マッチョな幽霊と月見酒
空には見事な満月。
雲もなく、風もない。
辛口でアルコール度数の高い蒸留酒を好むドワーフであるオリゴにはこの蜂蜜酒は甘すぎてちっとも酔えないが、樹液が固まってできた琥珀のような色は月見酒には向いている気がする。
喉の奥のほうでぐるぐると行き場を失っている感情を少しでも楽にできればと重いため息をつけば。
『どうした?元気ねぇな』
浮遊しながら腹筋中のジープが上体を起こしひねりを加えたところで声をかけてきた。
彼は道路整備や荷運びなどを行う肉体労働者だったからか、死んだ後でも身体を鍛えることに余念がない。
幽体には必要ないものだが生前から続く習慣を暇さえあればやっている。
『聞いちゃるからなにを悩んでるのかいってみろや』
「別になにも」
『ふんふん。で?』
「だから、なんでもないって」
『オリゴ』
「ぐっ!」
すいっと両腕で空気をかくようにして勢いよく距離を詰めてきたジープの顔がオリゴの鼻先ギリギリで止まる。
エラの張った四角い顔はなんとも男らしく、はたから見れば髭面のドワーフとマッチョのおっさんとの暑苦しいラブシーンに見えなくもないのが恐ろしい。
勘弁してほしい。
「ジープ!」
『どうせあいつのことだろ?』
「!?」
『あの騎士見習いの坊主が肝試しに来た次の日からちょびっとばかし元気がねえ』
「な、なんで」
『分かんのかって?そりゃお前がだいぶ分かりやすいのとあれだな。親父さんに連れられてちょくちょく遊びに来てたちっちぇころからずーっと見てるからだわ』
がははははっと笑うジープが太い指をオリゴの額を軽く叩くような仕草で指し示す。
左眉の少し上辺り。
そこには古い傷あとが残っている。
『あん時も騎士見習いの坊主たちが夜に忍び込んできやがって大騒ぎになったんだったな』
懐かしそうに目を細めるジープにつられるようにオリゴも薄っすらと盛り上がった部分を撫でて苦く笑う。
『頭カチ割れた状態でもお前は全然退かねぇであいつら追い払ってくれようとしてたっけな』
「肝試しなんて非常識なことしにくるあいつらに心底むかついただけだ」
騎士になろうとしている若者たちがよりにもよって死者が静かに眠るための場所を興味本位で荒らしに来るなんて許せないと子供心に正義感を燃やしたあの日。
『取っ組み合いの喧嘩になって一緒に転んだ拍子にオリゴだけ墓石の角でそこぶつけたんだったよな?』
うなずきながら額を手のひらでこする。
あの時もし墓石を壊すことになっていたらと思うと今でもひやりとした恐怖が襲うほどだ。
周りで見ていた幽霊たちが父とその親友である墓守に知らせてくれてすぐに駆けつけてくれたので相手に怪我をさせることがなく収まったのだけれど。
「あいつら逃げ足だけは一人前だったな」
『お前は怪我した上にしこたま怒られて』
「過ぎた正義感は損をする。あの頃はまだガキだったから仕方がない」
『かといって二度としねぇとは思ってねぇだろ?』
「分からん」
さすがにいきなり喧嘩腰で相手を問いただすようなことはしないが、ことと次第によっては力づくでつまみ出すくらいはするつもりではいる。
「墓守は墓所を守る義務があるからな」
『頼りにしてるぜ?墓守さんよ』
にやにやと笑うジープに「死者は死者らしくおとなしく過ごしてくれると助かるんだがな」と返すが唇を尖らせ口笛を吹いてはぐらかされた。
「そういやあん時のひとりが騎士隊のお偉いさんになってるってんだから驚きだ」
『な?確か一番怖がってたヤツだったはず。そういやあいつ墓守代理にオリゴが来たって聞いて相当ビビりまくってやがったんだよな』
お前にも見せてやりたかったぜといわれてもオリゴは生身であり、ジープたちのように都合よく姿を見えないようにしたり、壁抜けすることなどできない。
まあエルフが作る魔法のマントがあれば姿を消すことくらいはできなくもないわけだが。
そこまでして覗き見たところでオリゴになんの得もない。
そもそも何十年も昔のことであり、今更謝ってもらおうとも思っていないし謝るつもりもないのだからお互いさまだろう。
ぼんやりとしていると『しかし』という言葉でジープが話を戻してきたので顔を上げる。
『この間の坊主、悪いヤツじゃなさそうに見えたが実は性根がゾンビ並みに腐っててお前になんかイヤなことでもいったりしたりしたんじゃねぇだろうな?』
もしそうならただじゃおかんと鳴らない指をジープはボキボキと鳴らす。
