33.復活祭と③
━━その日の夜━━
「待たせてすいません、ソフィー」
「いいえ。誘ったのは、わたくしなのですし」
村の教会では復活祭の聖火(Osterfeuer)が灯されている頃。
屋敷を訪れると、ソフィーは普段とは異なるいで立ちで、庭に置かれた白い椅子に腰かけていた。
いつもは後ろで纏めている髪は下ろされ、綿のドレスの上に深緑の暖かそうなガウンを羽織っている。
「……少し、雰囲気が違いますね。似合っていますよ。とても」
私の問いに、彼女の顔は少し赤くなった。そうですか、と、小さな声で返事をした。
「さっき、身体を洗ったのです。聖水を汲むのに、きれいでいたいですから。髪も、お酢で濯いでそのまま。服はアウグステさんが渡してくれたのです。で、では行きましょう!私が案内します」
そう言って、ソフィーは聖水の器を持って歩き出した。
村の中はもう知っているつもりだったけれど、ソフィーは私がこれまで行ったことのない道をとった。
屋敷を出て、教会の反対側の方向へ。
村を縫うでこぼこした狭い道を抜け、緑が芽吹き始めた牧草地を横切ろうとしている。
ソフィーの足取りは軽く、どんどん進んでいく。
月のおかげでそれなりに明るいけれど、もう真夜中近く。まるで夜の妖精か何かに、帰ることのできないどこかへと誘われているような気分になる。
「小川に行くのでしょう?こんなに歩く必要があるのですか?」
「ええ、きれいなお水を汲みたいと思って、よい場所を聞いたのです」
「誰にですか?」
「バウアーさんです」
「『バウアーさん』ですか……」
仲良くなった年下の女の子のことを、ソフィーは未だ苗字で呼ぶのだった。
そのことが、少しだけ気がかりだった。
「ベルナデットと名前で呼べば、彼女も喜ぶと思いますよ。あなたも私やアウグステさんのことは名前で呼んでいるではないですか」
それは軽い助言のつもりだったけれど、ソフィーにとってそれは、教理問答の暗記のようには進められない、難しい問題だった。
少し詰まりながら、彼女は答えた。
「それは……」
「それは?」
「……アウグステおばさんにはずっとお世話になっていますし、あなたは別です。それにわたくしも、努力はしているつもりなのです。でも一度慣れてしまった事を変えるのは、簡単ではないではないですか」
元来の引っ込み思案に加えて、『育ち方』も影響しているのだと思う。
ファミリーネームで呼び合うことの多い『市民』と、ファーストネームで気楽に呼び合う『村人』の習慣の違いが薄い壁となっていた。
自分で学んだのか、家族や過去の家庭教師達からはっきり教えられたのか、それは分からないけれど、ソフィーは市民の方法で育ったのだった。
これは、ソフィーが自分で勇気を出して一歩踏み進めなければ解決しない問題だった。彼女が、村で友人と呼べる存在を作るためには。
少しの沈黙の後、ソフィーは拗ねたように言った。心に掛けられた負荷が、別の方向に向いた。
「でも、レギーナ?」
「はい?」
「あなただって、わたくしには丁寧にしか話しませんね」
「……そうでしょうか?」
「そうです!……ベルナデット……バウアーさんには、お友達のように話しているのに」
前へと足を進めながら、ソフィーは続けた。少し不満そうに。
「『好きな食べ物は何?』だなんて親しげな言葉、レギーナはわたくしには言ったことがありませんね!」
それは一か月前の、聖歌隊の顔合わせの時。私は確か、ベルナデットにそんな事を聞いた覚えがある。
村の子らには簡単に接していたのだけれど、それがソフィーにとっては『親しく話しているように』聞こえるのだった。
ほんとうはソフィーとも違った風に話してもいいのかもしれない。朗らかに、簡単に、村の子と話すように。そうすればソフィーも応えてくれるだろう。
でも、どうしても私はそうできないのだった。
「それは……」
「それは?」
「……私はあなたの家庭教師ですから。あなたが大事だからですよ」
私の言い訳に、ソフィーは「そ、そうだったんですか」と言って俯いた。
嘘は言っていないけれど、少しの罪悪感を感じた。
作中での敬語とか呼称表現について、いろいろと活動報告に書きました。もし興味があればどうぞ。
おそらくレギーナさんは、彼女達の言葉ではこんな感じで会話している筈です。
━━聖歌隊の顔合わせ━━
レギーナ
「Was isst du gern?(好きな食べ物は何?)」
ベルナデットちゃん、ニコニコしながら
「Braaaatwurrrrst!(ソーセージ!)」
ソフィー、少し離れた場所から
「...(Um Gottes Willen... Die Beiden sind so befreundet... なんということ……二人とも楽しそう……)」
━━別の機会━━
レギーナ(丁寧語)
「Was äßest du gern, Sophie?(お好きな食べ物は何ですか、ソフィー?)」
ソフィー、高めのトーンで
「Hmm… Gute Frage… Ach, der Honigkuchen, der du mir in Berlin gekauft hast, hat mir lecker geschmeckt. Den hätte ich nochmals, Regina. (ええと、ちょっと待ってくださいね……あっ、ベルリンであなたが買ってくださった『あの』はちみつケーキがとても美味しかったです。また食べたいです、レギーナ)」
ベルナデットちゃん、割り込みつつ
「Was ist denn Honigkuchen? Ist er leckerer als Bratwurst?(はちみつケーキってなに?ソーセージよりおいしい?)」
レギーナ(くだけた調子で)
「Hmmmm, ich glaaaaaube..... der Honigkuchen schmeckt doch besser. Der ist süß.(うーん、私が思うに…はちみつケーキのほうがおいしいわ。とっても甘いの)」
ベルナデットちゃん
「Waaaas… Unglaaaublich…… (えー……なんていうこと……)」
ソフィー
「……(レギーナの話し方が違います……)」




