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第八話

 ケレス王国で奴隷とは資産を意味する。奴隷に対して過酷な労働を迫ろうとも、死に追いやろうとも、夜伽を求めたとしてもそれは全て奴隷の所有者の自由である。そして、奴隷は一度買ってしまえば給料を与える必要も無く、ただ死なない程度に食料を与えれば良いのである。換言すれば、購入さえすればごく僅かな維持費だけで徹底的にこき使える労働力であり、部位の欠損や大病を患っているという要素が無ければ国に届けさえ出せば転売も可能である。結局の所、奴隷は高級な家具といった意味での資産でしか無いのだった。


 直人が奴隷を買う事にしたのも奴隷の資産性に着目したからであった。もし使用人に自分が異世界人である事や蒼色の眼を持っている事そして光魔法の使い手だと知られても口止めは難しいが、自分の持ち物である奴隷であれば簡単に口止めできると考えたのだ。ケレス王国のみならず奴隷制を採用している国であれば子供でも知っている事がある。それは、ごく一部の例外を除き奴隷は主人に決して逆らおうとはしないという事だ。どんなに屈辱的な命令でもあっても、どんなに理不尽な命令であっても、どんなに受け入れがたい命令であったとしても、逆らえばその命令以上に屈辱的で理不尽で受け入れがたい現実が待ちかまえているからである。故に、黙っていろと命令をされたら奴隷は文字通り二度とその事を口にはしない。もし口にすれば拷問の末殺されたとしても仕方が無いと理解しているからである。


 ただ、直人には奴隷を奴隷扱いするつもりは無かった。奴隷を解放してやるんだ!といった青臭い理想を持っている訳では無かったが、単純に人を物として扱う事は自分にはできないと理解していたし、恐怖の対象として扱われたいと訳でも無かったからだ。そういった思惑もあり直人は奴隷に付けた条件は比較的明瞭であった。今まで派遣労働で過度の虐待を受けた事が無い事、五体満足である事、簡単な文字の読み書き計算ができる事、料理が出来る事、12歳前後の少女である事、処女である事の6個である。簡単に言えば、過去に肉体的・性的暴力を受けた事が無く、変にトラウマを抱えておらず、ウエイトレスとしての仕事を全うできるといった事を望んでいたのだ。


 当然ながら、奴隷の年齢指定を12歳前後とした事にも意味があった。あまり年齢を重ねていると有能な者は既に販売済みになっているといった事もあるが、一番の理由は別の所にあった。それは、自分より年上もしくは同年代に普通に命令を下せると直人が考えたからである。そこで、中学1年生の年齢である12歳を奴隷の年齢に指定したのだった。だが、その年齢1人ご主人様の下で働く事はとてつもないストレスを与えかねないと考え3人同時に購入する事にした。館の維持管理に庭園の管理そして喫茶店のウエイトレスとする仕事は多量にある為、3人雇ったとしても問題が無いと結論づけられたからであったが。もっとも、今現在直人はそんな判断をした過去の自分を全力で殴ってやりたい気分で一杯であった。実際に届けられた奴隷3人を目の前にして対応を困ればそう考えるのも無理は無かった。




 館の改修作業と喫茶店の建設が終えるまでの3ヶ月間、直人は喫茶店で使う備品を始め日用品を買い揃えつつ空き時間には冒険に出て小銭を稼ぐ日々を過ごしていた。そして、待ちに待った館と喫茶店の引き渡し作業が終わると、ブノアが奴隷達3人を連れて来たのだった。自分の条件通りなのかと少女達を見るが外見だけで分かる事もそう多く無く判断しかねた。だが、ブノアの説明で条件が通ったと分かり胸を撫で下ろした。もし、トラウマとかを抱えていたら色々面倒な事が想定された為である。その後、ブノアから奴隷に対する諸注意を受け、奴隷が抵抗したりした際に奴隷の首輪を締め電流を流す為の魔導具の指輪を3つ渡され奴隷の引き継ぎ作業の終了となった。そう、ここまでは直人的には想定内の事態であり対応する事ができたが問題はその後に起こった。奴隷が想像以上に命令に従順であったのだ。つまり、命令されなければ何もしなかったのである。