今にも飛んでいきそうなのでオリゴは慌てて「違う!」と否定した。
ジープは右眉を下げ、左眉を上げていちゃもんをつけるごろつきのような表情をしたが、それがフリだと分かるくらいにはオリゴも彼のことを知っている。
『腐肉野郎じゃねぇんだな?』
「あいつが腐ってたら世の中のほとんどが腐ってることになるぞ」
『はっ。それほどとは』
にっと前歯をむき出しにして笑いジープは再び筋トレに戻ったがどうやら話はそれで終わりとはならなかったらしい。
『で?なにを気にしてんだ?お前は』
「話したくない」
話したくはないがおそらく話さなければ解放してくれないだろう。
コップの中の液体をグイッと飲み干しオリゴはアルコールの香りがする息を吐きだした。
「余計なことを言っちまった。たぶん俺が言わなきゃアルは迷うことなく騎士としての道をまっすぐ歩けたはずだ」
一夜明けて冷静になったオリゴは分別のある言動ではなかったと激しく後悔したのだ。
「また来ます」といって笑ったアルの顔を思い出すたびに「分からない」と泣いていた顔が胸の奥をずんっと重くして苦しい。
『かもな。でも』
生きてりゃ誰だって間違いをすることはあるとジープは続けて。
『二百五十年は生きるドワーフ族から見りゃ四十年ほどしか生きてないオリゴはまだガキみてぇなもんだろ?未熟で結構。むしろ可愛げがあっていいじゃねぇか』
カラカラと大口を開けて腕立てをする霊を軽く睨みつけながら空いたコップに新しい蜂蜜酒を注ぐ。
「簡単に言うけどな」
『そりゃ簡単さ。死んじまった方からはぜいたくな悩みにしか聞こえねぇんでね。やり直しができるなんて心底うらやましい。しかも人より寿命が長ぇんだからオリゴは幸運だ』
その分チャンスは多いと励まされたが素直に受け入れることは難しい。
『逆に良かったんじゃねぇの?』
「は?良かっただと?」
『おう。長生きしてやっと人生六十年の人間のあの坊主に道はひとつじゃないって気づかせてやったんだからよ。今はわけ分かんなくてオリゴのこと恨んだとしても、後々になったら感謝するようになる。まぁあの坊主ちょーっと鈍いみてぇだから誰かを恨むとか、そこんとこありえないだろうけどなっ』
だから。
『大丈夫だ。あいつはまた来るって。あんま寂しそうな顔されたらここにいる霊たち総出で憑り殺してきてやりたくなんだろうが』
「おい。そんな物騒なこと冗談でもいうな」
『 く、はは。じゃあそんな顔すんな』
「してないっ」
だいたいオリゴがどんな顔をしているというのか。
自分では分からなくて、悔しさを酒と一緒に飲み下してそっぽを向く。
ふわりと気配が近づいてきて隣にジープが座ったのか片側がひんやりとする。
チラリと横目で見ると蜂蜜酒の瓶の表面を撫でまわすようにして手を動かしていた。
時折力加減を間違って瓶の向こう側へ指が突き抜けたりしているのだが一体なにがしたいのか。
ひとしきり謎の行動を続けた後でぽつりと『残念だな』と呟いたので首を傾げて待つ。
『生きてりゃな。一緒にヤケ酒つきあってやれんのに』
しみじみとした言い方がじわじわとオリゴの鼻の奥を熱くする。
初めて会った時からジープは死んでいた。
オリゴが生まれるずっと前から彼はこの霊園で自分の番が来るのを待っているのだ。
生きていたころのジープを知る人間はもうこの世にいない。
ただそれがなんだというのか。
生身がなくとも、飲み食いができなくても、ジープはいつだってオリゴを気にかけ元気づけようと声をかけてくれる。
傍にいてくれる。
その優しさが真実なのではないのか。
「共に飲めなくても愚痴を聞いてくれるだけでいい」
『愚痴っつうかお前のは弱音だけどなぁ』
「うるさい」
『かわいいな。オリゴちゃん』
「誰がだっ!気色悪い」
『実際小っちぇころのお前はそりゃあかわいかったぞ』
「子供のころなんてだいたいみんなかわいいだろ!」
『照れんなってぇ』
すり寄ってくるジープの霊気で体の芯からゾクゾクしてくる。
いつぞやのアルのように低体温で気を失いかねないので立ち上がり、触れられた部分を手で擦って温めながら睨みつけた。
「いい歳したドワーフが照れてたまるか!はずかしい!」
小屋に入りながら吐いた「付き合いきれん!もう寝る!」という捨て台詞は子供っぽかったかもしれないと後悔したが、一度出た言葉は戻らないとはよく言ったものだ。
もぞもぞと寝床に潜り込んでふて寝をする辺りやはりオリゴもまだまだ未熟でガキなのだろう。