過去の力
「ん~…………戻れっ!!」
由姫は先程から、手を開いて言っている。
しかし、変化は無い。
「なんだろ?これって………」
由姫はもう一度時計を確認する。
しかし、時計はただ事実を示しているだけだ。
過去に、戻ったという事実を。
「やっぱ、戻ってるよねぇ……。たぶん、力が発動したんだろうけど………だとすると、タイミング的には……あの、篠音さんと咲ちゃんが刺された時…だよね。正直言うと、あの時の事あんまし覚えてないんだよね……」
事実、由姫は自分の力が発動した、かもしれない時の事をあまり覚えていない。
――思いだそうとすると、頭が痛くなる。
――どうしてだろう。なんだか、あの時……私の、とっても大事なこと。篠音さんと咲ちゃんが刺されたことよりも……もっと、もっと。大きくて、私の全てのような……。何かを、思い出した気がする。私という存在を一言で表せるような………そんな、何かが…私の中で…。
「由姫ー!?どうしたの、そろそろ学校に行く時間よ!?由ちゃんたち、お迎えに来るわよー?」
「ひゃあっ!?あ、う、うん、ちょっと待って、今降りるからー!!!」
すっかり自分の力について考えていた由姫は、学校があることを忘れていた。
急いで、髪を梳かし、制服に着替え、バッグをあわただしく取り、急いで階段を駆け下りた。
「由姫、おはよう。朝ごはんは?」
「お弁当の中におにぎりひとつ入れといて!!学校着いたら食べる!!!」
「はいはい。……っと、ほら、お迎え来たわよ」
「あ、はーい!……よいしょっと」
革靴に足を滑り込ませて、玄関の前の鏡で何か変なところがないかを確認する。
これは、もう癖のようなものだ。
どんなに急いでいるときでも、玄関に立つと自然と体の向きが鏡の方へと向く。
――その行為に何の疑問も覚えなかった。けど、今は疑問を覚える。この行為は、なぜするのだろう。親に何か言われたわけでもない。気づいたら、やっていた。
――何か意味があるのだろうか。
――自分の存在を、確認するため――?
「由姫?大丈夫?どこか、体調でも悪いの?今日は珍しく降りてくるのが遅かったし……」
「えっ……あ、うん、大丈夫だよ!ごめんね、ちょっと昨日寝付けなくて眠いだけだから……」
鏡の中で、心配している顔の母を見つける。
――心配をかけるわけにはいかない。パパが居ないだけだけど、かなり精神的にも体力的にも辛いはず。余計な心配を増やして、苦労を掛けるわけにはいかない……。
――だからこそ、勉強も運動も頑張ってきてるんだから……。
「そうなの?あんまり、無理しないでね?お父さんも……」
「あっ、遅れちゃう!!!ごめんお母さん、何か言った?」
これは葉桜家にいる以上、言わせてはいけない禁句だ。
――お父さん。私は、パパって言ってるけど…。ママの前では、パパの話は禁止だ。ママは、こんな風に自分から話題を出すけど……顔が、一瞬で変わる。
――あの時のことを思い出したくないのだ。私たち葉桜家からパパを奪ったあの日は……私も辛いけれど、ママが一番辛い。だからこそ、思い出させてはならない。私は毎回ママがこの話をするたびに、無理やり話を切る。
「………いいえ。学校、行ってらっしゃい」
「うん!!行ってきまーす!」
多分、由姫の無理やりな話の切り方には当の昔に気づいているのだろう。
しかし、何も言わない。自分でも知らない間に父親の話をしてしまうようなので、由姫のように無理やり話を切ってくれた方が助かる、のだろうか。
「……私だって。辛いよ……」
いつもの朝とは、違う。由姫は遅い動きで玄関を閉めた。
「由姫!!!今日遅かったじゃねーか!どうしたんだよ?」
「由姫、どうしたのですか?あまり、顔色が優れませんが……?」
玄関の先で待っていたのは、由と透だった。
由姫は力なく笑い、
「ん……ちょっと、ママがパパの事思い出しそうになっちゃって……」