 ブノアが帰った後、3人の奴隷に直人は自己紹介をする事にした。ただ、名前や経歴といった点ではご主人様の情報として彼女達は知っていたし、それ以上に直人は自分の資産となる奴隷という商品についての詳細を知っていたが、通過儀礼の意味も込めて直人は挨拶をする事にした。


「はじめまして。知っているとは思うが俺の名前はナオトという。貴族でも無いので家名も無いし、商人でも無いので特段名乗っている商業用の名前も無いので来客が来たとしても一々使い分ける必要はないからその点は安心して欲しい。何か分からない事があれば随時説明するからいつでも聞いてほしい。それで、プラチナブランドの君がクラリスで、栗毛の君がコレット、金髪の君がソフィーヌで良かったかな?」


 左から順番に名前は間違っていないかと確認すると少女達は緊張した様子だったが『はい』と声を震わせながら直人の呼び方が間違っていない事を示す。直人は彼女達の反応を見て嫌そうな顔をしたものの、すぐに表情を引っこめると立ちあがった。


「では、さっそくだが館の案内をしよう。君達の仕事は館の家事と農作業の手伝い並びに喫茶店でのウエイトレスだ。この辺りの分担は後々考えるとして、まずは職場を見てもらう。何か疑問は?」


 直人は少女達を見るが眼に不安そうな影を落としながらも何も言いだそうとはしない様子を見て、色々諦めると案内の為にドアを開け彼女達を先導し始めた。書斎・厨房・倉庫・客間・執務室に直人の自室と用途の決めた部屋や施設を案内し終えるとまだ案内していない2階の部屋に彼女達を連れて行った。


「さて、ここがクラリスの部屋で、右隣りの部屋がコレット、そしてその更に右隣の部屋がソフィーヌの部屋となっている。必要な物は最低限用意したと思うが何か足りなかったら遠慮無く言って欲しい。可能な限り便宜を取りはかろう」


 直人の呼びかけに対して今日初めて彼女達は反応することは無かった。なにせ、部屋を見て呆然としていたからだ。奴隷仲間から聞く話や奴隷の心得を教え込まれる結果、彼女達は例え馬小屋や薄汚い倉庫で寝ろと言われても順応できる程の覚悟を有していたが、まさか奴隷1人1人に1室を用意して貰えるとは想定もしていなかったのだ。今までも派遣奴隷生活の中で最も良い部屋が、粗末なベッドが2つ置かれた狭い2人部屋であり、今自分達に用意されたという部屋が信じられなかったらしい。彼女達の視線の先には、採光の事を考えられた出窓に、癒しの為に置かれたと思われる青々とした観葉植物、本がぎっしりと詰まった本棚に机と椅子がセットになった勉強机、そして真っ白なシーツが掛けられたダブルベットと奴隷の部屋どころか裕福な商人が子供の為に用意した1室といっても通用しそうな部屋が広がっていたのだから。


「各自部屋に置いている物は全て自由に使って良いし、故意で無い限り何かを破損したとしても一切責任を問う事はしないつもりだから安心して使ってくれて良いよ。あと、クローゼットにメイド服と寝巻、そして普段着等何着か入れているけど、君達の為に用意した物だから自由に来てくれて問題無い。多少、サイズが合わないという事があれば言ってくれれば仕立屋に調整を頼むのでその場合にも言ってくれ」


 今まで何を言っても肯定以外の返事が返ってこない為、直人は半ば諦めつつ質問を無いかと聞くと、おずおずとクラリスが手を挙げ質問をしたそうにする。そんな様子を見て直人は内心で初めてのコミュニケーションだと喜びながら彼女の発言を促した。


「あの……本当に奴隷の私達がこのような豪華な部屋を使用してもよろしいのでしょうか?」


「構わない。この館に住むのは俺と君達合わせて4名だ。執務室や応接室といった必要な部屋を全て含めても5部屋程度でまだ7部屋も余裕がある。他に何かの部屋を作るとしても4部屋も使わないだろうから君達に1部屋ずつあてがっても問題はないから心配しなくても良いよ」


「あ、ありがとうございます」


「うん、気にしなくても良い。むしろ質問があれば早めにしてくれ。分からない事で混乱したりする方が私としても気になってしまうから。他に質問は?」


 3人の顔を見渡すと、ソフィーヌが心配そうにダブルベッドを見つめていたので何か問題でもあるのかと直人は考えるが、ある事に思い至ったらしく安心させるように少女達に向かって声をかける。


