骨まで溶けるほどとろとろと煮込んだスープの中でまどろみ揺蕩う午後
第四話は山田サイドです。
僕は森君のことが好きだった。
森君はいつも人が考えないようなことを言う。
最初はそれが楽しかっただけのような気もする。
でも、いつの間にか、森君は僕の特別になっていた。
いつからなのか、分からない。
大学で一緒のサークルに入った時から、だったのかもしれない。
僕らのサークルは女子が多くて、10人に満たない男子とは全員、それなりに仲が良かったけど、森君だけは特別だった。
特別といえば、出会いからして特別だった。
「どうして、ここに入ったの?」
そう聞くと、森君は真面目な顔して「不思議な声がしたから。」
この人絶対まともじゃない、と僕はかなり焦った。でも、僕の動揺を無視して、森君は「ほら。人の声みたいじゃない?」と話し続ける。
それはマンドリンのトレモロの音だった。
単に、経験者で美人な先輩がいるという理由で、このマンドリン・サークルを選んだ僕は、森君が心からマンドリンの音に惚れて入部したんだと知って、なんだか感動した。
「マンドリンって、いい音だよね。」
「うん。弦と弦を弾く間に生ずる空気の音がいいね。同一音の反復によって、積み重なっていく切れ切れの空気が見えそうだ。」
ちょっと俯いて言う森君は頭のおかしい人なのではなく、極度の照れ屋なのだと知った。
知ったから、どうということもなく、森君の言うことはいつも、よく分からなかった。
人付き合いも悪い。
平気で問いに問いで返して、答えない。
ときどき、そんな森君の対応にいらいらした。
でも、僕はいつしか森君が本当は優しいことを知ってしまった。
そう。
両親が亡くなった時のことだ。
森君は僕に手紙をくれた。
君のお母さんが作ったご飯は温かかった。
温かいものの上昇運動を抑えるのは難しい。
だとすれば、君も上昇するのだろうか。
僕は思う、宇宙は冷たいけれど星は温かい。
温かいものは心地いい。
君のお父さんを知らないことは残念だけど、また知る時も来るかもしれない。
お姉さんによろしく。
手紙が家に届いたのは、両親が死んでだいぶ経った頃のことだった。
僕は森君が両親の葬式に来たかどうかも知らない。
サークルの代表が何人か来たらしいけど。
事務的なことは全部、姉夫婦がやっていた。
僕はただ悲しくて、下を向いて泣いていた。
立ち直ってしばらくしてからもらった手紙の内容は分かるようで、やっぱり分からなかった。それでも、森君の気遣いが感じられて、僕は泣きそうになった。
そのとき、僕は森君が好きだとはっきり気づいた。
もちろん、黙っていたけど。
森君がゼミでは優秀で、凡人の僕とは全然違う天才だと知っていたから。
それに森君、モテたしね。
だから、ときどき会うだけで満足だった。
僕が近づけるのはここまでだと、ちゃんと心得ていた。
最近、森君の様子がおかしい。
素直に優しいんだ。
僕に分かる言葉でしゃべってくれる。
ご飯の後片付けを一緒にしてくれる。
洗濯物が畳んであったり、仕事から帰ってくるとお風呂が沸いていたりする。
だから、勘違いしそうになる。
森君も僕のこと……って。
そんなこと、思っちゃいけないのに。
森君にとって、ここは雨風を凌ぐテントとそう変わらないのに。
この間の休日。
僕らはいつものように、二人でごろごろしながら、過ごしてたんだけど。
僕はついに言っちゃった。
「君にそんなに優しくされると、僕、骨の髄までとろとろになっちゃうよ。」
森君は天井を見ながら答えた。
「そしたらさ、食べてあげるよ、僕が。とろとろになった君をスープにして。この間、本で読んだんだ。その本ではね、ラスト、好きな人を食べてしまうんだ。これこそ、純愛だ。」
やっぱり、森君は森君だった。
僕はちょっとホッとした。