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とある管理栄養士の日誌  作者: Yoshi
ふりかけ
3/6

3.

『認めたくないものだな。自分自身の、若さ故の過ちというものを』

    ――シャア・アズナブル


 * * * * * *


 栄養科事務室内に、電話のコール音が響いた。

 栄養科では発注もあり、多方面の業者と接する機会も多いので専用の外線も引いているが、これは内線のコールだった。表示されている番号を見ると「999」と出ている。私はこれを、こっそり「逆オーメン」と呼んでいる。

 ヘンタイで変わり者の、けれども新婚ほやほやの青井ドクターの持つ院内PHSの番号だった。

「吉田クン。ちょっと、ちょっと」

「はあ……」

 ちょっとちょっと、ちょっとちょっと、と古い物真似を繰り返し、電話は切れた。

 まあいつものことか、と思い、私は内科の診察室に入った。

「やあ、よく来てくれた」

 青井ドクターはこちらをチラリ、と見て、そして言った。

「キミを隅々まで診察したい」

「奥さんに言いますよ」

 すまん、と青井ドクターは土下座した。

「だいたい先生、奥さんへのプロポーズもそれだったそうじゃないですか……。だれかれ構わず言ってたこと知ったら、奥さん悲しむでしょうね?」

 いつもセクハラまがいの発言をしてくる。とりわけ、私は「栄養科のまな板」と呼ばれたことをひどく根に持っている。だから、ちょっと悪戯心で言ってやった。奥さんのこととなると、弱いのだ。

 そうすると、青井ドクターはピクリっと身を震わせ、そして言った。

「認めたくないものだな……、自分自身の、若さ故の過ちというものを……」

 ぜんぜん、若くない。四十代も後半である。

 そう、青井ドクターはガンダムオタクだった。とりわけ、検査科の幸村さんと、非常にウマが合う。

 青井ドクターは延々とギレンの演説を語った後に、「じゃあ、よろしく」とカルテを渡して、消えた。お気に入りの赤い携帯電話を手に持って。

「はあ……」

「たいへんね、吉田さんは」

 うふふ、と外来看護師主任の澤田さんが笑った。

「いやまあ、栄養指導に行けってことなんでしょうけど」

 患者さんに適切な食事の摂り方を説明し、根本的なサイクルから見直してもらう必要があるということだろう。だから、私が呼ばれた。

「きっと、先生は奥様に電話しに行ったんだわ。ああ見えて愛妻家ですもの」

 上品そうなこの澤田主任は、青井ドクターの奥さんの先輩だった。

 青井ドクターの奥さんはまだ若い、それこそ私より若い看護師さんであるが、年の差20を越えて結婚した。青井ドクターの人柄などに触れて、奥さんも好きになったのだろう。プロポーズの決め手は、内科医師ならではの下手したらセクハラと訴えられるレベルの「キミを隅々まで触診したい」である。何はともあれ、今ふたりはとても幸せそうだった。

 おそらく、この澤田主任のおっしゃるとおり、奥さんに電話しに行ったのだろう。あんな人で、スケベなことも言うし、オタクなことも言うけれど、それでも優秀な医師であり、愛妻家のイイ人なのである。

 私も、青井ドクターの優しさには、入職したての頃に挫けそうになっていたときに何度も何度も助けられた。あの暖かい言葉に幾度励まされただろう。私はふと、そのときのことを思い出した。


 *


 入職してもいつまでも、栄養指導がうまくできなかった。どれだけ説明しても、軽くあしらわれた。

 ある糖尿病患者さんがおられた。私は食品交換表を用いた栄養指導を試みた。けれど、やはり言われるのだ。

「でもねえ、私はあなたと違って老い先短いからねえ、食べることくらいしか楽しみがないのよ」

 何度やっても、上手く聞いてもらえない。

 ひとり落ち込んでいたとき、話を聞いてくれたのが青井ドクターだった。

「なにか、ご用でしょうか……」

 泣いているところなんて、見られたくなかった。

「君を笑いに来た、そう言えば君の気が済むのだろう?」

 ふっと微笑むと、話したまえ、と空いている椅子に腰を下ろした。

 なんだかとても暖かくて、うれしくて。こぼれた涙は、悲しみだけじゃあなくなった。色んな想いの入り混じった涙を流しながら説明する私の話を青井ドクターはただ静かに聞いてくれた。そして、言ってくれた。