「もしかしたら夜伽の事を考えている者もいるかも知れないが、俺としても今現在もそして将来に置いても君達に夜伽をして貰おうとは考えていない。それに、ダブルベッドにしたのは行為を行う目的では無く、奴隷の中では1人では寝付けない者も居ると聞いたのでもしかしたら一緒に寝る者も出るかなと思い大き目の物にしただけで他意は無い。もし、それでも安心できないのなら今すぐシングルベッドを発注して入れ替えるがどうだ?」


 直人の機嫌を損ねてしまったかもしれないとソフィーヌは顔を真っ青にしつつも首を横に振る。気にするなと慰めるが、自分で言ってて説得力が無いなと感じつつ直人は誤魔化す意味も込めて宣言する。


「さて、とりあえず飯にしよう。食堂に用意してあるから食べにいくぞ」


 そう言うと彼女達を引き連れて食堂に向かった。ただ、食堂に着いた後もご主人様と同じテーブルで同じ物を食べるという事に彼女達は驚き戸惑っていたが、直人としては改めるつもりは無かった。奴隷にするような方法を最初にしてしまえば後々変更する事がどれほど大変かと大体想像がついて居た為、強引にでも現在の方式に慣れさせるしかないと決意していたゆえである。こうして、直人は望む望まないに関わらず、主人としての強権を振りかざし彼女達に直人の決めたルールを受け入れるように働きかけたのだった。










 奴隷の引き渡しがあった日から直人は必死に少女達を教育しはじめた。教育といっても読み書きや歴史といったものでは無く主に日常生活の過ごし方というテーマであったが。この教育の必要性を感じたのは彼女達と会ってから数時間もしない内であった。当初は1ヶ月後の喫茶店の開業に向けてウエイトレスとしての仕事を教え込もうと考えていた直人だったが、彼女達の行動を見て先に現状を何とかしなければと強く意識したのだ。それは、命令されなければ基本的に何もしないという彼女達の在り方が原因だった。


 奴隷はご主人様の命令を必ず遂行するようにと躾けられる。逆説的に言えば、命令以外の事はするなと躾けられる事になる。故に、特に命令が下っていない場合は奴隷達は自分の自由意思で動こうとはしない。この彼女達の行動原理に直人は非常に戸惑う事になった。掃除しろといえば掃除をするし、料理をしろといえば料理をする。だが、命じられた作業が終り次第待機状態となるのだ。いつでもご主人様の次の命令を遂行できるようにと。この一種プログラム的な行動を取る彼女達にどう接すれば良いのかと、直人は引き取った日の夜一晩かけて考え抜いた結果、ひとつの結論が出た。休憩時間や娯楽の時間まで含めて全て命令してしまおうと。


 初めて彼女達と一緒のテーブルで食事した際にも、彼女達は緊張しながらであったが直人に『命令』されると直人が用意した料理を食べ始めたのだ。メイドであれば恐れ多いと言うかもしれないが、奴隷はご主人様の命令を拒否する事は許されない為命令に従った。この事を思い浮かべながら命令さえすれば従うのだから、彼女達がこの環境に慣れるまで命令し続ければ物事は一応解決すると判断したのである。そのように決意を新たにして翌朝、彼女達が待っている食堂に行った瞬間直人のテンションは一瞬にして下がった。何故なら、昨日引き渡されたままの服を着ていたからだ。




「おはようございます!」


 少女達は直人が食堂に入って来たのは見ると一斉に頭を下げて挨拶をする。直人は軽く手を挙げ挨拶を代わりとすると気になった事を聞く事にした。


「クローゼットに君達の服は用意していたと思うが着なかったのか?」


「あ、あのような上等な服を着てもよろしかったのでしょうか?」


 ご主人様の機嫌を損ねてしまったのかと顔を真っ青としながらも3人を代表してクラリスが直人に聞き返す。


「ああ。あの部屋にある物は基本的に君達の私物として与えたものだから自由にして良いよ。メイド服は屋敷内での仕事時に、農作業着は庭や畑で働く際に、ウエイトレス用に用意した少し変わったメイド服は喫茶店で働く時に着る事を以後命ずる。寝巻は夜寝る時に、休みの日は用意した私服の中からどれか選んで着替えるように」


