握りしめてアルは「いやだ」とはっきりと口にした。


「なめられっぱなしはいやだ」

「そうか。なら先輩だからって遠慮してやる必要はない」


 お前ならやれる。

 アルなら変われる。


 心の中の声援や願いは届かなくてもいい。


「まあ最悪逃げるのもアリだ」

「ふふ。じゃあ情けなく尻尾を巻いてここへ逃げ込んでも怒らないで欲しいな」

「その時は俺に一発殴られるのを覚悟で来い」

「ええぇ。オリゴに殴られたらオレ顔が歪んですごいことになりそうなんだけど」

「厳つい顔になればなめてくる奴はいなくなるかもしれないぞ?」

「それはちょっと、オレが求めている解決策じゃないかな」


 生意気ながらも軽い調子で言い返してくる晴れやかな笑顔にほっと息を吐く。


 大丈夫そうだと判断して重くなってきた石板を左肩に担ぎ直し「じゃあまたな」と右手を挙げる。

 嬉しそうな「はい、また」という返事を聞きながらオリゴはドアを閉めた。


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