8.授業④
━━授業が始まって、三ヶ月━━
「愛する、子らよ、主が、我らを愛するのなら、我らもまた、我らを、愛そう」
「主を見た者は、誰一人として、いない。しかしもし、我らが、我らを愛するのなら、主は、我らと共にあり、そして、主の愛は我らの中で完成される」
「……そして、主はその息子を、世界の救世主として、お送りたもうたことを、我らは認めよう」
「……主が、我らに向けたもうた愛を認め、信じよう。主は、愛である。そして、愛の内にある者は、主の内にある」
「……」
「……」
「ど、どうですか……せんせい……?」
ソフィーは手に持つ聖書で顔を隠して、恥ずかしそうに目だけをこちらへ覗かせる。
「……」
ゆっくりと、一言ずつ。牛が車を引くようなペースで。でも、はっきりと。
そうして初めて、ソフィーは自分一人の力でルター訳聖書の一節、「ヨハネ第一の手紙」の一部を読み上げた。
驚くべき知性の開花だった。天才と言えるかもしれない。
三か月前は字を読むことのできなかった女の子が、今や世界で最も重要な本を一人で読んでいるのだ。通常、文字を学び始めてから数年はかかると言われる聖書の朗読をだ。
授業が始まってから、ソフィーは大学の大きな講義の中でもごくごく少数の学生だけが見せるような、教授の言葉を一言も漏らすまいとするような、そんな熱心さで私のことばに耳を傾けた。その成果は目に見えて現れた。
わずか三か月。この短期間のうちに、ソフィーは初等教育における三大目標である聖書、教理問答、讃美歌集の朗読と暗記への足がかりをつかんだのだ。
「……あの、レギーナ?間違っていましたか……?」
控えめな彼女の大きな成長に感動して、私は暫く声が出なかった。
「……いいえ、素晴らしい。お上手です、ソフィー。一字一句、間違いありません」
私の言葉に、ソフィーは安堵の表情を作った。
「ああ、レギーナ、ほんとうにありがとう!わたくし、ほんとうに嬉しいわ!字を、それも一番大切なこの本を読むことができるなんて!ねえ、わたくしがどんなに幸福か、お分かりになって?」
わたくし、救い主のことばを自分で受け止めることができるのね、と、そう言うと、沸き上がる喜びに揺さぶられたソフィーは私に飛びついた。
「ほんとうに、よく頑張りましたね。でも、大変なのはこれからですよ?」
「ええ、わかっています。わたくし、まだまだ頑張ります」
その晩、ソフィーは夕食の席で両親にも聖書の朗読を披露したそうだ。
気をよくした旦那様は私の俸給を本来の四百ターラーに賃上げし、夫人のお古の革靴も加えてプレゼントしてくださった。
もちろん、敬虔なルター派教徒から、宗派の異なる独り身の家庭教師への寛大な施しなのだと、恩を着せることを忘れはしなかったけれど。