「も、申し訳ありませんでした!」


「いや。今日は指示し忘れていた俺のミスだから気にしなくても良い。これ以降徹底してくれれば良い」


 自分達に一切の非は無いであろうが彼女達は一斉に直人に頭を下げ許しを請う。直人は気にする必要は無いとフォローするが彼女達にそれを求めるは酷であった。奴隷にとって常識や法律がどうであれ全ての裁量はご主人様に委ねられており、ご主人様の気を害しただけで鞭打ちや1週間のご飯抜きという仕打ちを受ける事があるのを知っていたからだ。もっとも、派遣奴隷時代にはよっぽどの事が無い限り奴隷に後遺症や傷が残るような罰は貸されないが、ご主人様に買い取られた後であれば最悪死に至る仕打ちを受ける事があったのだ。


「まぁ良い。とりあえず食事にしよう」


 そういうと直人は彼女達に昨日作っておいた鍋のスープを温めさせ、昨日買ってきたパンとベーコンそしてチーズをそれぞれの皿に盛り付けさせた。本来であれば今日も朝から料理する予定であったらしく厨房には朝食用とみられる食材が色々置かれていたが、流石に彼女達の対応で疲れていたらしく朝から料理をする気にはならないようであった。ただ、普通であれば奴隷達にこそさせれば良いと言えたが、昨日の経験上彼女達に何かをさせる際には一度一通りの事を確認させないと心配だと直人は料理を単独で彼女達にさせる気はさらさら無かったのだった。


 直人は目の前の質素な食事を見て昼飯はもう少しまともな物を食べさせてやろうと思ったが、彼女達にとっては豪勢な食事であった。高級娼婦向けの容姿端麗な奴隷やかなり才気溢れる極一部の奴隷を除けば、白パンのような高級な物なんて口にする機会が無く、無造作にスープに入れられているバーナ鳥の肉なんて目にした事も無かったのだ。だが、料理の内容以上に彼女達にとって幸運な事は、それぞれの皿に料理が取り分けられていた事だ。昨日は大皿に盛られていて自由に取って良いと言われたものの何の権利も有していない奴隷階級の彼女達は、長年の経験から到底手を伸ばす事ができなかったのだ。ゆえに、それを見かねた直人はそれぞれの皿に個数を指定した上で料理を盛り付けさせたのだ。




 食事が終ると直人は彼女達に後片付けをさせる。そんな彼女達の作業の様子を見る限り、手際が悪いとも思えず直人は嘆息した。やはり、彼女達が無能なのでは無く自分の奴隷の使い方が悪いのかと。ケレス王国で成人年齢は15歳であり平民の過程では子供は10歳にも満たない年齢から家事や仕事の手伝いをするようになるのだ、もっと過酷な環境に置かれているはずの奴隷が平民の子供ができるような事ができるというは道理であったのだった。


「よし、片づけが終ったようなので何点か今後の生活においての注意事項を先にしてしまう。その後、各自の仕事内容を発表するからそれに従うように」


 直人は彼女達を見ながら前日注意事項を書きあげた紙を取り出し発表していった。曰く、服は一日毎に着替えるべし、曰く、毎晩風呂にはいるべし、曰く、シャンプーとコンディショナを最低でも3プッシュ以上は使うべしと言った一種直人にとっての常識が大半を占めていた。だが、そんな直人の説明を聞く彼女達は真剣そのものであった。それもそのはずである。直人が今の諸注意をどのような物としてとらえていたとしても彼女達奴隷にとってはご主人様からの厳命であったのだから。そして、自分達がどこまで何の権利を認められているかという重大な確認作業でもあったのだ。


 その後も、靴下や衣服が破れて場合は必ず直人に伝達する事や各自の部屋の本棚にあった本を夜の勉強時間に読むようにといった事など直人の説明事項は続いた。その注意事項の内容は病的なまでに事細かに設定されていた。そして、それは直人にとって彼女達に対する気遣いでもあったのだ。昨日、風呂に入るように指示してもシャンプーやコンディショナといった消耗品を使った様子は見受けられず、自由に使っても良いといった物を使う素振りを見せる事も無かった為、『命令』されれば彼女達も気兼ねなく消耗品や設備を利用できるであろうと直人は考えたのだ。そのような意図で考えられた諸注意の読み上げも終ると、直人はそれぞれ3枚ずつ紙を手渡した。


