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31.復活祭と①

━━二月のある寒い日、ソフィーの誕生日━━



「十四歳のお誕生日、おめでとうございます。ソフィー。これは私からの気持ちです」


「……はい?」


 それはソフィーの誕生日のこと。


 準備しておいたはちみつケーキを贈ると、彼女は少し驚いたようだった。おずおずと手を伸ばしてケーキを受け取った。


「……これは、わたくしにですか?それは、ありがとうございます……でも誕生日だから、というのはなんだか落ち着きませんね」


「ソフィーは誕生日を祝ったことはないのですか?」


 私の質問に、ソフィーはきょとんとした表情を作ったのだった。


「……誕生日って、祝うものなのですか?」


 どうやら、アルトハウス家では誕生日を祝う習慣はないようだ。


『全ての人間はこの世に生まれ落ちた時、最初の男女が背負う罪を受け継いだのだ』という教えを信じる人たちにとって、誕生日を朗らかに祝うなどは非聖書的(unbiblisch)な行為とも見なされる。


 ソフィーもまた、それが古くなりつつある考えであることは知らず、疑いもせずに受け入れているみたいだ。


「……最近は、誕生日を祝う家庭も多いのですよ。授業が終わったら、ケーキを一緒に食べませんか?もしお時間があれば、ですが」


「ええ、喜んで!」



◇◇◇◇



 予期せぬプレゼントのおかげか、彼女は一段と集中した。今日の授業は予定よりも早く済んでしまった。屋敷の食事室ではちみつケーキと紅茶を楽しんでいると、旦那様が姿を現した。何か、用事があるふうだった。


「アンネソフィー、ここにいたのか。ちょっといいかい」


「ええ、お父様。見てください。レギーナがわたくしの誕生日にケーキを下さいました!」


 嬉しそうなソフィーとは反対に、旦那様はテーブルの上に並ぶケーキと紅茶に目をやり、一瞬無表情になった。


 出過ぎた事をしてしまっただろうか。誕生日の贈り物などは旦那様の意にはそぐわないだろうか。


 いや、でもケーキくらいなら許されるだろう。なにせ、神様は寛大なのだ。旦那様もまた、喜ぶソフィーを無理に叱ることはしなかった。


「……それは、よかったね。それでだが、一つ提案があるのだが」


「はい、何でしょう」


「今年は復活祭の聖歌隊に参加してみないか」


 ケーキと紅茶に顔をほころばせていたソフィーは、旦那様の突然の命令に少しうろたえた。


 マイセンの白いカップを持ったまま、困った顔をした。


「聖歌隊……ですか……?と、いいますと、お父様、村の方々と一緒に歌うのですか?」


「ああ、村の子らが今年も讃美歌を歌うのだそうだ。お前も去年から随分と成長したじゃないか。復活祭の日は私の知り合いも来ることになっているから、しっかり練習して、いい歌声を聞かせておくれ」


「そ、そうですか……」


 人と一緒に、そして人の前で歌うためにはそれなりの勇気が要る。学校に通わなかったソフィーなら、尚更だろう。


 急に訪れた不安に顔を下に向ける彼女の気持ちを知ってか知らずか、旦那様は続けた。


「レーフェルド君、君も参加してくれたまえ」


「私も、ですか?」


「ああ、もちろんだとも。君にも参加してもらうよ」


「は、はあ……」


 ソフィーの不安を和らげる為なら、私は喜んで合唱に加わろうと思う。


 しかし旦那様にとっては、私が参加することは既に織り込み済みのようだった。


「君はピアノを弾くのだったね。村には音楽家(Stadtpfeifer)がいなくてね。これまでは学校の教師殿にオルガンの演奏を頼んでいたのだが、どうも折り合いがつかなくてね……」


 そうして、旦那様は村の状況を遠回りに、そして長々語って聞かせたのだ。


 つまるところ、教会に適当なオルガン奏者がいないのだった。


 学校の教師が祝祭の席で楽器を演奏することは、教師の尊厳を損なう行為とも見なされる。教師が結婚式でヴァイオリンを演奏することが禁止されたのは、ごく最近のことだ。加えて報酬で揉めることも多いと聞く。


 一方私は雇われ家庭教師。尊厳などというあやふやで厄介なものは必要最低限しか持ち合わせていないし、報酬も旦那様の裁量次第というわけだ。


「ピアノはともかく、オルガンは弾いたことがありませんが……」


 ソフィーの為なら喜んで引き受けるところだけれど、どうやら既に決定事項となっていることに少しの腹立たしさもあった。


 自分をできるだけ高く売りつけてやろうという算段も込めて渋って見せると、旦那様はしかし、ただ怪訝な顔をしたのだった。


「なにせ、人がいないのでね。よろしく頼むよ。それにピアノもオルガンも、似たようなものだろう?」


「は、はあ……」



◇◇◇◇



 そうしてソフィーは聖歌隊に加わり、私は教会のオルガンで伴奏をすることが決まってしまった。いや、既に村の集会の決まり事になっていた。


 来たる復活祭のため、授業のカリキュラムも変更がなされた。


 これからは、毎日朝と夕方に讃美歌の歌唱練習。そして午前中は英語の授業。


 午後の授業は曜日ごとに分けて、修辞学、宗教倫理、芸術(音楽とデッサン)、歴史、地理の基礎を扱うことになる。


 幸い、屋敷には置物と化したピアノがあった。これで正しい音の高さや強さをソフィーに聞かせることができた。


 歌唱練習の際は、まずは私が歌って聞かせ、ソフィーが真似をし、二人で一緒に歌う。ソフィーが歌を覚えたら私は伴奏にまわり、時にはアウグステさんも一緒になって歌う。


 そんな日々が四月まで続いた。

誕生日回。自分も昨日誕生日でした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >音楽家(Stadtpfeifer) >学校の教師が祝祭の席で楽器を演奏することは、教師の尊厳を損なう行為とも見なされる。 勉強になります [気になる点] ドイツ語ってどうして勉強した分…
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