4.アルトハウス家③
胃が締め付けられるような面談からの解放感、そしてどうやら職を得たという安堵感を楽しむ余裕もなく、私はアルトハウス家のご令嬢、アンネソフィー様の部屋の前に立っている。
生徒と良好な関係を築くことができなければ、私は即刻解雇されるかもしれないのだ。尊大な態度をとっても尚ありがたがられる学校教師様との差は一体なんなのだと嘆いても、今更仕方のないことだけれど。
とにかく、うまくやらないと。
そう自分に言い聞かせて、『とんとん』とドアをノックするけれど、待っても待っても返事はない。
……ずっと待っているわけにもいかないだろう。
「失礼します、お嬢様」
私はゆっくりとドアを開けた。
その二階の部屋の窓は開け放たれていて、外から吹き込んだ風で白いカーテンが揺れた。
一人の女の子が窓の前に立ち、手を胸の前で組み、祈りを捧げているのが一瞬だけ見えた。
カーテンが元の位置に戻り、部屋の主、私の生徒の姿が再び目に入る。
ある種宗教的な、清澄な雰囲気を放つ女の子だった。
生活世界のあれやこれやに頭を悩ませなければならない自分とも、そしてアルトハウス夫妻とも全く異なる性質の人間だということが見て取れた。
きれいに切り揃えられた、長くて真っ直ぐな金色の髪。曇りのない白い肌。くりくりとした大きな瞳。ひと目で上質なものとわかる真っ白な綿のケミーゼドレスが、まるで体の一部であるかのようにとても似合っている。
病弱とのことだったけれど、肌の綺麗さ、そして女性になりつつあるその身体のふくらみは、そのような印象は与えなかった。
彼女を見て、私は胸が高鳴るのを感じた。
「あっ……」
彼女の方はしかし、私の姿を認めると、一歩身を引いて、そして小さな悲鳴を洩らしたのだった。
大きな街へ出れば、同年代の、そして成人した男性からの目を引き、邪な想像さえ掻き立てるかもしれない可愛らしい女の子が、今や震えて消え入ってしまいそうだった。
その姿はまるで、狩人に怯える小ウサギだった。
新しい家庭教師に怯えているのだと、私はそう理解した。
生徒に気に入られることも、もちろん大事だけれど、まずは彼女の緊張を解いてあげないと。
私の身体は勝手に動き、彼女の前に膝をつき、手を差し伸べていた。
「どうか怖がらないで。私は、あなたのためにここにいるのです」
私の行動に、その女の子は驚いた様子だった。
「レーフェルド様、でいらっしゃいますわね。お話は聞いております。……あなたは、これまでの先生方とは違うのですね」
伏し目がちに、彼女はそう言った。透明感のある、きれいな声だった。
「楽しくない思いをされてきたのですね」
私がそう言うと、彼女は私の手を取ってくれた。
「この前は、国民学校にお勤めだった講師様。その前は、牧師様でした。そして今回は、あなた。わたくし、また怖い思いをするものかと、震えておりましたの」
裕福な家庭に生まれながら、病弱で学校に通わせて貰えなかったという彼女は、十三歳で読み書きができないという。
これまでの家庭教師の奮闘も虚しく、目に見えた成果はなかったと、私は旦那様からそう聞いていた。
「私は、あなたの可能性を広げる、ただそのためだけにいるのです」
幸運にも、彼女は私を気に入ってくれたみたいだ。
はにかんだ、控えめな笑顔を見せてくれた。
私はこれからの友好のしるしに、彼女の手に口を近づけた。
「これからよろしくお願いいたします、レーフェルド様」
そうして、私とアンネソフィー様との日々は始まった。
「アルトハウス家」篇終わり