#34 唐突な知らせ。
シェーラと同様、朝妃もまた料理は苦手だったため、自炊ではなく、外食をするか露店で調理済み食品を買って食べるという食事が続いている。
が幸いなことに、リアルワールド人である朝妃にとっても王宮の料理しか口にしてこなかったシェーラにとっても、街で出会うそのすべてが目新しく、城を出てから一ヶ月が過ぎた今でも飽きることはなかった。
「女将さーん! ごはんと……タァイの煮付けと……レテスとトムトのサラダ、あとオランゲジュースも二つずつ下さい!」
「あいよ! ……ってアサヒ、お客として来てるときにその呼び方はよしておくれって言ってるだろう?」
「あ、そうだった。次から気を付けまーす!」
ここは朝妃が働かせてもらっている食事処。従業員割引で安く食べられるので、シフトが入っていない日の夜はこうして客として訪れるのだ。
女将は注文を厨房へ伝え終わると、ドリンクピッチャーを持ってまた朝妃たちの席へ戻り、中身をジョッキに注ぎながら何やら自虐的な笑みを滲ませた。
「……ったく……あたいが前に、アサヒは天曜日は休みだって口を滑らせてから、常連のオヤジどもがめっきり来なくなっちまったよ。アサヒがいる日は、猫の手も借りたいぐらいこぞって押し寄せてくるくせにさ」
「あはは……」
女将の言い草に、朝妃は思わず苦笑を零してしまった。彼女の言葉通り、確かに今日は目立って客が少ない。だからこそこうして女将が朝妃と喋る余裕があるのだが。
女将はどら声で愚痴を言いながら、恰幅の良い自身の体をでーん! と叩いた。
「アサヒとシェーラがうちで働きだしてから、急にお客が増えたと思ったらこれさ。まったく、あたいじゃ不満だってのかねぇ! シェーラちゃんも、辞めずにうちで働いてくれて良かったのにさ。お客さん、みんな残念がってたよ」
「いえ、迷惑を掛ける訳にはいきませんから」
シェーラが申し訳なさげに首を振ると、女将は肩眉を上げたあとハッハッハッ! と勢いよく笑い飛ばした。
「誰でも初めはあんなもんだよ。最初から上手く出来る人なんかいやしないんだから。それより二人みたいなべっぴんさんが働いてくれてた方が、よっぽど店が繁盛するってもんさ。悔しいけどね!」
そのとき店の入り口が開いて、ドアベルが高らかに音を立てる。しかし女将は自分の笑い声で気が付いていないようで、朝妃が慌てて教える羽目になった。
――アナザーワールドの人たちってみんな結構テキトーだなぁ……。
そんなことを考えながら、新たなお客に駆け寄って行って座席の案内をする女将を眺める。ジョッキに継がれたジュースを飲んで、朝妃はふっと微笑んだ。どうやらこちらでは客には淡白に接するのが普通なようで、営業スマイルを好意と勘違いされてしまった事すらある。
不意にシェーラがぽつりと呟く。
「アサヒは本当に気配りが出来ますね……」
「あはは、違うよっ。別に周りが見えてるとかじゃなくて、元の世界じゃそれが普通だったから。でもやっぱり戦いになると慌てちゃって、それを活かせないんだよね……。だから、ずっと命懸けなのにそれでも冷静でいられるシェーラちゃんは凄いと思ってる」
「買い被りすぎですよ。それしか能が無いだけです。現にこうして日常生活ではお前に頼ってばかりでしょう……。それに、本来なら私が朝妃を助けなければならないはずなのに、逆に荷物になっているというこの体たらく。情けないにもほどがあります……」
言うと、シェーラは頭痛でもするかのように眉を小さく顰めて、指でこめかみの辺りを軽く押さえた。そんな彼女に朝妃は慌ててフォローを入れる。
「そ、そんなことないよ! あたし達が毎日こうやって美味しいもの食べれたり、ふかふかのベッドで眠れたりしてるのだって、シェーラちゃんの魔石の収入があるからだし! もしあたしだけだったら、もっとギリギリの生活だったと思うもん」
「……お世辞でもそう言ってもらえると助かります」
「ホントだし!」
と、そんなことを喋っている間に、作るのに時間のかからないサラダが最初に運ばれてきた。『いただきます』と胸の前で合掌してから、フォークでみずみずしい薄緑の野菜を口へ運ぶ。
