自宅に金髪美女が落ちていた
グリゴリーは去っていく火国の軍の背を見届ける。姿かたちが完全に失われたころ、村長が近づいて声をかけてきた。
「どうやら今回も無事終わったようじゃな」
「ああ……だがギリギリ。いや、最後まで勝敗の分からない戦いは初めてだ。あれほどの相手は俺が戦ってきた中でもそれほどいない」
グリゴリーは最後の攻防を思い出す。
全速力で体当たりにいく自分。半歩手前の距離でアレクサンダーは氷の棍棒を作ったうえ、氷の鎖をこちらの足に巻いて捕縛してきた。反射的に止められた衝撃を利用して勢いを緩めて時間差を作りあげて躱したが、迎撃を外されてもなお奴の目が自分を捉えていたのを考えると、そこから先のことは想像もつかなかった。
足首に嵌っている氷輪を殴る。一回、二回。すると氷は砕けた。実戦では致命的な隙だった。
「まあお前さんなら大丈夫じゃろ」
「どうだかねえ」
話しながら門へ戻るグリゴリーたち。
「とりあえず今日もありがとう、グリゴリー」
「どういたいしまして。今度からはもっと早く呼べよな」
視線の先には怪我の看病や、疲れて休んでいる若者たちの光景が近くにあった。
「すまぬ。じゃが若い衆は全員戦っていて、あのときはワシくらいしかおらんかったからのう。女子供をあんな遠くまでいかせるわけにもおかんし」
「そうかよ」
「それより大したお礼も出来なくてすまんのう。いつも助けてもらってばかりで」
「気にしなくていいさ。それに村の若い衆は総出だろう。なら俺が出るのも当り前さ」
「……そうか……お前さんももうこの村の住民じゃな……」
村長の顔はどことなく嬉しそうだった。
グリゴリーは気恥ずかしくなって、口元を長い襟で隠した。そして、もう自分に出来ることもないので村を去ることにした。
「じゃあな。じじい」
「おう。じゃあな」
別れの挨拶を終え、グリゴリーは門から離れた。
グリゴリーの住居はサニュ村から歩いて半日の丘の頂上にある。長時間の吹雪にさらされて、グリゴリーはそこへ辿りついた。
「何があった?」
家の屋根が壊れていた。木板の破片が周辺に飛び散っている。
畑の様子を見る。荒らされていない。家のドアを見る。開いていない。物盗りの類ではないというのは確かだった。
「猪か何かが酔っ払って突っ込んだとか?」
足を立てた猪が瓶を縦にしてウォッカを呑んでいる光景が頭に浮かんだ。
ふざけて考えた想像を脳内から消し去ってから、グリゴリーは変わり果てたわが家へ入った。
中は何も変わっていなかった。キッチンはフォークに至るまで元の状態のままだし、暖炉も昨日使った炭が置いてあるままだ。テーブルから椅子まで朝まで自分が住んでいた家と同じだ。
床に倒れている女性が加わっている以外は。
グリゴリーは女性へ近寄った。
「おいあんた。誰だ?」
綺麗な女だった。
肌が雪のように白く、そのうえ雪にはない滑らかさがある。顔は目を瞑っていても整っていることが分かる。特徴としてはまつ毛が長く、隙間が無いほどびっしりと生えている。髪は輝くような金色だ。体つきは全体的に細いが、女性的な部分はしっかり強調されていた。
「くぅ……うぅ……」
眠ったまま、女性は呻きを漏らしていた。よく見ると、女性の体は傷だらけだった。
「仕方ねえ」
グリゴリーは女性から離れ、タンスを漁り始めた。
夜になった。
「……ここどこ?」
木造りの部屋に女性はいた。ベッドや化粧台があるところをみると、どうやらここは自分と同性の寝室のようだ。
見知らぬ場所に突然いることに危機感が湧く。どこからか自分を害するものが出てくるかを考え、身を縮める。
グ~。
「お腹空いた」
空腹感は様々な負の感情を取っ払い、何か胃に入れるものを探させる衝動に走らせる。
「いつつつ……」
痛む全身を寝台から降ろして、這いつくばって部屋の中を探す。あまりの辛さに正直布団に戻って休みたがったが、食べ物への欲求は強引に体を突き動かせた。
化粧台にやっとたどり着くと、その上の目立つところに小さな箱があった。蓋を開けると、緑色のゼリーが入っていた。
「何だろこれ?」
女性はゼリーを舐めた。
引っくり返り、床でじたばたする。
「にが~。これ苦~い。なんかピリピリもしてきた~」
想定していなかった味に、女性は口に入れたことを後悔した。
