35.復活祭と⑤
過去話サブタイトル一部変更しました。
━━復活祭の日曜日。十五時頃━━
復活祭は最も古く、そして最も尊い毎年の祝祭。
ざわざわと、教会の中は集まった人たちの話し声で満ち満ちている。
側廊上のオルガン前に座っている私は、全てを見下ろすことができた。
会堂の長椅子は満席。座る場所がないので入り口付近で腕を組んで立っている人や、足が疲れて壁に寄りかかっている人も。
老若男女、農民も職人も、普段何をしているのか分からない人も。毎週日曜にこの場所を訪れる余裕のある人も、ない人も。一緒に復活祭を祝うためにここに来ているのだ。
淀んだ(それを厳かととる人もいるけれど)空気がいつも漂っているこの空間に、こんなに沢山の人が詰めかけるのは、一年を通してこの日だけだろう。
『がぁん……がぁん……がぁん……がぁん……がぁん……がぁん……がぁん……』
教会塔の天辺から別れの鐘 (Scheidungsläuten) が鳴り響く。
二つ、三つ、四つと鐘が続くにつれ、会堂は次第に静かになっていく。最後の鐘が鳴り止むと、教会内は完全に沈黙した。
短髪黒服の若い副執事さん (Subdiakon) が袖廊奥から現れて、厳かに礼をした。
彼に続いて、十数人の少年少女が祭壇の前に設けられたスペースに向かう。
どの子もラッパスイセンの花を耳の上に挟めている。『復活祭の鐘 (Osterglocke) 』を意味するこの花で、この日を祝福しようという子ども達のアイデアだった。
皆が聖歌隊に目を向けていた。
中でも一番人目を引いているのは、間違いなく、聖歌隊の真ん中に位置するソフィーだった。
シンプルで装飾のない、黒いゆったりとした礼服に身を包んでいる。サテン生地だろうか。前髪は五分で分け、後ろはそのまま下ろしている。その髪も、アウグステさんが櫛で梳いて、そして少しのオリーブ油で撫でつけたに違いない。頭の上に輝く銀のティアラと、そして(きっと緊張しているのだろう)上気した頬、それでも身体に沁みついた上品な立ち振る舞いが、あどけなさと気高の両方の印象を与えた。
そんな彼女を見て、昨日の深夜に別れたまま、あの問いの意味をまだ聞けずにいることを思った。
聖歌隊が位置につき、落ち着いたのを見計らってから、指揮を務める副執事さんが落ち着いた微笑みでもってこちらに目配せをした。
それが始まりの合図だった。
私は身体をオルガンの鍵盤へと向けた。一度椅子からお尻を上げて、リラックスできる姿勢を作る。ふぅと息を吐く。黒と白が逆に塗られた鍵盤に両手を伸ばす。最初の和音の位置に指を置く。
さすがに緊張する。教会内は静かだ。皆がオルガンを待っている。
『リズムを崩さないように。一定のペースで。主役は子ども達。私は付き添いであり伴奏 (Begleitung) ……』
そう自分に言い聞かせる。
そうして鍵盤に力を込めると、後は身体が勝手に動いてくれた。
先ずはオルガンの柔らかな音が響き、そして少年少女の歌声が空気を揺らす。
『この復活祭の時、
我々は朗らかに過ごそう。
神は救済の準備をなされた。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
『復活なされたのは、
十字架に処されたイェズス・クリスト。
永遠の賛辞と祝福を。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
『彼は地獄の門を壊された。
そこから皆を連れ出された。
我々を暗闇からお救い下さった。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
ソフィーも、隣のベルナデットも、そして他の子ども達も、練習通りに一生懸命声を出している。
ただ、これまでの練習とは異なる点が一つ。
二番、三番と歌が進むにつれ、礼拝堂を埋める人たちも合唱に加わっていったのだ。歌詞を知っている人は口ずさみ、知らない人は鼻歌で。
『世界の全てが歌っている。
神の子に祝福と賛美を歌っている。
彼は我々に楽園をお与えたもうた。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
正に歌詞に記されているように、次第に教会の中に喜びの声が膨れ上がっていく。
『全ての人よ、歓喜せよ。
父なる神、子なる神、そして精霊を讃えよ。
今この時より永遠に……』
そうして最後は教会にいる全員が。ちらりと下を見れば、この後説教を控える牧師様までもが。そしてもちろん私も、みんなで一つの大きな感情のようなものを共有して、興奮と共に大きく口を開いた。
『『『ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ!
神の子を、マリアの子を讃えよ…………!』』』
村の人の叫ぶような歌声も、ここまで規模が大きいとただただ荘厳。
歌の最後の言葉が、一つになった信仰の熱気と交わって教会の中にこだまする。
数秒の余韻の後、誰かが『ぱち、ぱち』と手を打った。つられて、また違う誰かが『ぱち、ぱち、ぱち』と手を打つ。
周りへどんどん伝染していく。その祝福が割れんばかりの拍手になるのは一瞬だった。皆がしあわせそうな笑顔を作った。
復活祭の儀式の重要な一部分である讃美歌という大役を終えて、歌う前よりも頬を上気させたソフィーがこちらを見て、手を胸に置き、安心した顔を見せた。
補足:
現実には復活祭の日にラッパスイセンを耳に飾る習慣はありません。筆者の趣味と思ってください。花飾り、きれいなので。この花を花束にして大事な人に贈ることは実際あるようです。




