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11.ベルリンでの休暇②

 ━━そして一週間後━━


 プロイセンの首都、ベルリン。住民は一万七千を超える、欧州でも九番目の規模の大都市。


 私達を乗せる馬車は、十四ある街への入口の門の一つを潜ろうとしている。


 その石門の大きさに、ソフィーは冬のぴりっとした寒さなどいとわず、馬車から顔を出した。


「見てください、レギーナ、あの大きな門を!」


「ええ、これが首都への入口なのですね。私も初めて来ましたが、他の街とは比べものにならない大きさですね」


「そう!それに人も馬車も、こんなにたくさん!」


 ごとごと、ごとごと。


 私達を乗せた馬車は、小麦を挽くための大きな風車の立ち並ぶ郊外を抜け、街の居住区へと入っていく。


 馬車が車輪をとられることのない、きれいにならされた広い道。流行の服で着飾った人々、油まみれになって働く労働者達、行きかう馬車、大きな建物の数々。


 それらすべて、ソフィーにとっては初めての光景だった。


「でも……」

 

 興奮を抑えるように、ソフィーは通りに目をやって、やさしい顔で呟いた。


「プラタナスの木は、ここでもおんなじですね」


 冬の寒空の中、葉っぱを全て失って裸になった街路樹が、枝に残された実を垂らしながら私たちを見下ろしている。それは、アルトハウス家の庭に生えているのと同じ種類の木。ベルリンにはプラタナスの木が多かった。


「そうですね……街は大きいですが、木も、人の心もおんなじです」



◇◇◇◇



 街の中心から少し南のフリードリヒ・シュタット地区。


 その一角にある食堂『Gaststätte Sehnsucht』の前で馬車は止まった。この食堂の二階が私たちの宿だった。


 一階の食堂は賑わっていて、昼間から麦酒をあおる大人たちがベルリン訛りで冗談話をしている。どうやら、ここの料理は地元の人(ベルリナー)にも愛されているようだ。


「では、私たちは仕事の用事があるから。今日は二人で街を見学してきなさい」


「レギーナ、この子を頼みましたよ」


 裏地に毛皮の張られた上等なコートに身を包み、流行りの帽子もかぶった夫妻は、ソフィーを残してもうどこかへと出立するようだった。


 ベルリンの主要な産業は紡績業だ。休暇のために訪れたとはいえ、旦那様は綿やシルクを扱う売人との面会の約束があるのだそうだ。


 その他にも、夫人と連れ立っての夕食会、オペラの鑑賞など、毎日予定を入れていた。


 私がいるからというのが大きな理由なのは確かだけれど、その予定のほぼ全てにソフィーのことは含まれてはいないのだった。


「……いってらっしゃいませ、お父さま、お母さま。お気を付けて」


 見慣れぬ大都市の中へ姿を消していく両親に手を振るソフィーの顔は、少し寂しそうに見えた。


「……では、少し休憩したら、私たちも街を見学しに行きましょうか」


「はい、レギーナ」



◇◇◇◇



「人も馬車も多いですから、気を付けてくださいね」


「わかっています。あなたがいるのですから、大丈夫ですよ」


 宿屋のある地区から徒歩で北へ。


 フランス通り、フリードリヒ通りを抜け、ベルリンの、いや、プロイセンの中心ともいえる大通り、ウンター・デン・リンデンを二人で散歩する。


「ところでレギーナ、さっきから気になっていたのですが、あれは、もしかして……」


 散歩の途中、形自体は見慣れた『それ』を指さしてソフィーは聞いた。


 通りに等間隔で並ぶ『それ』は、大都市にのみ存在する文明の灯とも言える代物。


「あれは街灯(オイルランタン)ですよ。夜になると、火がともって辺りを照らすのだそうです」


 村の小道では見かけることのない街灯という存在に、ソフィーは軽い衝撃を受けたようだ。声を大きくして、その街灯をまじまじと見つめるのだった。


「と、通りにランタンがあるのですか!建物の大きさといい、街での生活というのは、村とは違うのですね……」


「どうやら、そうみたいですね。正直に言うと、私も街灯というものは初めて見ました。私達は田舎のお上りさんのようですね」


 通りに設置された街灯や、たくさんの客でにぎわうコーヒーハウス、大きなホテルに感動しながら、私達は足を進めた。


 上部に鎮座していたはずの二輪馬車象がナポレオンの命令によって解体され、持ち去られたままの哀しい街のシンボル、ブランデンブルク門。ベルリン一美しいと評判のジャンダルメン広場の荘厳さに感動した後。


「これが、ベルリン大学ですか……」


 私たちは今、つい最近開校したフリードリヒ・ヴィルヘルム大学、通称ベルリン大学の正門前に立っている。


 その美しい建物は、私に言葉にしようのない感動を与えた。


 太い支柱が並ぶ重厚な作りの建物を前にして、大学というものを初めて見たソフィーもまた、感嘆の表情を見せた。


「大学とは、こんなにも大きいのですか……レギーナもこんな所で勉強なさっていたのですね……」


「いえ、ソフィー。ベルリン大学は特別です。このような大都市の、それも王宮のすぐそば。国の中心部に、こんなに美しくて、そして大きな大学があるなど。ベルリン以外には考えられません」


 ナポレオンの率いる軍に成す術もなく敗退し、領土の一部も名誉も失い、ボロボロになったプロイセン。


 失意の国を学問の面から精神的に盛り上げよ、という皇帝の命令でこの大学が建てられたのは、ごく最近のことだ。


 既に巨大な人口を抱え、経済活動も活発。加えて大規模図書館、植物園、学者によるアカデミーが存在するベルリンに、さらに大学を建てるということ。それは新たな試みだった。


 大学の理念には、これまでドイツ語圏の大学の先端を走ってきたゲッティンゲン大学や私の母校ハレ大学をモデルとしながらも、知識の伝達のみを目的とした従来の大学の在り方にとらわれない自由な研究、教授と講師と学生の間の家族的共同体など、革新的な理想が盛り込まれた。


 一度でも学問を志した者なら、誰もがベルリン大学の成功に期待していた。かく言う私もその一人なのだった。


 その後、王宮やニコライ教会と、プロイセンの中心をひとしきり見学した私たちは、その日は早めに宿へと戻ったのだった。


 明日は、とある課外授業を行う予定になっている。

当時のベルリンに街路樹はあったのかをあれこれ調べる→30分後経ってもわからず。

「Berlin 1800」でグーグル画像検索→2秒で解決。


当時のベルリンのフリードリヒ・シュタット地区は、現在はミッテ地区の南部、クロイツベルク地区、ショーネベルク地区北部のあたり。ウンター・デン・リンデンの南のほうのようです。

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