由と透には由姫の家の事情は教えてある。
2人とは家族同然の距離だ。
もちろん、2人はその事を誰かに言いふらしたりしない。
「また、ですか……。最近、少し多いですね…」
「そろそろ、その時期だからだろうな。時期が近づくと、思い出したくなくても思い出すんだろ。………もう、5年以上経つのにな」
2人の意見を聞き、由姫は頷く。
「たぶん、そうだと思う。あと2、3週間だから……」
「その日は、もっと思い出してしまいそうですね…………そうだ、私たちが由姫の家にお邪魔するのはどうでしょうか?」
「そうだね……お願いできる?そしたら、あんまり思い出さないと思うから!」
「わかりました。透は?」
由は透に振り向く。
「ん、全然良いぞ。由姫のお母さんには色々とお世話になってるからな」
3人はしばらく空を見上げながら歩いていた。
空にはいびつな形の雲がある。
由姫はしばらく雲を見つめながら、自分が過去に戻った、という事実を改めて認識しつつ、他の人は覚えているのだろうか?と考えた。
「………ね、由ちゃん、とーちゃん。なんか変だな~って思わない?」
聞くと、予想通り2人はきょとんとした。
「いえ、特に何もありませんが……?」
「同じく。強いて言うなら、由姫が変だと思う」
「あっひどっ!」
先ほどの暗さとは違い、明るい雰囲気へと変わった。
「………そうでした、由姫、透。私、今日は部活をお休みさせていただきます」
由姫はそれにショックを隠しきれない表情になる。
「えぇっ!!?なんで!?」
「すみません……。今日、早く帰ってこいと言われていまして……」
「なら仕方ないなー。篠音さんにはあたしから言っとくよ」
「ありがとうございます。次の部活には参加できる、とお伝えください」
「りょーかいっと。さ、学校行くぞ。今日の朝、たしか委員会あったんだよなぁ……」
「あら、そうでしたか。急ぎましょう……」
3人は駆け足になって学校へと向かった。
由姫はその間も、学校に着いてからも、ずっと過去に戻った事について考えていた。
――この事を知っているのは――
―――私だけなの?―――
しかし、そんな考えも朝のチャイムによってかき消された。
「それでは由姫、透。部長たちにはお伝えください。では、また明日」
「おー、由、また明日な」
「由ちゃん、ばいばーーいっ!!」
由は教室から出て行った。
「じゃ、とーちゃん、私たちも行こっか、部活」
「いいぜ」
部室は校舎から少し離れたところにある。
おかげで、好き勝手やっても大丈夫なのだが。
「…………」
由姫はずっと上の空だった。
そんな由姫を見て、透はため息をついてから
「由姫。もしかして……ここが、2つ目の世界だって事………覚えてんのか?」
真っ直ぐに由姫を見つめて言った。
由姫は、その透の言葉に驚く。
「とーちゃん………覚えてるの………?2つ目の世界って………どういうこと……?」
透は答えることを少し、ためらった。
しかし、決意したように顔を上げた。
「あたしも詳しくは知らない。ただ、過去に戻ってるって事は分かってる。記憶がはっきりと、ある。………由姫。あんたが過去に戻したんだ。由姫には…………過去の力があるみたいだな」
「っ…………」
由姫は自分以外にも覚えていた人がいた、という安堵感と共に不安が襲ってくる。
――これまでも、自分が覚えていなかっただけで何回も、何十回も戻っていたとしたら――?
――みんな、あの苦しみをずっと味わっていたの――?
「………まあ、詳しいことはここに聞けばわかる。この…全てが始まって……今もまた、始まる、あたしたちの部活……桜部の部員に………ね」
「えっ………」
由姫は下を見ていたから、上を向いたときに驚いた。
知らない間に、部室へと着いていた。
「桜部には…何があるの?」
――私は、この部室に入って良いの――?