「ずっと悩んでいたのか?」

「はい」

「水臭いな、今更」

 そう言うと、ふっと遠くを見た。

 休み時間中だったので、今時こんなの誰もかけないだろうというサングラスを着用している。少し、渋い。

「吉田クン。キミは、食品交換表を実際に用いたことはあるのかね?」

「え」

「はっきり言う、気に入らんな」

 ずばり、と言われた。その言葉が突き刺さる。

「実際のところ、面倒だと思うだろう」

 図星、だった。

「まずは、食品交換表を使うことの有益性を伝えないと。患者はやってみようとは思わんよ。……人の心の中に踏み込むには、それ相応の資格がいるということさ」

 青井ドクターの言うことは、いちいち正論だった。かっこよい、と思った。

「患者に押し付けるんじゃあない。押し付けられたものは、続かない。下手をすれば通院をやめてしまい、その後、その人がどういう道を辿るかを我々は知ることもできない。これでは道化だよ」

 そして、言った。

「糖尿病食事療法とは、常に二手三手先を読んで行うものだ。それができないというのは、キミがまだ――坊やだからさ」

 わかるか、と青井ドクターは質問した。私が無言でいると、

「糖尿病食事療法とはな。糖尿病だけに通用するわけではない。健康食である。これは、食事交換表にもずばり明記されている」

 だから、と言った。

「吉田クンもそれを一年やってみたら、どうかね。それが一年も続けられないというようであれば――」

「……患者さんに“一生糖尿病と上手に付き合っていきましょう”なんて言う資格はない、と……」

 青井ドクターは「吉田クンは賢いな」と笑った。

 そして、休憩時間も終わりだ、と席を立つ。去り際の背中に、礼を述べる。

「吉田クン。私はお前の才能を愛しているだけだ。いい女になれよ」

 と、なんだか頬が赤くなるようなことを言って去って行った。

 患者さんの立場になる。とても大事なことだけど、忘れがちなこと。青井ドクターは、そのことを一番理解して、身をもって実践している。今日びのドクターには珍しい、素晴らしい人だと思った。


 *


 あれから一年が経ち、二年が経った。その間に、青井ドクターは結婚し、なぜか我が身のことのようにとても嬉しかったのを覚えている。

 今、私の栄養指導を聞いて、「ありがとう。ためになったわ」と言ってくださる方がいる。今日の私がここにあるのは、ひとえに青井ドクターのお蔭である。

 こちらが「指導をする」という姿勢ではなく、時に、患者さんの話に耳を傾けることも必要だと、そう気づけたのは、青井ドクターのあのお話があったからだった。

 栄養指導を終え、そのときのことを懐かしく思い出しながら、青井ドクターのところに報告に行くと、なぜか真っ白に燃え尽きていた。

「ど、どうしたんですか?」

 唖然とする私に、澤田主任はクスクス、と笑った。

「あのねえ、先生ねえ。唐辛子のフリカケが好きでしてね、毎日のようにたくさんかけていたんですって。で、さっき電話でそのことでケンカしたらしくって……」

「え、奥さんとですか?」

「そうなんですって。なんでも、今夜の夕食は納豆ご飯だって言われて、自分は唐辛子のフリカケがイイって言ったそうなのね。そうして、いい加減、奥さんが頭に来ちゃったみたいで……」

 話に聞いた会話を頭の中で再現してみた。


「あなた、今日は納豆ご飯よ」

「いやだ、俺は唐辛子がいい」

「いつもそれじゃない。医者の不摂生って言うじゃない。いい加減、身体に悪いわよ」

「それでも、俺はあの“赤い”のがいいんだ! 通常の三倍ふりかけるんだ!」

「もういいわよ! あなたの体のこと考えてるのになんなの! もう、料理も何も作りません! 食パンでも買ってデスソースかけて食べてなさい!」

 ……そして、今に至るというわけである。どっちが年下かわかったもんじゃない。

 馬鹿馬鹿しいが、なんだか青井ドクターっぽくて微笑ましかった。

 そして、ぽつり、と一言。消え入りそうな声で青井ドクターは言った。

「認めたくないものだな……、自分自身の、若さ故の過ちというものを……」

 私はにやける顔を抑えるのに必死になりながら、外来診察室を出た。

 何でも好きだからと言って、やりすぎはよくない。フリカケもほどほどに、が一番である。

 しかし、それはもしかしたら、私のせいかもしれない。そのフリカケを一度、職員用のみで提供してしまったのだ。青井ドクターはそれで目覚めてしまった。そんなわけでまあ、私にも罪がないわけではないけど、青井ドクターに栄養指導を行なうわけにはいかないしね。それは奥さんの仕事だ。


 どうでもいいのだけど、あの日、青井ドクターが私を慰めてくれた言葉のほとんどが、あとで、ガンダムのシャアの台詞だと知ったときは若干ショックだった。

 今借りている小説が終わったら、また、幸村さんにDVDを貸してもらおう。

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