47.家庭教師⑤
━━数日後━━
『書簡体小説を書いて、自立の第一歩とする』
その目標に達するまで、沢山のやっかいな仕事が待ち受けている。
ソフィーの婚約を白紙にして、小説の草案を練り、出版社にアイデアを売り込み、執筆し、販売にこぎ着け、そして本を売る━
待ち受ける数々の障害の、その一つ目に取り掛かるため。私達は今、アルトハウス様の書斎の扉の前に立っている。
「お父さまとお母さまは、分かってくださるでしょうか……」
不安そうに、ソフィーは洩らした。
「直ぐに、というのは難しいかもしれません。でも、私達は頑張らなければ……」
「ええ、そうですね……」
彼女の手をぎゅっと握ると、ソフィーはぎこちなく微笑んだ。
ベルリン旅行に連れて行って欲しいとおねだりをするのとは訳が違う。相手方の家族との関係もある。私達二人の事も、直ぐには理解されないだろう。
最悪の場合に至りそうな時は、私は責任を取って村を去ろう。ソフィーの未来だけはなんとしても守ろう。
そう心に決めて、私は書斎のドアをノックした。
◇◇◇◇
「やあ。レーフェルド君。今日もお見舞いかい?」
「ええ、それもあるのですが……少しお時間を頂いても?」
「……ああ、もちろんだとも」
そう言うアルトハウス様は私達に目をやって、少し険しい顔をした。
堅信礼の後、やはりソフィーと旦那様との間には溝が入っていた。
旦那様からすれば、準備していた婚約の話がソフィーの我儘のせいで延期となり、面目を潰された、ということだろう……
「お父さま、お話があるのです」
透き通った声で、ソフィーは言った。旦那様の表情がさらに険しくなった。深くため息をついて答えた。
「……婚約のことかい?分かっているだろう。お前にとっても、私にとっても、これが一番なのだ。ビュルガー様は、規模は大きくないが紡績業を営んでいる。我が家と同じようにね。いいかい、この国の紡績業は、イングランドやフランスに大きく後れを取っているのだ。我々のような経営者が生き残るためには、協力して工場を経営するしかないのだ……」
もう何度も交わされた会話なのだろう。明らかに腹を立てながらも、旦那様はスラスラとそこまで言って、冷たい瞳でソフィーを見つめた。
「そのために、わたくしがビュルガー様と結婚しなければならないのですか?お父さまの、お仕事のために?」
「そうだとも。お前がビュルガー様と結婚すれば、我々は親戚同士。共同で既製服生産工場を立ち上げることになっているのだ。だからいい加減、我儘を言うのは止めなさい。我が家にとっても、お前にとっても、それが一番の……」
「……わたくし、それでも結婚をしたいとは思いません。お父さまのお仕事のお話は、わたくしが結婚をしなくてもできるのでしょう?……わたくし……これは真剣に悩んだ結論なのですが、わたくし、お外で働いて、そしてずっとレギーナと一緒にいたいと、そう思っています」
「……外で働いて、そして、何だって?」
顔を凍り付かせる旦那様を置いて、ソフィーは続けた。
「お父さま、信じてもらえないかもしれませんが、わたくし、ビュルガー様ではなく、レギーナと一緒にいたいのです。家庭教師として来てくださったときから、ずっとそう思っていました。わたくしのところに来てくれた事を、何度神様に感謝したか知れません」
「……は?」
旦那様は、苛立ちと怒りの籠った震え声を私に向けた。
「レーフェルド君、これは、どういう……?」
自分の緊張と、旦那様からあてられた感情で、私は頭がくらくらした。でも、答えねばならない。それがソフィーに新たな可能性を与えてしまった者の責任だから。
「わたしも……ソフィーと同じ気持ちです」
深呼吸をして、私は続けた。
「それに、ソフィーには言語の才能があります。とても秀でた才能です。読み書きの能力を活かして、自立することができるはずです。私は彼女を、彼女の才能を、ずっと傍で支えてあげたいと、そう思います」
どん、と鈍い音がした。
旦那様が机に拳を叩きつけた。瞳には燃える怒りの炎が宿っている。
堅信礼の後、一度は水に流された議論に再び火が付いた。それも今度は、油を注いだように燃え上がった。