「………入れば分かるさ。きっと、由姫が求めている物が見つかる。この先、その力とどう向き合っていくべきかも。………さ、入ろうか」
「…………うん」
由姫は、部室への扉を開いた。
「由姫ちゃん、透ちゃん、お疲れさま。………さ、座りなさい」
扉を開けた先には、篠音、梨奈、沙夜裡、夜斗、文弥がいた。
「篠音さん………ここにいる皆は……もしかして……」
篠音は頷いた。
「私たちは今からあなたに謝罪と事実を伝えなければならないの。…………聞いてくれるかしら?」
「それは全然大丈夫だけど……由ちゃんと汰火先輩は?」
「………ん、あの2人は能力者じゃないからね。それに、記憶がないから巻き込むわけにもいかないのよ」
淡々と告げる篠音の言葉に由姫は驚く。
「能力者じゃない………と、しても記憶は残ってるんじゃないの?」
「ん………そっか、たしかにそうね」
篠音は思い出したように言葉を止めた。
しばらく考え込み、再び口を開く。
「さっき透ちゃんから聞いたかもしれないけれど………今日、私たちはあなたにその力を貸してほしいってお願いしたかったの。……もちろん、強制じゃないわよ?…………そのためにも、あなたが能力をどう使うのか聞いておきたくて。……けど、よく考えればあなたは記憶がある、初めての繰り返された世界なんだから………能力について何も知らないわね」
そうだった、そうだった、と篠音は言っていた。
由姫は何のことかわからず、首を傾げる。
「ええと…じゃあ、力を貸してほしいとかそういうのよりも前に……私たちが知っている限りの、あなたの能力について話しましょうか」
由姫は思わず叫ぶ。
「能力について知ってるの!!?篠音さん!!」
「う、うん、まあね?………と、とりあえず座ったら?話は長いからさ…」
由姫はあっ、と口を抑えて少し顔を赤くして座った。
「じゃあ…話しましょうか。あ、言っておくけれど…ここにいる皆は…正確には、透ちゃんと由姫ちゃんを除く皆、ね。由姫ちゃんが繰り返してきた世界全ての記憶を覚えてるの」
「今までに繰り返してきたっていうのは………やっぱり、私何回も繰り返していたんですか…?」
篠音は頷きにくそうに答えた。
「うん……正直言っちゃうと、何回繰り返したかわかんないくらいには……。ただ、覚えている人には条件があるみたいでね。まず、由姫ちゃんが味方と思っていること。そして、由姫ちゃんのかなり近くにいること。これが、条件みたい」
「じゃあ……由ちゃんと汰火先輩が覚えてない理由はわかりました。けど、その理論でいくと……私が今まで覚えてないのは不思議ですよね?」
そう、自分の近くにいなければいけないのなら……ゼロ距離の私が覚えていないのはおかしい。今回、特に何か、変わったことはないはず……。なにか、あっただろうか?今回の世界だけ違いそうなもの……?
「たぶんなんだけど………私が渡したペンダント、持ってる?」
「あ………あの月の形のペンダントですか?あ、はい、今ぶら下げてます………」
「今、出してみてくれる?たぶん………色が、変わってるはずだから」
「色が……?」
篠音に言われたとおり、ペンダントを出してみた。
「………え!?」
取り出したペンダントの色は、篠音が言っていたとおり変わっていた。
もらったときは水色だったのが………
「……紫色、になってる…!?」
紫色の光を放っていた。
「やっぱり、変わってたね。……たぶん、そのペンダントが由姫ちゃんの過去の記憶を保持してるんだと思う。今までにも何回か、そんなことがあったから……」
「え……私も覚えていたんですか!!?」
「あ、えっとね。たぶん……次の世界では前の世界のことを覚えていても………その次の世界で覚えていなかったら過去に戻った、っていう記憶が消えるんだと思う。由姫ちゃんにはペンダントをあげてた世界とあげてない世界があったから………」
「そ、そうだったんですか……。…………あ、あの、すみません、話がそれちゃいましたけど………私の力について、教えてくれませんか?」
「そうだね……梨奈、時間は?」
「まだぜーんぜんあるよ。ゆっくり、話しなよ」
篠音は頷いて、口を開いた。
「ん。……ごめんね、今度こそ話すよ。私たちが考える、あなたの力について」
