32.復活祭と②
━━二か月後。復活祭の前日、聖土曜日の早朝━━
『この復活祭の時、
我々は朗らかに過ごそう。
神は救済の準備をなされた。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
石造りのアニオール・ルター教会に子ども達の歌声が響く。オルガンの伴奏に乗せられて、メロディが高く上って行く。
それと交差するように、天井近くの白い鳩の模様が入ったステンドグラスから、やわらかい朝の陽の光が空間に差す。
教会の祭壇前に立っているのは、村の子どもたち十数名。未だ歌詞表を手放すことのできない幼い女の子も、堅信礼(Konfirmation)をこの復活祭に済ませる先輩も、各々が真剣な表情で讃美歌コンサートのリハーサルに望んでいる。
『復活なされたのは、
十字架に処されたイェズス・クリスト。
永遠の賛辞と祝福を。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
『アニオール聖歌隊』と銘打たれたこの少年少女の合唱も、数度の共同練習を経てようやく聴けるようになった。
初めての声合わせはほんとうにひどいものだった。
歌い声というよりも叫び声と言った方が適当で、果たして去年まではどうやってコンサートなど開けたのかと思わずにはいられなかった。
学校では歌の授業もあるはずだけれど、村の家庭からは、学校教育は些末な事と見なされる。真面目に音楽の授業まで受ける生徒は村ではむしろ珍しいのだった。
教師の方もそのような子らに無理やりにでも音の規律を叩き込むことはせず、音楽の授業をお情けの成績で卒業させてあげるのが常だ。それが教師の怠慢かどうか、それは判断の別れるところ。
聖歌隊がなんとか形になったのはソフィーのお蔭と言っていい。初めのうちは彼女も恥ずかしがっていたけれど、屋敷の授業で習ったことを活かし、村の子どものお手本になって歌ってくれた。
お蔭で喉がかすれて、お腹が筋肉痛になったこともあったけれど、結果、年下の女の子にも懐かれた。「歌がとっても上手!」と真っ直ぐな視線を向けられると、困りながらも嬉しそうに、「ありがとうございます」と返事をするのだった。
『彼は地獄の門を壊された。
そこから皆を連れ出した。
そして我々を、暗闇からお救い下さった。
ハレルヤ、ハレルヤ。
神の子を、マリアの子を讃えよ……』
そういえば、見知らぬ男性二人がアルトハウス様に連れられて歌の練習会に現れたことがある。
年を取った人と、若い人。どちらも村の人間よりも上等な服を着ていた。澄んだ声を響かせるソフィーのことを彼らはじっと見ていたような、そんな気がした。
あの二人は、明日のコンサートにもまた来るのだろうか。オルガンの伴奏をしながら、ふとそんなことが頭に浮かんだ。
◇◇◇◇
「……それでね、原っぱの先の森の中に……」
「……そうなんですか。それは是非……」
明日の本番ための最後のリハーサルが終わった後、ソフィーは仲良くなった女の子とおしゃべりをしている。
農家の娘さんで、名前はベルナデット・バウアーちゃん。
そばかす顔に三つ編みの髪。つぎはぎのある厚手のブラウスと長スカートを身に着けていて、屈託のない笑顔を絶やさない。
村の学校はどうか、家庭教師の(つまりは私の)授業はどうか、天気や食べ物の話とか。そんなことをよく話しているみたいだ。
「じゃあ、また明日、ソフィー!」
「はい、バウアーさん。また明日。頑張りましょう」
でも年下の女の子は友達言葉で話しているのに、ソフィーの方は未だ敬語なのは、なんとも彼女らしいというか。
「……あの、レギーナ。今日の夜、お時間よろしいですか?」
元気に手を振って走り去る女の子を見送ってから、ソフィーが私に聞いた。
「夜と言うと、聖土曜日の儀式ですか?今更ですが私は宗派も違いますし、遠慮しておこうと思っていました。お給金だって出ませんしね」
「い、いえ。違うんです。そうではなくて……」
一呼吸置いて、ソフィーは言った。
「復活祭の聖水 (Osterwasser) を汲みに行きませんか。もし、よろしければですが」
「……小川で汲むのですよね。いいですよ。一緒に行きましょう」
肯定の返事を聞くと、彼女は笑顔を輝かせた。
「いいのですか!」
「ええ、では、夜は屋敷まで迎えに行きますね」
「わかりました。待っていますね!」
そうして彼女は屋敷へと向かったけれど、別れてから数十秒後。歌の練習で明らかに増した声量で呼び止められた。
「そうでした、レギーナ!」
「はい?」
「お水を汲むのですから、なにか器を持ってきてくださいね!」
そう言って、ソフィーは友だちとなった年下の女の子、ベルナデット・バウアーちゃんのように元気に手を振った。
作中で歌われている歌、元々のタイトルは『Wir wollen alle fröhlich sein (Evangelisches Gesangbuch Nr.100)』です。歌の歌詞をそのまま載せるのはやべぇらしいですね。よって筆者による日本語への意訳+歌詞の部分的な変更がなされています。なお、原曲の著作権は既に失効、国内の団体による公式の(?)日本語訳もJasracの管理下にないことを確認済みです(2019.11.18)。