後味まで口から消え去ったころ、立ち上がり、他のものを探す。口直しがしたいというのもあったが、何よりまだ空腹は癒されていなかった。
結局、部屋内には他に食べられそうなものはなかった。
「寒いしお腹空いたし体痛いし。もうここしかないか」
女性は一つだけある出入り口から出ることを決意した。
室内の冷たさに体は震え、空腹で頭がもうろうとしている。それでも自分が置かれている状況に怖さがあったのか、慎重にドアノブを回した。
「……」
「こんばんは。怪我はどうだ?」
暖炉の前で椅子に座り、カップを手に持ったグリゴリーが出口の先にいた。女性が床に倒れている姿を見ると、椅子から離れ、手を下へ伸ばす。
「立てるか?」
「う、うん」
問いに頷き、女性は自力で立ち上がろうとする。すると痛みが起きて、そのまま倒れ込むことしか出来なかった。
再度、挑戦しようと力を込める。そのとき女性の体は不自然に浮き上がった。
「きゃあ!」
「怪我に触れたか?」
「いや。いや違うんだけど……」
グリゴリーから肩を貸す形で立っている女性。寒さで青白くなっている手とは逆にその顔は真っ赤だった。
空席になった椅子へ女性は座らせられる。
「とりあえずここにいてくれ」
「あの、もしかしてあなたが看病してくれたの?」
暗い室内では分からなかったが、火によって明かりがもたらされ、体中に包帯が巻かれた女性の姿が浮かび上がった。
「一応。けど不器用のしかも慣れてないことだから、すぐに医者に診てもらったほうがいいよ」
「そうなんだ。ありがとう」
女性は膝に付くぐらい頭を下げて、お礼を伝えた。
グ~。
一旦、元に戻ったはずの女性の頬がまた紅潮した。
「腹へっているのか?」
「へってないへってない。お腹にいる虫さんが鳴いているだけ」
「そうかい。なら虫さんがかわいそうだから食べさせてあげな。寒いだろうし、出来るまではこれでも飲んでいて」
グリゴリーが持っているものとは別のカップが手渡された。白い液体が中に入っている。
「なにこれ?」
「ホットミルク。飲まないの?」
「知らない」
「温まるし美味しいよ」
グリゴリーは自分の分を、表面を息で冷ましてから口に入れた。フーフー。女性も真似をして飲む。
「美味しい……」
「よかった。じゃあ待ってる間はそこで休んでいて」
グリゴリーはキッチンへ向かった。
雪の降っている光景が窓に映っている。
一人になった女性は暖炉の前で椅子に揺られながら、ホットミルクを飲む。暖炉の火が表面から、ホットミルクが内部から体を温めてくれた。
冷えや飢えがやわらいだことで落ち着いた女性は、自分を助けてくれた青年の姿を見つめた。
大きな身体は人間というより熊などの大型獣を想像させる。といっても厚手の長袖から出ている手や首から顔の辺りを見るとそこまで毛深くはない。髪が少し長いくらいで、それもしっかりまとめられていて清潔感があった。
青年はキッチンでフライパンを振っていた。
何やら板のようなものと枝のようなものを炒めている。板のようなものから透明感が出てきてから、黄色の泥をスプーンで取って落とした。それを板や枝が元々持っていた水分で溶かし、全体に絡めさせていく。最後に穴あきのビンから粒をいくつか落として、皿に盛った。
「完成。コオリカブのマスタード炒めだ」
女性の前に、料理が差し出された。
「……」
「どうした?」
置いてあったフォークを手に取るが、女性はそれをすぐに料理へ向けることはなかった。
見ていると、おそるおそる突き刺し、そして口へ入れた。
「はぐ――美味しい!」
緑色があのゼリーを思い出させて女性に躊躇させたが、匂いにつられて、出来上がった料理を食べてみた。
女性は次々と料理を口に含んでいく。
「この板みたいなのが甘くて、枝みたいなのが苦くて。それらを交互に入れるとお互いの嫌なところが相殺されて。あとこの酸っぱくて辛い黄色の液体が二つの味をどちらも引き立たせている」
「全く美味しくなさそうな説明だな……板がカブの実で、枝がカブの茎、黄色の液体がマスタードな」
「分かった。カブ美味しいマスタード美味しい」
「ならよかった」
心の底から嬉しそうな笑顔で食べる女性。
思わず、グリゴリーも口元をほころばせた。