26.閑話・女中アウグステ
女中・アウグステおばさん視点です。
一月の始めのある日のこと。
「まだ帰って来ないのでしょうか……?」
「そんなに気をもんでも、あの人は直ぐには来ませんよ?」
「そ、そうですか……」
アニィちゃん(本当はお嬢様と呼ばなければならないのですが、でもこっちの方が愛着が湧くでしょう?)はどうにも落ち着かずに、そう問わずにはいられないといった様子。
二階の部屋の窓から広がるほんのり雪化粧をした村を眺めながら、これまでに何度も繰り返した質問を再び私に洩らします。
そして私の返答に大きく落ち込んでみせるのです。
田舎村に生を受けた者ならば、大人になる過程で否応なしに経験する人生の厳しい試練の数々。
そう、例えばブラントワインに酔った大人からの理不尽な叱責、同年代の子との喧嘩、一杯の豆のスープのみで過ごさなければならない一日、そして親しい人との悲しい別れ━━。
そういった事柄の大半から守られる代わりに、情熱めいた力に駆られて自分から何か行動を起こすこともない、柔らかな繭に包まれたような、そんな生活を送ってきたアニィちゃん。
でも、この半年の間はまるで別人のように生き生きとしているのです。
そのきっかけとなった張本人はというと、この二週間ほど、南方の故郷で過ごしておられます。村に戻るのは数日後になるでしょう。
それはそうと。
「アニィちゃん?」
「はい、なんでしょう?」
私の呼びかけに振り向くアニィちゃんの、その髪の毛。
本当は絹のように滑らかで、振り向くと同時にふわりと宙に舞うはずのその長い髪の毛が、今やぱさぱさのごわごわ。
体調を崩して髪の手入れをする暇もなかったからなのですが、これでは可愛さが一割は損なわれてしまうというものです。
未来の淑女に相応しいように身だしなみを整えてさしあげること。それもまた、私、女中アウグステの大事な仕事なのです。
「アニィちゃん、そろそろ髪を整えないと。大好きなジニィちゃんにだらしのないところは見せられませんからね」
「え?え、ええ、そうですね……」
ジニィちゃんとはもちろん、半年前に村に来た、きれいな家庭教師さんのことです。
こっちの呼び方のほうが、彼女らしいでしょ?私としては、もっと愛着のあるレキシィセキシィヘキシィちゃんという名前で呼んでもいいのだけれど……
尊敬する彼女の名前を出したからでしょうか。アニィちゃんの目が一瞬大きくなり、その頬は赤らんで見えます。
前から思っていましたが、アニィちゃんの彼女への態度。まるで……
「石鹸で髪を洗って、お酢で濯いで、それから毛先を少し整えれば、すぐに可愛いアニィちゃんに元通りですよ」
「い、いえ……え、ええと……アウグステさん」
「はい、なんでしょう?」
私の問いに、アニィちゃんはもじもじと、いつもよりも更に小さな声で言うのです。
「せ、せっかくですし、私の髪をもっと短くして頂けないでしょうか……あの、レギーナみたく……」
『せっかく』とは何のことなのか。それは彼女のみが知るところですが、恥ずかしさを隠すように伏し目がちになってしまうその姿はまるで……
「はいはい、レキシィセキシィヘキシィちゃんとお揃いにしてあげますからね」
「そ、そのお名前は……」
ニックネームのことはともかく、ええ、アニィちゃんの姿は、まるで一途な……
◇◇◇◇
一日の勤めが終わり、お暇の挨拶のために旦那様の書斎へと伺ったところ、部屋の扉が開け放たれたままになっておりました。
部屋の中から聞こえてくる話し声は、どうやら旦那様と奥様のもののようにございます。
「アンネソフィーの結婚だが、そろそろ考えてもいいのではないか?」
「ええ、少し早いかも知れませんが、あの子も随分と成長したようですし……」
いえ、盗み聞きというわけではございません。たまたま。そう、偶々耳に入ったのでございます。
あのか弱いアニィちゃんも、もうすぐ十四歳。結婚を考えてもおかしくない年なのですね。
……でも、ちょっと早いんじゃないかしら。
「何人か、候補もいるのだよ。仕事上の知り合いの息子さんなのだがね。もしアンネソフィーが結婚するとなれば、皆も幸せになるというものだ」
旦那様はそう仰っていますが、さて、これからどうなるのでしょうか……
久しぶりの更新でした。筆者のリハビリも兼ねた閑話になりました。




