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とある管理栄養士の日誌  作者: Yoshi
ふりかけ
1/6

1.

 ――これは、二十七歳になった私の手記である。


 *


『もうここの病院にお世話になって三年になります。食事に工夫を取り入れていただいて、毎日に小さな喜びと変化が出てきました。本当にありがとうございます――78歳・女性』


 入院患者アンケートで、そんなご意見があり、全体朝礼で発表された。

 院長と事務長からお褒めの言葉をいただき、私はあんまり何もしていないのにいいのかなあ、と少しばつが悪く感じた。

 私の職場の病院では、週に一回必ず全体朝礼を行なっている。

 そのなかでは各部署からの統計データの発表や、患者様からのアンケートに寄せられた意見を発表して、職場全体で情報の共有に務めている。

 アンケート用紙には、苦情なども多いが、こうして感謝の言葉を書いていただくこともあり、苦情については貴重なご意見として受け止め、次への改善の糧としているところは多いだろうが、私の職場のように、お褒めの言葉を全部署で共有していることは思いのほか少ないと聞いている。特に一般企業に入職した友達などが言うには、言葉をいただいた部署のみしか知りえないということがほとんどであるらしい。

 しかし、院長の方針で、「そういうプラスの意見も共有した方が、みんなのモチベーションとなるし、絶対に損はない」とのことで、こうして朝礼で、私はなぜか他部署の拍手を栄養科代表として受けることになったのだった。

 新卒で入職して、三年。医療業界では三年いればベテラン、という言葉が通っており、なぜか、この年で責任者を任されるに至る。もしかしたら、これが当てはまるのは私の職場だけで、単に優れた人員に恵まれていないだけかもしれない。

 そんなベッドも100床に満たない、栄養科も20人に満たない小さな職場ではあるが、それでも私の小さな肩には重すぎる荷であり、日々もう悩みの連続で、時に挫けそうにもなる。

 文字通り、私は背が低くて小さい私は、もうちょっと労ってほしいと常日頃、弱音を吐いている。そんな弱い私でも、こうやって、病院のスタッフにあたたかい拍手をもらったり、患者さんから「ありがとう」の言葉を貰う度に、「ああ、がんばろう」って、そう思えるのであった。


 朝礼は8時半より実施されており、栄養科では調理師さんがその直前まで慌しく調理している。管理栄養士の私も、週のうち数日は調理場に入るが、朝礼の日は外してもらっている。

 忙しいのはやはり食事時で、朝と昼と夕。職員食も作らなければならないので、かなり忙しく、逆にその時間を外れるとさっきまでの慌しさは何処へ行ったのかと拍子抜けするほどである。

 そのため、勤務をうまくやりくりしないと、無駄な人手を割くことになってしまう。なので、栄養科の勤務体制はかなりややこしい。

 来月はどうしようかなあ、山本さんのところはお子さんの学校行事があるって言っていたなあ……などと、来月の勤務表の作成のことを頭の片隅に置きつつ業務に励んでいたら、あっという間に夕方になっていた。

 調理師さんたちがみんな帰った後、私は残った書類業務を片付けていく。管理栄養士は私ひとりしかいないから、仕方ないのだけど、ときどき夜の職場は寂しくなる。

 そんなときに、今朝の朝礼のことを思い出し、改めてがんばろう、と思う。院長の考えは、当たりだと思う。こうやって、スタッフはみんなモチベーションを維持することができているのだから。

 デスクワークを終えて、あとはカルテの記録を整理するだけ。診療録管理室に置いてあるカルテを確認しに、節電のために薄暗い廊下を歩いた。


 そもそも、病院食というものは不味いと、確かにそう言われている。

 とりわけ内科がまずい、と言われる。これはわかる。たとえば、糖尿病を患う方の食事。当然、食事制限がかかることもある。そのために、食事箋はある。

 ふと、そんなことを狭い診療録管理室で考えながら、カルテに食事箋を挟んだ。私の承認印である「吉田」を押して。

 しかし、手元に残った分を見て、これは挟めないな、と思う。思わず、溜息が漏れた。

「よしちゃん。遅くまでお疲れ様。カルテ開いて何してるの?」

 診療録管理士と医事課を兼任する中村さんだった。

「あ。食事箋をチェックしていまして……でも、全部はさめないんですよね」

 私は手元にたまった分を見て、またひとつ溜息をこぼした。またドクターまでバックしないといけないのか。

「どれ。あー、確かにねえ。病名と食事内容、一致してないもんなあ。また木村センセか」

 整形外科の木村ドクターの指示した分だった。

 これら私の手元にある食事箋の病名には、整形外科の骨折の病名しかついていない。しかし、食事内容は糖尿病患者のそれである。この場合、糖尿病の記載が必要不可欠である。先の秋の医療監査でも指摘を受けたというのに、木村ドクターは我関せずだった。頑固者で、命令されるようなことは絶対に応じない。医師である以上、諸々の規則に縛られるのは当然だというのにそれを良しとしない人だった。

