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49.家庭教師⑦

「ではとにかく、全ては君たちが……」


 心が(えぐ)られる話し合いの後。


 旦那様は一度ソフィーへ目をやり、そして私を見て、努めて落ち着いた声で言い直した。


()()、結果を出してからだ。分かったなら、もう行ってよろしい」


 私達の計画が成功するはずがない。そう旦那様が思っていることは明白だ。


 それでも機会を下さったのは、寛大なことだ。感謝の言葉は、直ぐに私とソフィーの口から出たのだった。


「理解してくださり、ありがとうございます」


「ありがとうございます、お父さま、お母さま。それで、この後少しの間だけ、部屋でレギーナとお話をしたいのですが、かまいませんか?もちろん、二人で、ではなくて」


 ソフィーの問いに、奥様が硬い顔のまま頷いて、アウグステさんが微笑んだ。


 できるだけ丁寧に挨拶をして、書斎から出る間際。旦那様が私を呼び止めた。一度緩んだ緊張が、再び私を襲った。


「ああ、待ちたまえ、レーフェルド君……ところできみは、出版社に知り合いはいるのかね?個人的な繋がりというのは、商売をするうえではとても重要な事柄だが……」


「それは……」


 突然の問いに、顔にぶわりと血が巡るのを感じた。痛い所を突かれたからだ。


 小説を書いたとして、それをどこへ持って行けばいいのか。そのための明確なアイデアは、まだなかった。私は決まりの悪い返事しかできなかった。


「……いえ、いません。これからあたりをつけようというところで……」


 計画の不透明さに呆れられるか、と思ったけれど。その反応は予想外にやさしかった。


「そうか。(ハレ)の出版社に私の知り合いがいてね。君さえよければ紹介してあげよう」


「……ええと、それは……」


 急に、どうしたというのか。先程まで憎しみに近い感情を曝け出して議論をしていたというのに。


 説得すべき相手からの突然の申し出に、直ぐには答えることができなかった。


 旦那様の方は私の躊躇など見透かしていているようで、落ち着いた口調で続けた。


「必要な助けは拒まない。それが誰からの申し出であっても。それもまた、強さというものではないかね?」


「……そうですね。では、どうか、よろしくお願いします」


 施しを受けるしかない自分の不甲斐なさに嫌気がしながらも、旦那様は存外親切だと、もしかしたらこのまま上手く事が運ぶかもしれないと、その時の私は希望を持った。なぜ旦那様が急に手助けをするのか、そこまで考える精神的余裕はなかったのだ。







 ようやく肩の荷が下りたように感じられたのは、がちゃり、と旦那様の書斎のドアを閉めた後。


 横ではソフィーがふうと小さな吐息を洩らして、胸を手で押さえている。自分の事に精一杯で、頬がまっ赤に上気する程の緊張に晒してしまっていた事に、ようやく気が付いた。


 両親とのつらい会話を耐えてくれたこと、耐えさせてしまったこと。それが申し訳なくて、私の顔はくしゃりと歪んだ。


「ソフィー、ほんとうに……ほんとうにお疲れ様でした。大変な思いをさせてしまって、私は……」


「……そんな顔をしてはだめですよ、レギーナ。わたくしたちは、一歩進んだのですから」


 こちらを見上げたソフィーは、緊張を隠すような、そんな笑顔を浮かべて、そして私の手を取った。


「……それに、まだやることがあります。わたくしの部屋へ行きましょう。これからの事を、話さねばなりません」






 その後は、ソフィーの部屋で小説の詳細を話し合い、大まかな流れを作った。付き添いのアウグステさんは私達をそっとしておいてくれて、それは心地よい時間だった。


 小説の中では、修辞学の授業の一環として手紙のやり取りが始まること。そこでは、授業の日々をソフィーが思い出しながら手紙に記し、それに私が返事をする、という形をとることが決まった。


 初めて会った日、アルファベットの習得、単語の暗記、聖書の朗読、デッサンの授業……それらを成したのがたった一年前だという事が、私達二人をとても驚かせたのだった。そして、その日々を書き記すことが、とても大事な事のように思えた。








「これからは、簡単には会えなくなるでしょうから……」


 別れ際。屋敷の門の前でソフィーはそう言って、私の腕にやさしく触れた。


「だからレギーナ、最後にちょっとだけ……」


 透き通った白い肌の整った顔が、短い金色の髪がさらに近づいた。愁いを帯びた彼女の瞳が、何かを求めていた。きっと私の目もまた、ソフィーと同じ種の火を宿しているに違いなかった。


 これくらいなら、許されるだろうか。後ろに控えるアウグステさんを見ると、私に二コリと微笑んで、片目を閉じてウインクをした。


 私はソフィーをぎゅっと抱きしめて、好きだと言って、そして屋敷を後にした。







 それから二週間、私はソフィーに会うことはなく、手紙のやり取りだけが続いた。


 会えない寂しさ、両親との関係を壊してしまった事への不安は絶えなかったけれど、彼女からの手紙を読んで、返事を書く間だけは全てを忘れることができた。


 日に何度も手紙を届けに来てくれるアウグステさんは、それが時間と労力を使う仕事であるにも関わらず、嬉しそうに引き受けてくれたのだった。


 手紙を通じてなら、詮索が過ぎることも━━例えば、一日の内どれくらい彼女の事を考えているか、とか━━素直に書くことができた。


 彼女が自室の机に向かい、恥ずかしさでぱっと頬を赤らめながら手紙を書いていることを想像すると、私も幸せな気分になった。







 自己満足でなく、内容への手ごたえはあった。


 アイデアは斬新。女性同士の友情を描いた小説というものは、この国ではまだ広まっていない。イギリスではそのような話があるらしい、という事は読書家の間で知られているから、珍しさから興味を持つ人だっているかもしれない。


 家庭教師の授業も現実的に描くことができている。その光景は、特に国民学校で教育を受けた者にとって、興味深いに違いなかった。


 ソフィーの手紙はとても明確な文章で綴られていて、過去に出版された書簡体小説と比べても、文学的美しさでは劣るものの、むしろ読みやすさという点では勝っている。


 もちろん、旦那様のつてに頼ってはいけない。近隣の出版社を調べ、父にも手紙を書き、助力の道を探った。






『出版社の人間を屋敷に呼ぶから、会いに来なさい』





 アウグステさんを通じてそのような知らせが届いたのは、そんなある日のことだった。

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