篠音は、目を閉じ、そして、開いた―――
「私たちが考えるあなたの力。見当がついているでしょうけど、過去に戻る能力ね。能力の使い方は……きっと、意識すれば色々な時間軸に行けるんでしょうけど………今は無意識だから。大体は、あの襲撃事件が起こる前の1ヶ月間に何回も戻るんだと思う。もし、あなたがこの能力を意識して使うことが出来たら…………世界が生まれる、生命誕生の頃に戻れてたかもね」
「それはありえないって話になったじゃない。篠音、そのことについても話しなさいよ」
正論を言った沙夜裡に篠音は苦笑を向ける。
「あ、そうでしたね、先輩。私としては、そんなところまで戻りたいんですけどね……」
由姫が疑問を浮かべているのを見て、篠音は話を戻した。
「えっと、さっきの生命誕生までとかって言うのは……ごめん、嘘」
「えぇっ!!?」
「戻れるのは、由姫ちゃんが覚えている時間……えーっと、由姫ちゃんが生まれてからの時間じゃないと戻れないみたい。………何度目の世界だったかな。由姫ちゃんにその辺まで戻ってって頼んでみたの。………ま、結果、無理だったからね。そういう結論にたどり着いたの」
「じゃあ………意識すれば、私が入学した頃にまで戻れるかもしれないって事ですか?」
「うん。小学校入学くらいまでも戻れると思う。………で、能力の話ね。過去の力は、過去に手出しができる。つまりは、過去に起こった事を書き換えて………違う過去に変えて、その過去が作用すべき未来も変える。過去を変えれば、どんなに些細であっても未来は変わる。そして…………もちろん、そんな風に過去を変えられて未来も変えられる力。………色々なところから、欲しがられて当然、よね」
「欲しがられる……?」
「文化祭のテロと、学校の襲撃。覚えてる?」
「えっと………うん。覚えてるけど……」
「率直に言っちゃうわね。あの2つの事件………どちらも、あなたを狙って起こった事件なの」
由姫は篠音の口から出た真実に、驚きとショックを受けた。
「え…!?私、を、狙って…!!?」
「……うん。あなたの力を狙っている組織………いいえ。国は、大勢いるわ。戦争に勝つため、力を得るため………個人としてほしがっているところも少なくないわ」
「く、く、国………!?」
「篠音さん!由姫にそんな事……!!」
耐えかねた透が声を出す。
「今言わなくたって、いつか言わなきゃいけないのよ?………そんな奴らを束ねている機関があって。………『夜の騎士団』」
「『夜の騎士団』……?っ……なんか、聞いたことある気が……」
由姫は頭を抑えながら思い出そうとする。
「たぶん、過去の世界の記憶かな。どんなに忘れても、さすがに本人は頭の片隅に少し残るんだと思う。………奴らは、そういったあなたを狙う奴らすべてを束ねて巨大な勢力に変えたの。で、刺客をこちらに差し向けるの」
「そん………な……」
由姫はひどく暗い顔になった。
「………そのためにも、ね」
篠音は由姫の顔をしっかり見つめた。
「え……?」
「私たちはあなたを守りたい。あなたを失いたくない。あなたに頼まれなくたって………全身全霊、あなたを守りたい。………私の、桜部の部員よ?守りたい。………けれど、私たち6人の力じゃ、限度がある。いつか………私たちの手の届かないところであなたが危険にさらされるかもしれない」
「っ………」
由姫は口をぎゅっと結んだ。
「だからね。………私、あなたに頼みたいの。自分を守るために………私たちと一緒に戦わない?」
「たた、か、う……?」
「あなたのその能力があれば………絶対、守り抜ける。………駄目かしら?」
「え、えと、私は……」
由姫は困ったように戸惑う。
「無理に、とは言わないわ。危険に晒しちゃう事だし。ただ………そしたら、永遠にこの1ヶ月が繰り返されるかも、しれない………」
篠音は少し声のトーンを落とした。
由姫はうつむきながら、
「私は…………私は…………」
言葉に困った。
――正直、怖い。嫌だ。そんな風に狙われてるなら………逃げ出したい。けれども、私がここで逃げ出したら…みんな、みんなが永遠にこの1ヶ月を繰り返すのかもしれない。
――それは、嫌だ。だとしたら、けれど、私は――
END