15.ベルリンでの休暇⑥
「レ、レギーナ……わ、わたくし、怖くて、こわくて……」
図書館から出たソフィーはようやく口を開いたけれど、それ以上言葉は続かず、ボロボロと、大粒の涙を流した。
「大丈夫ですよ。ソフィー。あなたの考えは、私がわかっています」
「はい……ごめんなさい、でももう少し、このまま」
「ええ……」
ソフィーがありったけの勇気をふり絞ってあの場で発言をしたことが分かるのは、家庭教師として彼女の成長を見届けてきた私だけ。
読書会の参加者にとって、ソフィーは常識を知らない田舎娘以外の何者でもなかっただろう。
緊張を折られ、大人の男性の怒りに当てられ、そしてかつての家庭教師達を思い出したのかも知れない。彼女は私の腕の中で震え、しばらくの間泣きはらした。
私にできることと言えば、彼女を受け止め、安心させるために頭を撫でてあげることくらいだった。
それがとても悔しかった。そして自分が情けなかった。愛する生徒が怒鳴られる様を、私はただ見ていたのだ。他に何か、できることがあったはずなのに。
そしてあふれる彼女の涙は、私にとある決意をさせるのに十分な熱量を有していた。
◇◇◇◇
「ねえ、レギーナ」
ソフィーの心が落ち着がくように、私たちは近場のコーヒーハウスで休憩をとることにした。
私はミルクコーヒー、そして目と鼻の周りがまだ赤いままのソフィーは甘いココアを啜っている。
「あの教理問答、どう思われましたか」
あたたかいココアの入ったカップを両手で包むように持ち、視線を落として、とても落ち込んだ、あきらめの混じった、しかしいつもの透明感のある声で、ソフィーは呟いた。
「ロマンあふれる文面でした。覚えていますか、第二節を。『空想や小説に、理想の夫を見出してはいけません』ですよ?あの問答自体、空想じみているというのに」
私の言葉に、ソフィーは少しだけ笑顔を取り戻してくれた。
「……夫とは、面倒なものなのですね」
ふっ、とソフィーは窓の外に目をやった。
通りでは、別段上等に着飾っているわけでもない、どこの街でも見ることのできるような、そんな普通の老夫婦が手を取り合って仲睦まじく、ゆっくりと足を進めていた。微笑ましい光景と言えた。
「でもいつかは、レギーナもわたくしもどなたかの妻になり、その方の為に生きるのですね。想像もできませんが……」
老夫婦を見ながら、ソフィーは続けた。あの読書会の参加者も、そしてソフィーも、あの老夫婦のような関係を理想としているに違いなかった。
しかし。
しかし私は、そうではなかったのだ。『この事』を考えるたび、私は他人とは違うのだと、そう思い知らされる。
「ソフィーはともかく、私が誰かの妻になることは、今後もないでしょう」
それはソフィーにとって、予想外の言葉だったのだろう。落ち込んでいた彼女は、驚きの表情で私を見つめた。
「どうしてです?レギーナは、やさしくって、頭がよくって、そして、とても綺麗なのに……」
「私が綺麗かどうかはさておき……」
ソフィーにそのような知識を与えること自体、アルトハウス様は望まれないだろう。
しかし、私の『奇妙な性質』について話すことは、ソフィーの気を紛らわせるには最適に思えた。あるいは、私は私自身を落ち着けるために、ソフィーにこの事を話してしまったのかもしれない。
「……私は、男性を愛することができませんから」
「……はい?」
それは、私が家庭教師を志したそもそもの理由だった。
そして予想通り、ソフィーは何を言っているのかわからないと、そいういった顔を作った。