「まぁ一度で覚えきれないから注意書きを書いた紙を渡して置くからそれぞれ後で確認して欲しい。何か分からなければ質問してくれたらいつでも答えるから気兼ねなく聞いてくれ。さて、それでは今から屋敷の清掃作業をするので各自着替えて30分後にもう一度食堂に集まってくれ。では解散」


 直人が手を叩き解散を宣言すると、彼女達は時間に遅れてはならないと急ぎ足で自室へ着替えに戻った。彼女達が食堂を出ていくと直人は思わず溜息をついた。


「奴隷を買ったのは失敗だったかも」


 思わずといった様子で直人は弱音を吐くが、そんな考えを振り払うように頭を横に振ると自分をはげます。大変だけど寂しい事を忘れられるだけまだマシだと。それに、彼女達その内にこの環境に慣れてくれるだろうと。それまでに自分が費やする努力の総量から眼を逸らしながら直人は自分にエールを送り続けるのであった。









「だいぶ形になってきたなぁ」


 屋敷の引き渡し日から2週間かけ直人が懸命に整備した結果、荒れ果てていた館の周囲の農地はすっかり緑一色となっていた。喫茶店の庭部分には色とりどりの花が広がり、それ以外の部分ではハーブに野菜そして何本かの樹が生えるなど以前の状態を想像できないほどの繁栄ぶりであった。当然ながら、このような急激な変化は直人の緑魔法が無ければ達成できなかったであるといえた。


「まぁ、まだまだ空き地もあるから先は流そうだなぁ……」


 少し憂鬱に溜息をついたものの、直人の顔は晴れ晴れとしていた。それもそのはずである、農作業に専念している間は奴隷達の事を忘れる事ができる数少ない時間だったのだから。奴隷を引き取ってからの2週間、直人は農作業を除き奴隷達の教育にかかりきりとなっていたのだ。朝からは料理の作り方を始め野菜やハーブの種類を教え、それが終ると各自に課した作業を監督する。昼食でようやく一息をついたと思えば、喫茶店での接客方法やメニューの作り方等を教え込み、夕食が終り奴隷少女達を娯楽室に押し込んで読書等をさせている間に、前日までに発生した日常生活における問題点や改善すべき点を検討し明日以降の予定を立てるという朝から晩まで奴隷の為に時間を割き続けていたのだ。このハードスケジュールの中、直人は空き時間を見つけては畑に来て土魔法で土壌や囲いを作り、緑魔法で植物を育てる事でストレスを解消していた。ある意味、直人はノイローゼ状態となっていたといっても過言では無かった。


 だが、それでも直人は奴隷を転売する事は無かった。もっとも、最初は転売の事を考えブノアに奴隷の市場について何点か質問しに行ったが、話を聞くと転売しようという気は無くなったのだ。何故ならば、買われてから直ぐに転売された奴隷の末路はそれはそれはひどいものだったのだから。ブノアによると基本的に奴隷は人として扱われないものの商品として扱われる為、そこまで乱暴に扱われる事は無いらしい。だけど、奴隷は人権が無い事には変わりなく何か問題があればすぐに処分されるという。これには派遣奴隷時代に違う奴隷と変えてほしいと奴隷の態度等が問題で返品が繰り返されたり、何かの事故で身体に何か障害が出てしまえば行き先は1年以内の死亡確率が9割を超えるような場所だという。そして、1度買われたものの直ぐに転売された奴隷も奴隷としての資質を疑われ転売先は劣悪な所になるらしい。具体的には、拷問好きの貴族の場所や冒険者の荷物持ち兼肉の壁といった精神的にも肉体的にも過酷な所がブノアによって挙げられたのだった。何気無い様子で奴隷について教え、転売するのであれば手伝いますよとごく平然と語ったブノアを見て直人は決意したのだ。1度買ってしまった以上、彼女達に責任を持とうと。自分のせいで彼女達に地獄を見せるなんて事はしたく無いと。


 




