第07話 深夜厨房
……っていうほど深夜の話ではないですけど、もじったタイトルということで。
ぽちゃーん♪
お父様が遂に陥落した。
相良の黒歴史を車中で聞き出し、家で夕飯を済ませた後、お母様から聞いたのだ。
ちゃぽ、ちゃぽ♪
良しッ!!……これで、自分でお弁当が作れるぞう!
万歳三唱したいくらいだ。
ちゃぱ……
おかしな擬音が挟まっているが、何の事はない。いま、お風呂に入っているからだ。
浴槽で身体を伸ばす。う──っ、気持ちいい──っ。
今、使ってる浴室は、私専用だ。ヨーロピアン調でデコレートされた普通の部屋。12畳くらいある。なんだか釈然としないが……「しずか」の実家の自室の倍以上広い。もちろん、個人用の浴室の他にも、大きな浴室──どこのホテルだよ!?って感じの──もある。
オーク材のお洒落なキャビネットやデーブルセット、サイドテーブルとか置いてあったり、観葉植物もある。
床が組み木のフローリングで、防水性なんだろう。猫足の可愛い陶製バスタブが窓際になければ、ただの応接間と言ってもわからないくらいだ。シャワーとか使っても排水とか大丈夫なのか?
バスタブに付いてるアールヌーボーな蛇口の上にはパイプが伸びてて、これまたオシャレなシャワーヘッドが掛かっている。金属パーツは真鍮の筈。……ま、ままさか、金じゃないよね??
ほっといたら着替え同じように、メイドさんたちに丸洗いされてしまうので、こればっかりは「自分でやる」を通させてもらった。さきほど、お風呂セットのカートの仕様説明を受けたところだ。……相良の若奥様に。
……いやあ、可愛いなぁ──っ!相良の奥様!!
くくく、相良の『黒歴史』を聞いたばかりだけに。
──もお、悪趣味ですわ。
ザバっとバスタブから出る……瀬梨華は158cmなんだけど、静が172cmあったので微妙に体感のバランスがズレて、バスタブの縁で転びそうになる。
バスタブの脇に姿見の大きな鏡が置いてある。瀬梨華が鏡に写っている。水滴がしたたる濡れた全裸の瀬梨華は……なんだか妖精みたいな可愛いさだ。「しずか」の分だけ、結構他人事に感じる。「姪っ子が可愛いすぎて辛い」みたいな?……自分のことだけど。
でも……凹凸まるでない。
日本全国の特定性癖を持つ男性諸氏が、血涙を流して歓喜に打ち震える『つるぺた』というやつだな。
──!!──!──!!
「せりか」の声にならない抗議の声が脳内に響く。
ぶくぶくとボディーソープの泡にまみれて身体を洗い始めながら、ふと思う。
これは、稀に見る絶好のチャンスなんじゃないか、と。
「しずか」は、体型の維持やコスメに、そりゃぁもお涙ぐましい程、頑張ってた。美容マニアと言ってもいい。……つまり、知識も経験も豊富だ。そして、「あんなに沢山食べなきゃよかった」「ちゃんとUVカットのやつ使えばよかった」「タチの悪い化粧品なんて使うんじゃなかった」「日課のランニングと運動さぼるんじゃなかった」……などなど、後悔も沢山経験してる。
にも関わらず、だ。
自分の、つるんとした裸の身体を見下ろす。
もしかして……?これは!?……「後悔先に立たず」とは言うが、これは「後悔先に立っている」状態なのでは?
いや、静に比べて瀬梨華の方が素材的なポテンシャルは遥かに高い。考えてもみろ。あの「お父様」と「お母様」の遺伝子を併せ持っているんだぞ。すらっと背の高い父と、”たゆんたゆん”で括れるところは括れてる母。
──そうです!そうですよ!!
いつになく食いつきのいい「せりか」の肯定的なリアクション。
今から、ちゃんと怠けずに鍛えて節制してコントロールできたら、物凄い美女になるんではなかろうか。
──おおお、本当なのですか!?
ふふふ、これは素晴らしい!やるぞ、「せりか」!!
──はいっ!宗方コーチ!!
