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時間を止めたい

 ブラジャーとストッキングを洗濯ネットの中に入れて、服と一緒に洗濯機へ放り込む。液体洗剤を注いだ後に電源を入れてスタートボタンを押すと、『ド・レ・ミ♪ピー』と音が鳴り、洗濯機が動き出す。後は、排水、脱水の前に柔軟剤を入れるタイミングを待てばいい。最近の洗濯機は、液体洗剤や粉洗剤、柔軟剤を入れる注入口があって全自動で洗ってくれる洗濯機が主流らしいけど、この部屋の洗濯機はタイプが古いから、そんな便利な代物ではない。

 そう言えば、洗濯機を新しくしたいと彼に言ったばかりだった。ネットでたまたま、洗濯物に関する知識を読んでたら、液体洗剤を入れる順番をずっと間違えていたと知り、ショックを受けて新しい洗濯機が欲しいと思ったのだ。液体洗剤はすすぎの後に入れるべきなんだっけ。ああ、今だって普通に洗濯物と一緒に入れてしまった。まったく。こういう些細なことで嫌気がさしてしまう。

 洗剤物を入れるタイミングを間違っていたと嘆き、すすぎの後に液体洗剤入れて、その後にまた柔軟剤入れる時間がもったいないと彼に愚痴ったけど「洗剤を入れる順番なんて、気にしなくても良いんじゃない?」と言われて、新しい洗濯機は要らないと言う結論になってしまった。「そんなこと言うんだったら、ゲームのステージでコイン全部拾ってクリアする時間あったら、ショートカットしてさっさとクリアすればいい。その時間に色々できる」って言ったら「全クリと通常のクリアを一緒にするな。結果が違う」と喧嘩になってしまった。洗濯機だって良いものにすれば結果が違うのに。挙げ句、「趣味と家事を一緒にするな」と言ってたけど、それは話をすり替えてるだけだと思う。彼は私が話をすり替えてると言ってたけど、彼は洗濯機を買いたくないと言う感情から、結論ありきで私の話を聞かず、私を言い聞かすことしかしてない。

 ああなんだか、彼のことでイライラしてきた。

 もう彼は居ないのに。


 ふと、頭が真っ白になり、時計の針の音が響く。

 洗濯物より規則正しく回る時計は、夜の9時47分を指していた。

 もうすぐ、9時53分になる。

 彼が亡くなった時間。

 建設会社からバイクで帰って来る途中で、黒い車と接触し横転した後、白い大型トラックに頭を轢かれて即死した時間。

 彼はいつも、家に帰ってくる前にコンビニで煙草とお菓子を買ってくる習慣があった。会社からコンビニまではちゃんとヘルメットを付けてるんだけど、コンビニの近くの喫煙所で煙草を吸ってから、我が家に帰って来るまでの短い距離は、いつもヘルメットをしていなかった。

 車保険の会社からお金が支払われるとか、最初に接触した車タイプとかドライブレコーダーとかトラックの運転手の年齢とか想定支払い額とか色々言われたけど、私は免許も持ってなくて、何を言われているのかまったく理解できなかった。ただ、車2台が彼を轢くイメージが頭の中でぐるぐる巡り、話し合いの場で発狂した。

 私自身もなんで急に悲鳴を上げたのかわからないけれど、発狂して話し合いの場にいた人を凍りつかせたことだけは覚えてる。

 お通夜でも葬式でも泣かなかったし、泣いている彼のご両親とも普通に話ができたのに、あの時間だけ、発狂してしまった。発狂した後は、覚えていない。あの場にどんな人が何人居たのか。どうやって家に帰ったのか。どうやってその後を過ごしたのか、覚えていない。

 全身のうぶ毛が逆立ち、冷や汗が流れる。

 洗濯機の音が遠くなり、時計の音がうるさく響く。

 9時48分。

 自然と息が荒くなっていた。時計の針はやたらとゆっくり動いている。

 そうだ、本来なら、彼は私の為にお菓子を買ってくれるはずだったのだ。自分の為の一服時間でもあったんだろうけど、コンビニに行く時間は私の為にグミとかゼリーを買ってきてくれる時間でもあった。彼は優しい人だった。喧嘩した後だって、次の日にはけろっと忘れてくれるから、仲直りが簡単なんだ。

 9時49分。

 事故があって数週間後、SNSでたまたま彼を批判してる呟きを見てしまった。ヘルメットを着けていなかったことへの批判。でも、普段あの通りには車少ないし、トラックが通ることなんてほとんどない。何も知らないのに概要だけ見て偏見で事故を語らないでほしい。そもそも、なんであんな狭い通りにトラックが来たの。なんでなの。話し合いの時に説明してなかったんじゃないの。それとも、私が覚えてないだけ?

