氷国のグリゴリー
視界を埋め尽くすほど降る雪と強風が今日の天候だった。獣たちは住処から出ることなく蓄えた餌で一日を過ごす。もしも出てしまえば体は風に巻かれて消えて、一時間後には手足が凍ってしまうだろう。そのため備蓄が切れて飢えている獣ですらも本日は外へ出ることなく、明日に備えて睡眠を取っていた。
それほどの吹雪の中で、淡々とクワを動かしている男がいた。
油断すればすぐに積もってしまう雪を掻き分け、土を掘る。息を吐けば白くなり、それが目の前で氷になってしまうほどの寒さを気にすることなく、同じ動作を繰り返す。グシャッ、グシャッ、と凍った土の砕ける音がクワを落とす度に聞こえた。真っ白な粒が背中に積もるほど、作業は長時間続いた。
垂れ下がったマフラーを直して、男は畑を見つめた。
「今年はどれぐらい育つかな? 去年に損した分は今年に返してくれると嬉しいものだ」
期待であり、これから一年この広大な大地と付き合うために自らの奮起を促す発言だった。
言ってから、男は休むこともなくすぐに仕事へ戻った。昨日から続けてまだ半分もいっていない。時期を考えると、早くこの作業は終わらせたかった。
しばらく畑仕事を行っていると、男はあることを思い出した。
「そういえばじじいが来てほしいと言ってたな……」
掌のクワを見下ろす。迷った末、男は用事を優先することにした。畑仕事を中断して、自分の家から離れる。
しばらく雪原を移動する。
目的地の途中で、銀幕の中に影が映った。
男へ向かって、老人が走ってきていた。
「村長。どうした?」
老人は男の知り合いだった。
大声で叫ぶ老人。
「グリゴリー。助けてくれー」
名前を呼ばれた男は、老人へ近づく。
やがて老人が近くまで来たので、話しかける。
「用事ってそれか?」
「いや違うんじゃ。だけど今はそんなことをしている場合ではない!」
「何があった?」
「火国の連中が来たんだよ。今、みんなが抗戦している。おまえも来てくれ」
老人の顔は蒼白になっていて、極寒の中で休みも取らず急いでここまで来たことが窺えた。
グリゴリーは、二つ返事で答える。
「またかよ。分かった、すぐ行こう」
「急いでくれ。もうみんなヘトヘトだ」
「俺は走っていく。あんたはビリヴォスカーで先に行ってくれ」
グリゴリーは村長へ案内を願う。即座に承諾され、離れていく背についていく。
雪原を駆け抜け、村の門まで二人は来た。
獣除けの柵に囲まれて、ポツンポツンと小屋が建っている。
とても小さな村だ。
グリゴリーが元々いた場所と違って村には吹雪はなく、晴天と光を反射して輝く雪景色がそこにあった。
門の前では、村の若者たちが疲労困憊の姿で立っていた。息が乱れ、武器を杖にしている。
村長はソリから降りて、急いで若者へ声をかける。
「無事か? おまえさんたち」
「村長。一応、おれたちは大丈夫です。死人も今のところいません……けど、もう少しで村は」
「無事ならいいさ」
その声に、若者は顔をあげた。
「グリゴリー! やっと来てくれたのか!」
「グリゴリーだって!?」
「グリゴリーが出て来たのか! よっしゃ! おれたちの勝ちだ!」
体が疲れ、心が絶望に染まっていた若者たちの姿が、グリゴリーが村へ来たという事実だけでの元気に満ち溢れたものへ一変した。
頭を下げてから、グリゴリーは尋ねる。
「遅れて悪い。それで状況は?」
「今、あそこでマクシムが敵の大将と一騎打ちを始めたはずだが」
「ぐわぁあああ!」
集団を超えた先で、巨体のマクシムが倒れた。
マクシムの目の前には、火国の百を超える火国の兵士たちと、身の丈よりも長い棍棒を操る赤いマントの戦士がいた。
「最後の戦士を倒したぞ。さあ村を引き渡せ。もはや戦線ははるか奥にまで伸びているというのにこの村だけが占領を終えていない。まるで大形な白い布に針先ほどの黒点があるように……これまで多くのものが占領に来て、全員失敗して引き返したそうだが、これ程度の村も乗っ取れぬとは。全員、キングス海の中心に突き落としてくれようか」
戦士は少年のような爽やかな新鮮さを感じる声でそう言った。顔つきもその声と同様で若々しくもどこか青さが残っている。けれど非常に形が整っているため、鎧に着られているような感じはせず、むしろ今まで見たことないような凛々しさを感じさせた。
戦士の横で、戦闘終了を確認した火国の兵士は村へ叫ぶ。
「こちらの勝利だ。おそらくこれで全員倒した、もう挑戦者がいないのならば、すぐに村から住民全員の退散を要求させてもらう」
「いきなり来て、横暴すぎる。火国の兵士は悪魔か」
「なにが横暴だ」
若者の声に、兵士は反論した。
「一対一の決闘は貴様らから持ち込んだことだろ。こちらからすれば行軍してきた兵士たち全員で攻め入っても良かったのだ。それなのに貴様らが一方的に有利な条件を呑み、あまつさえ全てを一人で相手をすると、さらに貴様たちに有利になる条件を付け足した隊長の慈悲を無下にするつもりか」
「そ、それは」
「もし退散しなければ今度は決闘などでは済まさない。現在ここにいる自分たち全兵士も参戦させてもらうぞ」
「くっ」
突きつけられた最悪の未来に、若者は食い下がるしかなかった。
連戦をこなしたはずなのに、汗一つかいていないままの火国の戦士が口を開いた。
「どうする? 我が軍門に下り、奴隷となるか? それとも国への愛を捨てず、この地で命を捨てるか? 尊厳を捨てることなく村を出て、飢え死にするか? 覚悟しろ。戦うもののいなくなった貴様らは選択するしかないぞ」
「悪いが、もう一人だ」
「むっ」
「ほう」
若者たちの集団から出てきたグリゴリーの姿に、火国の戦士たちの形相が変化した。