物凄い勢いで話に喰い付いていた「せりか」がコクコクコクと何度も頷く。
「せりか」が、某テニス少女漫画の影響に毒された返事をしてる。……瀬梨華は、どっちかというと「お蝶夫人」ポジな気もするけど。
とりあえず、ちゃっちゃと洗っちゃおう。この後は、厨房にいかねば。
★ ★ ★
お父様謹製のお重箱の一時使用中止を勝ち取った私は、次の段階へと計画をすすめることにする。
お弁当の中身を自分で作る。……「しずか」にしてみれば作ること自体は大した問題ではないのだが。
まず、毎日お弁当の為に厨房に立ち入るには、さすがにお父様の許諾が必要だ。コレは既にクリア。
だが、調理器具や食材に手を出すには、厨房の支配者であるところの料理長の了承がなくてはならない。
……なんで、こんな大袈裟な言い回しをするのかというと、今まで散々瀬梨華がやらかしてきたからだ。ここで詳しくは言うまい。
とりあえずは、お風呂に入ってサッパリしたし、夕飯は終わったので厨房も一段落してる頃だろう……ということで、今、厨房の扉の前にいる。
そぉっと、扉を開けて様子を伺うと……30畳くらいのスペースにステンレス製の戸棚や作業台、いろいろな大型調理器具が所狭しと並んでいて、ちょっとしたレストラン並だ。ウチは4人家族だけど、使用人とかも含めると日々の食事でも結構な量になるし、時々は屋敷に人を沢山招くこともあるし……そうすると、このくらいの規模が必要なのかも。
精肉店の娘だった「しずか」の眼でみると、この厨房の主がどれだけ職場を大事にしているかがわかる。どこもかしこも磨きこまれ、常にピカピカの状態が維持されているのだろう。もやは大事にしているというレベルじゃない。愛していると言っても良い。
夕食の後片付けも終わっている様子で、常駐の5人が、せっせと掃除をしているところだった。
「失礼しまーす……」
私はお辞儀をして、厨房に足を踏み入れた。皆、こちらを向くと一斉にお辞儀を返してくれる。そして、おそらくはここ主である男が近寄ってくる。
竜堂家料理長である小林だ。うへへ、彼もなかなか趣のある渋い御仁だ。着流しとか似合いそう。古い任侠映画は「しずか」の守備範囲だ。
そんな見た目の小林だが、フランスの某ガイドブックの三ツ星をもらったり、某超高級ホテルの総料理長を幾つか歴任してたりと、腕は超一流なのだ。
「厨房を使いたいと、聞いていますが……。ここは遊び場や学校の家庭科室でもないんですよ。遊びやイタズラで、言っているなら許可できませんな」
おぅ……そりゃ、前科があるしなぁ……。数ヶ月前にもバレンタインで大変ご迷惑をおかけしたのは、まだ記憶に新しい。
「ここが、プロの職場なのは承知してます。なるべくお邪魔にならないように気をつけますから、隅っこでもいいので………」
お願い致しますと、丁寧に頭を下げた。私のセリフに全員がぽかんと呆気にとられている。
「…………どうやら、変わったというのは本当の話ですな……」
小林が、驚きを隠せない様子で呟いた。
「ふむ……奥様に頼み込まれているし、許可しますよ。ただ、どのくらい真剣なのかは見させてもらいます」
少々お待ちを、と言うと小林は丸い籠を持って大型冷蔵庫のところへ歩いて行き、幾つか野菜を籠に入れて戻ってきた。手近な作業台の上に野菜を並べていく。ジャガイモが10コ、人参10本、玉ねぎ5コ。
「この野菜の皮を剥いて、切って下さい。お嬢様が、どのくらい真面目に取り組む気があるのか?また、どのくらい料理に向いているのか?……その辺りを見させてもらいます」
要は……実技試験ってことね。ある程度、実力をみて器具の使用許可の範囲が決まるんだろう。あるいは、途中で投げ出すようなら許可取り消しと言うことだ。
「わかりました」
生まれてこのかた包丁に触れたこともない中1女子の根性とヤル気と器用さを見るには、ちょうど良い課題だろう。
「それじゃ、こっちの鈴木に細かいことは聞いて、やってみて下さい」
脇にいた調理スタッフの一人が会釈する。小林や他のメンバーは清掃作業に戻っていく。
鈴木が必要な道具を出してくれた。切り方を聞くと、玉ねぎは微塵切りで他はザク切りで良いとのこと。明日の朝のメニューは失敗しても材料として使えるのだそうだ。
明日……誰がこの野菜食べてくれるのかぁ……美味しく食べてもらえるといいな。よっし、惣菜コーナーの手伝いで、こちとら毎朝何kgもの野菜の下拵えしてきたことか!久々に腕がなるぜい!!
