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彼が僕の時間を奪ったから

作者: 葉良頃

 時間は尊いものだった。時間は遥かに短いものだった。

 そこに記されていたのは、この家の主と彼と呼ばれた2人の物語だった。最後に記されたその言葉は私に人の作る時間を考えさせた。ごくごく普通の日記から始まるのだが、その文章は彼と会った日から突然字の色が変わる。そして、読者である私にはその情景が目に浮かぶのだった。


 彼との出会いは帰り道だった。その時の僕(家主)には、何もなかった。働く意味を待たず、ただ仕事場と家への道を往来する日々。12月に差し掛かるこの日も灰色の中に身を埋めていた。街が白一色に染められていくのが、僕には終わりの見えない何かに感じて仕方がなかったのだ。ただ漠然と過ごしていれば、変わるものと信じて、歩いてきたこの25年という月日が僕にはとても長く感じられた。あと一つの角を過ぎれば、自分の家だという所で、一つの声を聞いた。それは、声の上では弱く感じられた言葉だったが、僕には生への執念も感じさせた。灰色に彩られた今でなければ、見向きもしないだろうが、今の僕はその言葉にひどく突き動かされてしまったのだ。

 彼がいたのは、電話ボックスの中だった。ダンボールの中は少量の水と毛布のみであった。幸い、まだここに置かれて間もないようで、元気に見えた。急いで、家に連れて帰り、ネットで犬の餌となりそうなものを探し、与えた。彼は落ち着きを取り戻せず、終始右往左往していたが、倒れこむように横になった。彼の寝顔に寂しさを感じざるを得なかった。


 次の日から、飼い主としての責務を果たした。

 僕の灰色が色付くのを僕自身が感じるようになるのはまだ先のことだったが、彼の色が僕の景色を染めているのは明らかだった。朝は彼に顔を舐められて起き、彼に餌を与え、家を出る。帰って来れば、走って迎へに来て、寝る時は背中を合わせ、温もりを感じた。この日々を守りたいと願ったし、充実した日々の早さに僕も驚いていた。25年間の中で得た充実感すら、この彼との1ヶ月には勝てないのではないかと思うほどだった。


 守りたいものがあると、仕事にも精が出るのだと思った。歩合制であったので、目に見えて業績が上がり、給料が上がり、生きがいすらも感じた。美味しい餌を食べて欲しい、幸せに過ごして欲しい、彼に対して、僕は多くの時間を尽くした。彼は僕の時間を奪ってくれた。彼が奪ったその時間は、彼と僕が関わった共有の時間で、宝物だった。

 人は時間を取られたと言う。人は誰かの時間を奪い合う。もし、ペットを飼えば、自ら時間を奪われている。生物は時間を奪って、記憶を生む。平行な時間軸が交わり、誰かの時間を奪い、もっと輝くものを置いていく。

 僕は人と関わらなかった。誰かの時間を奪ってしまうのが怖かった。共働きの両親。「時は金なり」が、両親の格言だった。僕が小学生の頃から、自立というのを促されてきた。だから、1人でいても困ることはなかったし、学生時代は必要以上に人と関わることはなかった。

「あなたに割いている時間はないの。」

 悲しさが僕の景色を埋めた。なぜ、僕はここにいるの?と問い続ける毎日、長い長い時間を守ることで僕は灰色の景色を手に入れた。何にも混ざらない、混ざってしまうと他の誰かを濁してしまうその色に。


 彼とあって、2ヶ月がたった。小さな彼が倒れた。

 彼には病気があったらしい。病院に連れていった時点でもう1日という時間残されていなかった。最後の1日を共に過ごすことに決めた僕は、彼を強く、強く抱きしめ、膝の上で彼との思い出を回顧していた。

 彼に取られた一つ一つの時間を愛おしく思い、彼から取ってしまった時間を彼はどう思っているのかを想像した。前の飼い主との思い出を彼は持っているから、僕との時間がどうなのかと疑問にも感じた。幸せだったと思って欲しいというのが、僕が彼に対して持つ唯一の願いだった。


 真っ白な雪の日、彼は僕を残して旅立った。彩られた僕の景色に、亀裂が入って、真っ白さが僕の景色を埋めた。終わりのない悲しみを実感し、まだ続く未来に僕は恐怖を覚えた。


 僕は日記をまとめ、家を出た。実家に戻り、両親との時間を共有していきたいと思ったからだ。この家は彼との思い出そのものだった。彼が生きた印はこの家で、引き継いでいって欲しいと思い、彼との2ヶ月の日記を記し、この家に残した。誰かがこれを読んで、その時間を奪うことで、彼は生き続けていけるのではないかと考えたからだ。


 私は彼が生きた印を自分の中に記されていくのを感じたのだった。日記を綴った僕と彼との色が私の景色を、また変えていくのだった。

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