48.家庭教師⑥
読む方によっては許し難い回かもしれません。
「……急に何を言い出すかと思えば……この子がようやく利口になってくれたかと、そう期待した私が愚かだったよ」
旦那様はそう言いつつ、怒りの熱の籠った、冷たい瞳を私に向けた。直ぐには理解されないことは分かっていたけれど、強い生の感情を向けられるのは、心に堪えた。
「君には、とても満足してたのだがね。しかし、自分の立場、そしてそもそもどうして自分が雇われたか、分かっているのか?」
やり手の商人と評判のアルトハウス様の言葉は、私の心を押して縮小させるのに十分な圧力を有していた。
なんとか自分を保つため、私はできるだけ感情の籠らない冷静さを装った。
「……それは、私の能力を信用して、彼女を引き上げることができると期待して……」
「それは家庭教師なら当然の事だろう。違うかね?教えるのが君たちの仕事だ。それをこなすのが君たちの義務だ。できないなら、辞してもらうだけだ。それだけのことだ。あえて『君』を選んだ最も重要な理由はそこではない。決め手となったのは、別の点だ」
私を睨みつけながら、旦那様は続けた。
「……もし君が、外から来た『若い男』だったなら。そうだったなら、娘を教えることは許さなかっただろう」
何を言っているのだろう、と思った。直ぐには理解しかねた。
年齢と性別とが、家庭教師として採用される事とどうやって関係するというのか。
旦那様は、私をうんざりした顔で見て、言った。
「君が女だからだ。妻や娘との不義も起こりえないと、そう思ったからからこそだ。だからここで教えることを許してやったのだ。若い男の家庭教師が目の前の人間に劣情を向けるというのも、珍しくないそうではないか……それがどうだ……なんということだ……君がしたのは教育ではない……これは、洗脳ではないか……」
夫人とソフィーを余計な刺激から守るため。
どうやらそれが、私がここにいることを許された、ソフィーと出会うことが叶った最も重要な理由らしかった。
ソフィーが神に感謝したという私の存在が、旦那様にとってはそれっぽっちの理由だったのだ。失敗したら、ただクビになる。それだけの存在だったのだ……
「この子が要らぬ考えを身に着けないようにと、そう念を押しておいたはずだがね?」
旦那様は続けた。
返す言葉が出てこない。悲しくて、やりきれなくて、心臓がきゅうと締め付けられた。私はただただ、じんわりと瞳が濡れてきて、一粒になって下へと落ちるのを待つ他がないのだった。
「お父さま!」
黙って聞いていたソフィーが声を張り上げたのは、その時だった。その横顔は、私を守ろうとするその真剣な表情は、私の心に強く焼き付いて、ずうっと離れないほど綺麗だった。
「レギーナを侮辱することは、わたくしが許しません」
◇◇◇◇
そうして、旦那様を説得するために、精神をすり減らすような時間を過ごさねばならなかった。
旦那様にとって、ビュルガー氏との関係がなによりも大切だったし、ソフィーの願いは、自ら『下』に身を窶すことに他ならなかった。良い縁談を蹴って女の家庭教師について行くなど、馬鹿げた事だった。
旦那様の非難は激烈で、やがて夫人もそれに加わった。
━━わかってくれ。私は、私は上へ行きたいのだ!!
━━あなたはレーフェルドさんを尊敬しているけれど、それは愛情とは異なるのですよ?同性を愛するだなんて、そんな、きたないこと……
ぐるぐると、何度も同じ話を繰り返さねばならなかった。『一度でいい、せめて挑戦する機会をください』と二人で頼み込んだ。
ひとまずの妥協案に落ち着くことができたのは、屋敷に響いていたであろう怒鳴り声を聞きつけたアウグステさんの仲裁のお蔭だった。
長い議論の結果、秋までに出版の約束を取り付けることができたなら、ソフィーの努力と将来性に免じて今回の婚約の件は考え直すこと。そしていずれにせよ、今後私がアルトハウス家に立ち入ること、私とソフィーが二人で会うことは禁ずると、そう決まった。