…………。
…………。
ほいほいっと。終了!!ってなもんだ。
静の頃に、本気でやったら数分で終わってしまう程度の課題だ。瀬梨華の身体で上手く料理できるのか?という不安要素もあったし、とりま15分くらいかけて、じっくりやった。出してもらったバットに切った野菜は分けておいた。
気になってた静と瀬梨華の体格の違いは……まあ、気にする程でもなく。
「鈴木さん、皮とか……どこに捨てたらいいですか?」
「お。……こちらに、お願いします」
ゴミ捨てを持ってきてくれたので、まな板の脇にまとめといた生ゴミを捨てる。
「それから、まな板と包丁きれいにしておきたいので……スポンジと布巾、お願いします」
包丁とまな板を、綺麗に洗って水がよく切れる所に置く。作業台を綺麗に布巾で拭く。使ったスポンジと布巾もよく洗って水気をきって干さねば。
「乾かす場所がわからないので、このへんに干しておきますね」
……まあ、試験は「野菜を切る」なんだけど、気分的に落ち着かないから。
「驚いた……お嬢様……完璧ですよ」
鈴木がポツリと呟いた。と、そこへ小林がやってきた。
「作業はどうですか?……うお!?……もう、終わってんのか!?」
「はい。終わりました」
そして、しばらくの間、小林が唸って考え込んでしまったのだ。
「ふーむ……」
何度か目に唸ると、ようやく小林は話し始めた。
「お嬢さん……どこかで料理習ってたのかい?」
「うっ………い、いえ……学校の授業で少々……」
あ、あれっ!?……なんか……やばい??ミスった??
思わず、縮こまるように返答してしまう。
「いえね……これは……ちょっと出来過ぎなんでね。どこかでしっかり習ったのか、と。……ただ、……クリスマスケーキだのバレンタインだので、ここで大惨事起こしてたお嬢様と、辻褄合わねえ」
うぐ……結構これでも中1女子レベルを意識してやったんだけどなあ……。
「それに……お嬢さん……結構ノンビリやってたろ?……途中で鼻歌うたって」
うっそ!?歌ってた??……久々だったんで、楽しかったけど……。
まさか『本気じゃなかったでしょ?』とか思われてる!?
「実はな……浮ついた気持ちの奴にコレをやらせると、散らかしっぱなしで『終わりました』とぬかす事が多いんだ。お嬢様は、その点でも最後までキッチリと仕事ができてる」
小さい精肉店の作業場で多種多量の惣菜作るとなると、それは当たり前なんだよぅ……。
うう……どうしよう?このままじゃ、おかしな方向に話がいってしまう。
「この手際なら……ちょっとしたレストランの見習いくらい、今からでもできますよ?」
ひいぅ!!おいっ、鈴木!?なぜ、脇から鈴木が、トドメを刺しにくる!?
もう……正直な気持ちを、素直に言うしかないよな……。
深呼吸する。私は肚を括ると、今の心情を口にした。
「私……今まで……褒められたくて、出来もしないことやろうとして……周囲からムリって言われると、余計に意固地になって……それで、ギスギスした気持ちでやってました。……結果ばかり、すぐに欲しがって」
なんだか、ビックリされている……。ここのところ、皆に驚かれてばっかりだ。
「ここの皆さんにも、今まで色々とたくさん迷惑かけてきて申し訳ないって思ってます。だから、今日は……明日の朝食を食べる人を思って……そしたら、楽しみになってきて………だったら、加工した材料を使う調理の方のことを思って、焦らずにできるだけ丁寧にって……そう思ってやりました」
厨房は、水を打ったように静まり返っている。あまりの沈黙に居心地が悪くなり始めた時に……
──ばん!!
「痛った!?」
いきなり、小林に背中を叩かれ、思わず作業台に突っ伏してしまいそうになる。
!?!? 何だ何だ!?なんなんだ??
「よし!!お嬢様、合格だ!3日寝込んで随分変わっちまったが、気に入ったぜ!」
小林が、にやりと笑う。私は、額に汗を浮かべて、あははーと苦笑いする。
「旦那様や若様の並外れた器用さを考えたら……お嬢様のこの手際も、むしろ納得かもですね」
小林と他4人が、言われてみればそうだよな、と納得して、頷く。確かに、お兄様に同じことを急にやれと言っても、さらっとできてしまいそうだし。
鈴木、ナイスフォローだ!!
そうそう「せりか」は落ち着いて事に臨めば、ちゃんとデキる良い子だ!
照れくさそうに「せりか」が、俯いて手をパタパタさせてるイメージが、湧いてくる。
とりあえずは、なんとかイイ感じに収めることができたので、そっと安堵の息を漏らす。
「お嬢さん、初歩的な細かい事や厨房の器具や食材のことは、鈴木に聞け。料理の難しい事はいつでも俺に相談してくれ」
可愛い弟子ができたぜ、と言って、小林は豪快に笑いながら、私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
読んでくださって、ありがとうございます。
この作品、初の入浴シーンでございました。……R15ってどこまで書いていいんだろ( ;´・ω・)やり過ぎて削除になっても困るし、悩ましいところではあります。また機会があれば、お風呂のシーンは書いてみたいですw
……あと、早く回想シーンから戻らねば!(*_*;と焦るのは、すこし諦めましたorz
もうちょっと回想は続きますが、次もよろしくお願いしますです。