見習い騎士の肝試し
「待って!待って、ちょ、寒い!寒いからっ!やめて!ほんとやめてぇ~!さむ、さむいぃいい!」
青い顔でガタガタと震える少年は泣き叫びながら地面にヘタリと座りこんでいる。
もしかしたら腰でも抜けたのかもしれない。
必死に地面を蹴り後ろへ下がろうとしているが、新品のヌメ革のブーツの踵が柔らかな土を抉るのみで見ていて気の毒なくらいだ。
『寒いだなんて失礼な子。わたくしの熱い抱擁を受けられて光栄だと喜ぶべきなのに』
「ひぃいい!やめ、やめっ……!耳元で喋らないで!耳が凍って千切れるぅううう!」
甲高い悲鳴を上げてワタワタと腕を振り回す少年の首元には細腕がきゅっと巻きつけられ、美しくも青白い女性の顔が頬擦りするように寄せられている。
「ごめん、な、さいっ!勘弁して、ほんと、死ぬ、からっ!やめて、くださ」
『あらあら?死んでしまうの?ならば都合がいいじゃない。わたくしの傍でずっと可愛がってあげるから安心して昇天なさいな』
レースのように繊細で、綿毛のように軽やかな長い髪を束ねるは真珠を連ねた紐。
女は『いい子ね』と歌うように囁いて、憐れな少年を抱く腕に力を入れた。
対する少年は「うぐっ」と低い呻き声を上げ、色を失った唇を微かに動かして許しを請うように誰かの名を口にしたようだったが。
虫の息すぎて聞き取れなかったのでこの際どうでもいいだろう。
オリゴはやれやれと頭を軽く左右に振って息を吸い込んだ。
「いい加減放してやれ。女王陛下。将来有望な騎士見習いが墓地で死んだとなれば俺の責任になるだろうが」
持っていた大型のシャベルの先をザクリと地面に突き刺して呼びかけると、女は濡れたような大きな瞳をこちらへと向けてにこりと微笑んだ。
顎の先を少し上げて。
『もう、オリゴ。前からいっているでしょう?わたくしのことはエマと呼んでと』
親しげに名を呼ぶ女の細い腰から裾がふわりと広がる純白のドレスは丁寧に刺繍が施され、所々に真珠が縫いつけられているのが透けていてもよく分かる。
たっぷりとした上等な生地を身に着けられるだけの財力を持っていたことは明白で、墓地に住む者たちはみな彼女のことを“女王”と呼ぶのだが、墓守としてここを管理しているオリゴが同じように呼びかけるのをなぜか好まない。
「ならエマ。その可哀そうな坊主を放してやれ。そろそろ限界だ」
『あら?ほんとうだわ。最近の若い子は堪え性が無いわねぇ』
そもそも根性論でどうにかなるものではないのだが、女王陛下の腕から解放された少年は両手のひらを地につけ項垂れているが意識はあるようなのでまだマシな方だろう。
「高貴な女性に戯れに触れられては血気盛んな少年は堪ったもんじゃないだろうよ。おい、大丈夫か?」
少年に近づきながら問いかけると、白いケープに包まれた肩がピクリと動いた。
紺色がかった黒の髪が覆う頭部がゆっくりと持ち上がり、長い前髪の向こうから紫紺の瞳がこちらを見る。
幼さが残るその面には成長期特有の危うさと健やかさがあったが、いずれ伸びやかなさわやかさが時とともにそぎ落とされればそこそこの男前に育ちそうだ。
まあ人間の美的感覚の範囲から判断すれば、だが。
じわじわと戻ってくる血色を見て返事はないが大丈夫そうだと判断し一息つく。
「これに懲りたらそろそろバカな遊びは止めてくれるようにいってくれるか?なにが楽しくて肝試しなんぞするのか分からんが、静かに暮らしている幽霊共をあんまり刺激せんでくれ」
「……い、」
「ん?なんだ?聞こえんぞ?」
「い、いっ」
良くなっていた顔色がたちまちかげり始め、少年は右の人差し指をオリゴの方へと向けて瞳を左右に揺らした。
よくよく見ればその視線はこちらを見てはおらず、その先――つまりはオリゴの背後へと注がれている。
「いち、に、さん、し、えと、あう、いっぱ、い」
「いち?に、って、おい」
どやら数を数えているらしいが最後には数え切れずに誤魔化され、更には「きゃー!?」という女のような悲鳴を上げて後ろ向きに倒れた。
『わははは!とうとう気を失ったぞ!』
『いいね。この反応。堪らん!』
『愉快!愉快!』
『たかが幽霊にこの有様では騎士など勤まるものか。さっさと辞めちまえ!』
『違いねぇ』
あっはっは!と高笑いを上げて空中で転げまわる死者たちを勢いよく振り返り「うるさい亡霊共め!そんなに悪霊になりたければ手助けしてやるぞ」と脅しつけると、途端にひえっと縮み一塊になってあっという間に消え失せた。
「まったくここにはしおらしい霊はいないのか」
鬱々とせず幽霊生活を楽しんでいるのは別に悪いことではないが、気絶させるまで脅かされるのは生者にとっては迷惑以外のなにものでもない。
「訪れる者のいない寂しい墓所だけに肝試し目当ての珍客すらも歓迎したくなる気持ちもわからんではないが」
泡を吹いて倒れている少年を見下ろしていると残っていたエマが微笑みながら『どうするの?』と聞いてきた。
「このまま放置するわけにはいかんだろ。ここの亡霊どもがしでかしたことは俺が尻拭いせんと」
小屋に連れて行く、と返せばうふふとエマが笑い『あなたのそういうところ嫌いじゃないわ』と囁いた。
取り立てて好かれなくてもいいが、嫌われるのは仕事がうまく回らないので得策ではない。
「どうも」
『そういうところもね』
エマが楽しそうに空中でくるりと回るとドレスが花のように広がる。
それを横目に片膝をついて少年の上半身を抱き起し肩に担ぎ上げようとしたが、それだと脚を引きずってしまうことに気づく。
ピカピカのブーツを恨めしそうに見ているとクスクス笑いが降ってくる。
『大変そうね。助けが必要かしら?』
「いいや。女王の手を煩わせるほどのことでもない」
力仕事なら慣れている。
というよりもここでの仕事は殆どがそれである。
「気を悪くせんでくれよ」
意識の無い相手に一応謝ってから腋の下から腕を差し込んで上体を支え、膝の裏側にもう片方の腕を入れて持ち上げた。
さすがに軽々というわけにはいかなかったが、重い墓石を運ぶこともざらにあることもあって居住している管理小屋まで運ぶくらいは問題が無い。
地面に突き刺したままの愛用のシャベルは後で取りに来ることにして家路を急いだ。