まくあい③
直人殿が帰って来たという情報が薬草園の警備兵より知らされた瞬間、ブノアは持っていた羽根ペンを机に置き一目散に通路に向かって走り始めた。通路を行きかう職員に見られるがブノアは気にすることなく息を切らしながら必死に走る。運動不足が祟ったのか足が非常にだるかったが何とか直人の館まで辿りついた。礼を逸している事を承知でブノアは扉を開く。この時間なら食堂か喫茶店にいるだろうと考え食堂の扉を開くとそこには正真正銘、直人の姿があった。本当に居たと驚くと同時にいつ帰って来たのか疑問に思い言葉を飾る事なくそのまま言う。
「い、いつ帰って来られたんですか!? は、はぁはぁ……あの」
「勝手にいなくなってすみません。ですが、とりあえず落ち着いてください。きちんと説明させてもらいますので」
「は、はい。……って直人殿、その眼はどうされたんですか!?」
説明するという言葉を聞き、ブノアは安心しかけたが直人の眼の色が違う事に気づき焦った。なんで最高位の蒼をしているのだろうかと。混乱しながら思わずブノアは見たままのことを言ってしまったが思いがけず素直な肯定の返事が返って来た。
「実は今まで隠していましたが実は蒼……ブノアさんもご存じのように第一階位の神眼持ちでした」
正直、驚かされるのは1日に1つまでにして欲しい。バクバクと鼓動する心臓を抑えながらブノアは強くそう思った。
直人の条件付きで公認魔法使いになるという提案を受け、ブノアは領主向けの報告書を作成していた。といっても直人が帰って来たという事と提案を受けたという事は既に口頭で説明していたが、会議に諮る上で書類は不可欠であり纏める作業に追われていた。必死に作業するブノアに隣の席に居た男……ブノアの婚約者の兄が声をかけてきた。
「これでようやくイリーナと結婚に賛成できるわ。ほんとに良かったな、これで降格どころか昇進も可能だろうよ」
「ありがとうございます。確かに驚かされましたけど帰ってきて頂けて助かりました……。友人として思うところもありましたけど、それ以上に担当官として色々面倒な立場に追い込まれていましたからね……」
「まぁ、なんにせよこれで結婚だ。王都に戻るにしろ、こっちで暮らすにしろ、オヤジももう反対しないだろ。あっ言ってなかったが、あと2カ月この知らせが遅かったら見合いすることになってから、ぎりぎりだな」
「って聞いてませんよ! ……本当にぎりぎりでしたね……」
婚約破棄が予定されていたなんて可能性は考慮していたものの、突然聞かされてブノアは驚く。それと同時に直人が帰還してくれた事に深く感謝した。もっとも、できれば失踪なんてしないでくれた方が良いと思っていたが。
今振り返っても、直人が行方不明になった当時はすごく大変だったと感じる。当初は、誘拐の可能性も考えられたが、置き手紙や資産の譲渡契約書の字は直人本人のものであると断定されその可能性も潰えた。また、関係各所の捜索や聞き込みという作業が1カ月程続けられた。もちろん、直人が見つかることもなく捜索を終えた。そして、その後がブノアにとっても思い出したくない事……査問会が開かれたのだ。
緑魔法と回復魔法の両方に精通している神眼持ちの魔法使いを取り込めないばかりか失踪にまで追いやったことに対して、担当者であるブノアを始め同居人であるクラリスと変調の原因を作ったレジスの責任追及が目的だった。レジスに関しては直人の件以外にも爵位を継承する為に色々と無茶をしていたらしく既に廃嫡となっておりこれ以上の責任追及は見送られた。そして、ブノアの処罰は猶予である3年以内に直人が戻ってこなかった場合、担当していた責任を取って減給処分と3年間のユピリス勤務となることが確定した。だが、ここまではそれぞれ身分のある者の責任追及であり、同居していただけの元奴隷であるクラリスは、何らかの影響を与えたとして3年以内に直人が帰って来なければ処刑されることに決まった。
ブノアにとってこの判決は婚約者との結婚を遅らせるものになったし、それ以上に友人として親交ができつつあったクラリスの処刑が決まったことはショックだった。だが、それでも2人の処分は当初想定されていたものよりも領主の裁量で軽くなったのも事実であり、これ以上罰則を軽くしようとすることは不可能だった。ゆえに、ブノアとしてはクラリスに対して援助してやることしかできず、色々ともどかしさを感じ来たのだ。もっとも、喫茶店経営に関しては営業を続ければ直人が帰って来る可能性があるという上層部の思惑もあり、様々な面から領主館側の支援を受けられた為、クラリスは喫茶店を潰す事なく今日まで経営できたのだった。
ブノアが回想に浸っていると先輩と呼ばれた男がブノアが書いている報告書を見ながら不思議そうに言って来た。
「っていうか本当に奴はこんな条件突きつけて来たのか? まぁ、10階位なら通るラインだがな。っていうかなんで、わざわざ会議用の書類まで作ってんの?」
「その辺りはまだ機密扱いです。会議の結果次第でどこまで情報が下りるかは決まりますが先輩の所まではほぼ確実に下りてくると思いますからその時になったら説明しますよ」
「あー、こいつまだ隠し球持っているのかよ。緑魔法に回復魔法と来て次は何がくるんだよ……。それにしてもお前運が良いのか悪いのか分からん奴だよな」
確かに大きな事案は良くも悪くもリスクが大きくなりますからねぇとしみじみ返事しながらブノアは書類に注力する。先輩の言うとおり、この条件が纏まらなければ下手をしなくても責任を取るのは自分なんだよなとブルブル震えながらではあったが。
そして、迎えた会議の結果、直人の条件は一夫多妻特例法の件を除き認められることになった。だが、会議を終えてもブノアの顔色は優れなかった。それは、この決定は最高位の蒼を取り逃がす訳にはいかないという理由で決まったものであり、最終的に王都の方へ移るように今後直人の意識改革……いや、正しくは意識誘導することが決まったからだ。そう、結局のところ、最終的には直人の条件はなかったことにしようと決まったのであった。そして、今後も直人の担当はブノアであり、その任務を負うのもブノアであるというのは確実であった。
ブノアは考える。直人殿の性格的に王都へ移ることには難色を示すに違いないと。直人殿は権力や金といったものには興味もなく、女を侍らせるつもりもないとすれば王都へ行くよう促すのは困難を極めるだろうと。それよりも、力を行使することなく逃亡という戦闘を伴わない方法によって問題を回避しようとする直人が、自分からトラブルが頻発しそうな政治の世界に入っていくとは考えられなかった。ブノアにはもし王都へ行ったとしても直人によって良い未来が待っているとは少しも想像できなかった。
だが、直人を説得することがブノアの仕事であり投げ出すようなことは叶わなかった。そのことを重々承知しているブノアは溜息をつく。結局、直人殿が逃げ出してしまったのも権力側である領主館の代表の自分が信頼を勝ち得なかったからなのだ。それにも関わらず、また彼の信頼を裏切ろうとしているのだと。そう思い憂鬱な気分になったブノアはいつまでも溜息をつき続けるのであった。