「コレット、もう少しそこは厚めにするように。クラリスとソフィーヌはそれくらいで問題ないので型抜きをしてオーブンの準備をしておくように」


 分かりましたと少女達は口ぐちに了承の意を伝えると、生地を厚めにしよう奮闘するコレットを横目に、合格点をもらえた2人は生地の型抜きを始める。ポイントによって料理全般の知識を得ていた直人はプロレベルとまではいかないが、スコーンを作る事くらいは出来るようで指導をしながら自らもお菓子作りに参加していた。ただ、彼はお菓子作りを楽しんでいる様子では無く、まだまだ慣れない手つきで生地を触っている彼女達に見本を見せるように作業を進めていた。


「よし、全員型抜きが終ったな。ではクラリス、オーブンで15分間焼くので時間を計っておくように。コレットは後片付け、ソフィーヌは今朝教えた『モンローブレンド』のハーブティをブレンドしてからお菓子の出来あがりに合わせてお茶が仕上がるようにいれよ」


 クラリスがオーブン番をしている間に、直人達はお菓子の試食会の準備を整えていき、お菓子が焼きあがると同時に自分達で作ったお菓子を食べ比べ始めた。ただ、試食会というには少々変わっていて何か問題点の指摘や比較をするのは直人だけであり、少女達はただ黙々とお菓子を食べるに留まっていたのだ。もっとも、試食会が始まった1回目や2回目では直人は3人にお菓子の感想を聞いたが、彼女達は美味しいとしか言わず何の参考にもならなかったので直人が全て品評するという流れに自然となったのだった。彼女達が美味しいとしか言わなかったのはご主人様の機嫌を損ねる事が怖かったという要素も大きかったが、その要素を取り除いたとしても彼女達は美味しいという意見しか言う事ができなかった。何故ならば、彼女達にとってお菓子などといった嗜好品は生まれてから口にした事が無く、多少味付けや焼きに失敗していたとしても感動で涙を流すくらいには美味しいものであり、全ての試作品が美味しいと評価といえたからだ。この事には、普段の彼女達の食事風景を見ていた直人はうっすらと気づいていたので彼女達へ意見を強制する事は諦めたのだ。まずは、色んな食材や食事そしてお菓子に慣れてもらう所から始めようと心に留めながら。


「まぁ、今回の三角スコーンはもう少し練習しないと店には出せないレベルだ。まだ昨日のカシュの実を使ったパイの方が美味しかったくらいだ。今度はスコーンに着けるジャムやシロップと一緒に作る事にする。なお、試食会で残ったこれらのお菓子はいつものように3等分して各自持ち帰り食べておくように」


 直人は目の前の大皿に載ったお菓子がきちんと3等分できる数になっている事を確認しつつ彼女達に通達した。もし割りきれなかった場合には彼女達に過酷な判断を迫る事になる為、直人は3度ほど数を数えなおしていた。指示に従い彼女達は3枚の皿にスコーンを分け、試食会が終ると次の作業までの休み時間を利用してそれぞれお菓子を私室へ持ち帰っていった。そんな彼女達の背中を直人は椅子に座りながらしばらく見送っていたが彼女達が取りかかる次の仕事内容を思い出し監督すべく風呂場へと向かった。今日はソフィーヌに少なくなったシャンプーやコンディショナの補充方法を教えようと考えながら。





 夜、奴隷少女達がとっくに眠りについた頃、直人は一人喫茶店の椅子に座りながらぼぅと真っ暗になった外を見ていた。昼間には直人渾身の作品である色鮮やかな花壇が見えるものの、残念なことに弱い月明かりだけでは観賞に耐えるものでは無かった。だが、そんな事はどうでも良いらしく直人は思案に明け暮れていた。喫茶店をどうするかという事を。


 館が引き渡されるまでの間、直人は食器店や雑貨屋などの喫茶店に必須な商品を取り扱う店に顔を出し商品の仕入の話を纏めていた。そして、今日、喫茶店のオープン予定まで2週間と差し迫って来たので取引相手への挨拶を兼ねて店主達を訪ねて行った。店主達は取引先のよしみもあって「頑張れよ」「何か困った事があったら相談してね」という温かい言葉を掛けたくれたのだったが、最後に寄った調味料等を扱う店で思いがけない事を言われたのだ。もっとも、店主としては他愛の無い世間話のつもりであったが直人としては聞き流せないものであった。それは、直人目当ての女性客が喫茶店につめかけるだろうというものだった。