 9時50分。

 コンビニから出てすぐは違うけども、我が家の前は私有地だ。私有地なんだよ。ヘルメットを着けなかったのは少しの距離、少しの時間だけ。なのに、そう言うことには誰も言及しないで彼を責め立てる。どうして、なぜ彼の敵しか居ないんだろう。彼だけが悪いの? 法律的に悪いのは車の方だって決めてくれてるのに。車はバイク以上に凶器を走らせてるのに、どうして加害者が庇われて被害者が責め立てられてるの?

 9時51分。

 もうすぐ彼が亡くなってしまう。時間が止まって欲しい。まだ、彼は亡くなってない。もうコンビニを出た頃でしょ。彼が生きてる時間だ。バイクに乗って我が家に帰ってこようとしてる。まだ彼は死んでない時間が残ってる。私へのお菓子を持っている筈だ。今日のお菓子はなんだろう。

 9時52分。

 まだ大丈夫死んでない。時間がある。残ってる。きっとまだ走ってる。今時間が止まれば、彼は死なない。私にお菓子を買って来てくれる。また明日の話ができる。明日がある。今の時間にはまだ明日がある。もうすぐバレンタインだから、なにが欲しいか探りを入れてみよう。彼は甘い物が苦手だからチョコレートを渡しても喜んでくれない。お酒のおつまみで良いのかな。柿ピーとかの方が喜びそう。でも、やっぱりロマンチックさがないかな。かわいいのを渡したい。でも、彼はかわいいのを貰っても喜んでくれなさそう。「ありがとう、おしゃれで嬉しい」とか言ってくれるけど、心の底からは喜んでくれないんだよね。ゲームとかは誕生日の方が良いだろうし、何がいいかな。お酒とか買ってくれば喜ぶかな。今はバレンタインのプレゼントにお酒っていうのもあったよね。お酒とお酒にあったチョコレートかな。そう言うのあったかな。こう言うプレゼントなら彼だって喜んでくれそう。甘いお菓子を貰ってばかりだから、たまにはお返ししてあげたいよね。ビターチョコなら彼だって食べられるよね。手作りの方が嬉しかったかな。でも、手作りって結構時間かかるし、離れて暮らしてるならともかく、彼と一緒に暮らしてるのに手作りはちょっと、違うよね。だって手作りしてる時間、キッチンを独占して、彼が見てる前でチョコを作るわけでしょ。なんだかなぁ。それでも、手作りの方が良いのかな。いやいや、カカオ豆を潰してから作るならともかく、溶かしたチョコレートを固めるだけなんて、彼が見たらがっかりしちゃうんじゃないの。市販のチョコを溶かして市販のハート型のクッキーに流し込んで固めるだけとか、手抜きでしょ。最後にデコレーションすれば多少見映えは良くなるろうけど、それ手作りって言って良いのかな。クッキーまで手作りしようにもオーブンなんて我が家に無いしね。やっぱり安心安全の市販のチョコとお酒でいいかな。でもなんだろう。「キッチンに来ないでね」って言った後、少しの時間でも手作りして、彼の前にチョコレート出して上げた方がいい気がしてきた。当日に、チョコ作るってありなのかな。喜んでくれるかな。流石に、計画性無さすぎって言われるかな。いや、むしろ市販高級チョコ渡すより喜んでくれるかな。うーん、難しい。悩んじゃうな。手作りって響きが、彼を喜ばせてくれる気がするんだよね。私も手作りイコール愛情をかけた時間を考えることあるし、手作りって品質の有無よりも重要な気がしてきた。ああ、どうしようかな。悩んできちゃった.....。

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 洗濯機が「ピー♪」と軽快に鳴り、我に帰った。

 時計の針は9時56分を指している。

「あ、柔軟剤を入れるの忘れちゃってた」

 カレンダーの日付は6月3日。梅雨入り前なのに、雨が降ることが多い。

 こういう些細なことで嫌気がさしてしまう。

プロットは一つ本を閉じると、図書館の棚に本を戻した。

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