シャキシャキとした野菜特有の歯ごたえと甘酸っぱいドレッシングが、一日中歩き回った朝妃の体に染みわたっていくようだった。他にもミニトマト――ではなくトムトなる野菜や、鶏卵より細長い茹で卵などがサラダを彩っている。どれもリアルワールドで食べてきた食材とは似て非なるもので、見た目から予想される味とは若干異なった風味に、朝妃は『んぅ~~っ!』と無意識に声を漏らしてしまった。
そうこうしているうちに他の料理も運ばれてきて、次々にテーブルの上に皿が並べられていった。その中には、茶碗によそられた《米》も……。
初めて食べた時、アナザーワールドにも米があることに朝妃は感動したものだ。日本のコシヒカリなどと比べるとやはり味は若干劣るものの、それでもおかずをご飯で食べられる事がとにかく嬉しい。白身魚の煮付けとご飯を交互に口に運びつつ、朝妃はまたしても破顔してしまった。
ちらりとシェーラに目をやると、彼女も普段は比較的変化の乏しい表情を朝妃と同様に綻ばせている。
「そいやさ、シェーラちゃんってもっと城下町の料理に抵抗あるかと思ってたけど、そうでもないよね? お城の料理で育ってきたって言ってたからてっきり……」
朝妃が気持ち声を潜めて問うと、シェーラは首を振って否定した。
「……恐らく父上や姉上たちはそうでしょうね。彼らは本当に城の料理しか食べていませんから……。私の場合は、民の事をもっとよく知るためにとしばしば降りて来ていたのです。もちろん素性は隠してですが」
「そうなんだ……」
「ええ。ですから、私は城の食事が普通ではないことを、しかと心得ているのですよ」
シェーラはどことなく得意げに答え、止めていた手を再び動かし始める。本当に美味しそうにご飯を食べる彼女の様子を見ていれば、その言葉が嘘でないことなど一目瞭然だった。その幸せそうな表情に、偽りはなかった。
そしてそれは、朝妃も同じだった。確かな幸福を感じていた。
ここにはリアルワールドと違い、ケータイは無いしテレビも漫画も無い。それ以前に暮らしの中に遊ぶ余地が無い。だというのに、今まで経験した事のない充実感に満たされている。最終決戦までの残り半年間、ずっとこんな生活が続けば良いのに。と、朝妃は思っていた。
――だが、そんな穏やかな夕食の時間も、数秒後には終わりを告げることになる。
ドアベルが高らかに鳴り響き、同時に一人の客がドタドタと騒がしく店内に駆け込んできた。被っていたフードを脱ぐと、空色の綺麗なミディアムヘアと頭頂部のケモノ耳が露わになる。
彼女は一度ぐるりと店内を見渡し朝妃とシェーラを見つけると、席の案内をしようとする女将には目もくれず真っ直ぐ二人のもとへ走り寄ってきた。
「良かった……っ! ここにいた!」
「騒々しいですよ、エイル。今度はどうしたと言うのです。今回ばかりは、何もお前を驚かせるようなことをした覚えはありませんが……」
シェーラが慌てた様子のエイルに訝しげに問い、対する彼女はふるふると首を振ってから、一度深呼吸をして呼吸を整えた。すると一転して険しい表情に変わり、店の外を示しながら囁くように言った。
「二人とも、ちょっと来て」
「今が食事の最中なのは見れば分かるでしょう。何があったかは知りませんが、後で――」
「お願い、人に聞かれるとマズいの」
その真意を測るようにシェーラはエイルの瞳をじっと見つめた。数秒後、尚も真剣な眼差しのまま食い下がる気配を見せないエイルに、シェーラは小さな溜め息を零して席を立った。
「アサヒ、行きましょう。またすぐに戻ってはきますが、一応代金の支払いをお願いします」
「あ、うん、わかった。女将さーん! あたし達ちょっと席外すんですけど、一応ここにお金置いておきますね! すぐ戻ります!」
「あいよ!」
女将の返事を聞いてから、朝妃は財布から取り出した千イリス銀貨二枚をテーブルの上に置くと、エイル、シェーラとともに店を出た。そのまま脇の路地に入っていくシェーラを追う。辺りから完全に人の気配を感じなくなった辺りで、ようやく彼女は足を止めた。
「エイルちゃん……何があったの?」
「よく聞いて、これから話すことは他言無用だからね。絶対」
そう前置いたエイルの表情は、やはり至って真剣なものだった。釣られるように自然とその場の空気が緊張する。朝妃とシェーラが固唾を呑んで次の言葉を待つ中、彼女はすっと小さく息を吸った。
「近いうちに国が――このアトラール王国が、滅びるかもしれない」