 店主の話は簡単なものであった。最低ランクとは言え神眼持ちというエリートで顔もかっこよく冒険者という事もあって身体も引き締まっている。さらには、郊外とは言え立派な館を持っている上に、性格も悪く無いとなると婚期の娘にとって理想の結婚相手となる。そんな相手が簡単に会える喫茶店を開いたならば、あわよくば自分を選んでもらうと詰めかける女性も出てくるだろうと。この何気ない店主の話は直人にとって、ある事を考えさせられる契機となったのだ。それは、自己というものが何であるかということだ。


 今の直人はこの異世界にやってくるまでの直人では無かった。ポイントによって魔法や剣術等の才能を得た。そのおかげでホーリーバードといったお宝を捕まえる事が出来、大金を得る事が出来た。異世界で浮かないようにそして生きやすくする為に容姿を整えた。その事により、女性達から格好が良いと見られ笑顔が爽やかだと言われるようになった。何かにつけても、ポイントで得た知識が役に立ち醜態をさらす事は避けられ、賢いと直人とある程度喋った物は彼をそう評価した。だが、直人にとってそれらは全て自分の力で得た物では無く、それらが評価されたとしても作り上げたゲームのキャラが褒められるような感覚に襲われるのだった。


 では、自分は何者なのだろうかと。良くも悪くも自分は普通の高校生であったと。特に何かの才能に溢れている訳でも無く、何か大きな事を成し遂げたという事も無かったのだ。直人は私立の進学校に通っていたがあくまでもそこそこのレベルの学校であり、そのレベルの学校に通っている同年代の学生は一杯いた為、直人は自分が優れた人間だと感じた事は一度も無かったのだ。そうなると、今、自分の事を高く評価してくれている人々は直人が創りあげたキャラクターを見ているのであって直人の事を見てくれている訳ではないだろうかと。なら、本当の自分はどこにいるのだろうかと。


 終りの見えない思考を店主の話を聞いてからずっと考えていた直人であったが、本当の自分を見てくれる人を探そうといった綺麗事によって無理やり思考を打ち切り、もともとこの問題の発端となった事象に目を向けたのだ。つまり、喫茶店が開店すればハーブティや軽食では無く直人目当ての女性客がやって来る問題に対処するかというものであった。その事に対する解決策を模索する為、直人は喫茶店で夜が更けてからも考え続けていたがその日中に結論が出る事はついに無かったのだった。





 本来であれば喫茶店の開業となるはずのこの日、直人はいつもの様に奴隷少女達の教育と畑の更なる拡張やメニューの開発を続けていた。色んな所で宣伝していた事もあり開店が延びるという事に関して、取引先を始めとして関係各所に1つ1つ丁寧に謝罪と説明をして回る事にはなったが、喫茶店開業を延期する事に直人は何の迷いも持っていなかったのだ。


 2週間ほど前、取引先の店主の一言で自分とは何かと直人は自らの存在意義に頭を悩めていた。だが、それに対する答えなど哲学者でも無く人生経験も長い訳では無い一高校生である彼に直ぐに出せるものでは無く日々悶々と悩む事になったのだ。日中はいつも通りに奴隷達の教育や喫茶店の開業準備行為を進め、夜には酒場に行き安酒を浴びるように飲んで不安を消そうとした。日々不安と孤独と1人で戦いながら直人は徐々に弱っていったのだ。彼もそんな自分の現状を理解していたらしく、こんな状態では喫茶店なんてのんきに営業できるはずも無いと開業を延期する事を決め周囲に謝罪して回ったのだった。


 現実逃避を図りながらも直人は2週間における日々でとある結論を出す事に成功した。その結論とは、彼が異世界に来る事になった時に決めた目標、つまり『生きる』事に専念しようというものであった。一時は、国を守る英雄や民に貢献する賢者となれば自己の存在意義を見つけられるかとも直人は考えたが、例えそれらを成し遂げたとしても与えられた能力があっての事であり納得はできないのではないかと判断したのだ。そう、これは一種の現実逃避であろうと。故に、まず原点に立ち返ろうと、自分の今までの行動理念を思い出し直人は結論を出したのだ。それが『生きる』という事であった。