「あのドクター、ちょっと怖いんですよね……」

 いやだなあ、と思った。

 食事箋をきちんと書き直してくれ、と言うだけでもおっかない。でも、監査でも指示された以上は守っていかないといけないわけで、診療報酬を貰う以上はそれら守るべきルールはやはり守らなければと思う。頭が痛いよ、ほんと。

「いいよ。俺が言っとくから。よしちゃん、まだ仕事あるんだろ? そっちやっときな」

「え、そんな悪――」

 いいよいいよ、と取り上げてしまい、医局に向かって行ってしまった。

 なんて、優しい人なんだろう、と思う。彼は、私の8つばかり歳上の35歳だった。

 彼だけである。私をよしちゃん、と呼ぶのは。これは苗字からそう呼ばれているわけではなく、私のフルネーム『吉田よしだ 良恵よしえ』による。略してヨシヨシだとかさんざんからかわれて過ごしてきたが、もう27にもなるとさすがに慣れたし、周囲も言うような年代ではなくなっていた。

 よしちゃん、か……少し頬が火照ったような気がして周囲を見渡した。幸い、忙しいため、スタッフステーション内の看護師さんは誰一人こちらを見ていなかった。ほっと、胸を撫で下ろす。

 人員が足りていないのかな、と思うが、中村さんは「100床未満の小さな病院だとどこでもこんなものだよ」と言う。経験豊かな中村さんが言うのだから、間違いないだろう。仕事ができる――職種が違えど、それは尊敬すべきことだった。

 まだまだ、新米の管理栄養士の私は、もっとこの世界のことを知っていかなければならない、と自らに強く言い聞かせる。

 ふと、スタッフステーション前の談話室で話している患者さんの声が耳に入った。

「最近、ちょっとゴハン変わったね」

「そうだねえ」

「前はいかにも病院食って感じでまずかったなあ」

「うんうん。最近は普通に美味しいよ。上手いふりかけもつけてくれてるしさ」

 私よりは年上ではあるが、まだ若い男性は嬉しそうに微笑んだ。

 嬉しいことだった。今日は一日中、幸せな気分でいることができそうだ。ふふ、と私も笑みがこぼれた。


 ――病院食は不味い。

 周知の事実である。何せ、塩分その他諸々が制限されている。これは、内科外科整形外科関わらずである。

 確かに、内科系疾患の糖尿病などはそれが顕著ではあるけれど、他も例外ではない。食事制限のかかった患者さん以外のメニューについても、やはり「不味い」とされる。

 私の働く100床未満の病院に関しては、内科・外科・整形外科の区別なく、料理は同じメニューである。だからこそ、整形外科で骨折などで入院されている若い方なんかには、特に、物足りない味付けだろう。だからこそ、「不味い」となってしまう。

 限られた味付けの中で、どうやってそれを緩和していくか。

 栄養科にしても、看護部同様、人員は限られている。すべての患者さんに別々のメニューをお出しするなど、現状はできない。

 今できる中で最大の手段を見つける。それこそが、私たちの持つ課題である。しかし、最近ではその課題が徐々に良い方向へと解決されてきている。その理由は、一点に尽きる。

 私は――吉田良恵は、人に恵まれた。本当に、ただそれだけであった。

 そうして、その最初の、ささやかな一歩が「ふりかけ」の導入であった。私は食卓に並ぶそれを見ると、初心をいつまでも忘れまい、と強く誓うのであった。

 それは、大正時代から昭和初期にかけて数ヶ所で考案されたといわれている。かつて、熊本県では「御飯の友」と称したという。それが協会でも元祖として認定されている。そう。「ご飯にふってかける」ことから、人々はそれを「ふりかけ」と呼んでいる。

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