 ここで『生きる』といっても単純に死なないとった単純な意味で生きるというものでは無く、人間らしく尊厳を持てる形で平穏に生きるといった意味であり、直人はただその事のみを求めていたのだ。ただ、余裕を持った生活をするだけであればその絶大な魔法の力を持って冒険者をするなり軍人になるなり、はたまた功績を挙げて貴族位につくなりといくらでも金を稼いだり地位を得たりする方法が簡単であったのだ。だが、そのように力を振りかざす事で金や地位を得たとしても皆自分の力を恐れているか利用しようとして近づいてくるだけであり、平穏な生活とは程遠くまた近しい友人が出来る事も少なそうだと却下した。他にも色んな選択肢を考えた結果、直人は金を貯め喫茶店の店主をする事を選んだのだった。知り合いの居ない異郷の地で人と簡単に交流を持てて友人を作る事ができる可能性のある飲食店の店主を。


 直人はまだ納得できない物があったものの最初の計画を進める事を決めたが、問題はまだあった。それは奴隷少女達の事である。今ではマニュアル化が出来、常時監視の必要性が無くなったとは言え直人にとって彼女達の存在は負担以外の何物でも無かった。かといって転売をすれば彼女達の未来は真っ暗なものとなってしまう以上その選択をする事は躊躇われ、また他の奴隷の所有者のように単純作業や過酷な労働をさせる事もできなかったのだ。しかし、直人は自分自身の事で精一杯であり、他の問題を抱え込める程精神的に余裕も無く、また強くも無かった。そこで、直人はある決断を下す事にしたのだ。奴隷階級から彼女達を解放しようと。


 ケレス王国で奴隷が奴隷階級から解放される方法は主に4つほどある。1つ目は、何か新発見や開発をしてその功績が認められた場合、2つ目は、魔法使いの素養がある子供を産んだ場合、3つ目は、高貴な身分の方を自らの身を呈して守った場合、そして4つ目は、主人が奴隷を奴隷階級から解放する事を決め所定の手続きをした場合であった。この中で、直人が彼女達を奴隷階級から解放しようとした際に選べる方法は彼女達を身籠らせるか領主館で手続きをするかの2択であり、彼は後者の方法を選択することにしたのだ。


 といっても、今まで奴隷として生活してきた彼女達がすぐに平民としての生活を送れる知識も技能も無いと知っていた為、直人はある程度教育を施してから金を持たせて送り出す事に決めた。そして、彼女達が出て行った頃に新しくウエイトレスを雇って喫茶店を始めようと。





「という事でケレス金貨とヨスズ金貨の交換比率は9対10となる。つまり、ケレス金貨9枚でヨスズ金貨10枚分の価値を持つという事だ。この交換比率は金の含有率や国内の情勢によって変化するので両替商に行く前にはある程度下調べをしておかないとぼったくられる事になる。銀貨に関しても金貨と同様だが、手数料を考えるとお勧めはできないな。もし、どうしても他国で使える少額の貨幣が欲しいのであればギルド通貨にした方が再度両替する必要も無いので便利で都合が良かったりするので覚えておくように」


 教室風に改装された館の1室で直人は奴隷達に日常生活で必須の知識を教え込んでいた。その内容は、お金の種類や買い物の仕方といった初歩の初歩から始まり高価で売れる薬草の栽培方法といった比較的難易度の高い内容にまで及んでいた。普通であれば簡単に理解できる事でも学の無い奴隷少女達には難しい事も多く、絵や図を利用して実演しながら直人は1つ1つ彼女達が理解できるまで丁寧に教え込んだ。少しでも早く独り立ちできるように希望を込めて。そして、彼女達も必死であった。今まで奴隷仲間から聞き及んでいた買い取られた後の生活と現在の生活が天と地ほども離れており、いかに自分達が恵まれているかを実感していたのだ。そんな素晴らしい生活を自分の無能さによってフイにする事なんて望んでいなかった。故に、彼女達はただひたすら直人の話に聞き入っていたのだ。たとえ、教えられた内容が自分達に関係の無いような話であったとしても。


 こうして、お互いの意図する事は伝わらないまでも両者とも懸命に動き続けた。直人はポイントで得た日常生活に役立つ様々な知識や農作業を始めとした技術を教え、彼女達も必死にその教えについて行った。両者の頑張りもあり、奴隷少女を引き取ってから3カ月経った頃、直人は日常生活を送るだけの知識を彼女達が得たと確信し彼女達の所有権を放棄する事を決めたのだった。

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