第十六話
その日、直人は知らない人が見ても一目で分かるくらい上機嫌で街を歩いていた。それは、喫茶店に来た領主館の人からクラリスが初級薬師の試験を通ったと聞かされた時から始まった。この話を聞いた時の直人の喜びようは尋常ではなく、最近では積極的に口を聞こうともしなくなっていた領主館の人間と笑顔で談笑するほど気分が高揚していた。だが、その後、直人はクラリスには気づかれないように気合いで普段の表情に戻し残りの営業時間を乗り切った。実際の所、明らかにニマニマしている直人を見てクラリスは何があったのだろうかと考えていたが、直人が気付いていなかっただけの話であった。
そして、本人はまだクラリスに気付かれていないと思いながら喫茶店の休みの日に街まで合格祝いを買いに来ていたのだ。だが、宝石店や装飾品店から食料品店まで色んな店を周った直人はクラリスに何をプレゼントするか決めかねていた。宝石であれば元々かなりの量の備蓄があったし、装飾品の類は店で付けるようにという名目で常日頃からプレゼントをしていた。そして、その他の物も必要に応じて配布してきたということもあり合格祝いを何にするか決められずに居た。しかし、正式な合格発表が明日に迫っているということもあり直人に悩んでいる時間はそう多く与えられていなかった。
その後、露店の類も回ったものの良い物を見つけきれず館に帰った後も何が良いか考えた結果、直人は天啓を得た。クラリスに何が欲しいか聞いてみようと。遠慮するだろうけど、何としてでも聞き出そうと直人は決めた。せっかく、両親という楔から解放されるのだから盛大に祝ってやるのは悪いことではないと。直人は純粋にそう思っていた。その想いの先に待ち受けているものの存在を知らずに。
薬師試験の合格発表の日だからと喫茶店の営業を昼で切り上げクラリスが領主館まで急ぎ足で行くのを見送ってから直人は合格祝いの準備を始めた。雑貨屋や装飾品店で買った飾りで食堂を飾り付け、夜中にこっそり作って空間魔法で保存していた豪華な食事やケーキを机の上に並べ終えると直人は玄関口でクラリスが帰って来るのを今か今かと待った。結局、待ち切れず直人は風魔法を行使してクラリスの居場所を探る。すると、館まで歩いて後5分もかからない所まで来ているのと分かったので表情を真面目なものに直した。ちょうど5分後、クラリスが玄関の扉を開けると目の前に直人が居たので驚く。だが、明らかにそわそわしている直人を見て思わず笑みをこぼしてしまった。
「ただいま帰りました」
「お帰り。それで結果はどうだった?」
「直人様のご指導のおかげで合格することができました。本当にありがとうございます」
「全てはクラリスの努力の結果だよ。じゃあ、ご飯にしようか」
「はい」
直人に先導され食堂に入った瞬間、クラリスは驚いて足を止める。そして、戸惑いながら直人の方を見た。悪戯が成功したと言わんばかりの顔をして直人はネタばらしをした。
「うん。合格祝いのパーティをしようと思ってね。領主館の担当の人が教えてくれたんだよ。でも、合格発表楽しみにしているクラリスにばらすのは悪いと思って黙ってたんだ。ごめんね」
「いえ。直人様のお気持ちはとても嬉しいです」
「喜んでもらえたなら料理が冷めない内に食べよう?」
「はい」
こくりと頷くクラリスを見て直人は満足そうにほほ笑んだ。クラリスと喋るだけで幸せな気分になれることに感激しながら。ずっと、こんな日々が続けば良いのにと信じてもいない神に祈るのだった。
この日の為にと直人が用意した料理はクラリスに好評であり、作り方や隠し味の話をしたりと盛り上がっていたが直人はふと気付いた。何が欲しいか聞いておこうと。急に黙り込んだ直人をクラリスは怪訝そうに見つめていたが直人が何か言おうとしているのに気づいて開きかけた口を閉じた。
「クラリス、これで君は両親から干渉を避ける事ができるようになるね」
「はい。それもこれも直人様のおかげです」
「クラリスはもう少し自分の努力を認めた方が良いよ。ま、それは置いとくとしよう」
いつまでも謙遜して自分の事を持ち上げるクラリスに苦笑しつつ直人は話を続ける。
「初級薬師となった事で成人扱いされるし、薬師を保護する法律もあるから財産に関しても両親の影響を受けることはなくなる。それに、先月獲得したギルドランクDの称号もあるからクラリスの両親が下級役人に賄賂とかを渡して協力を依頼したとしても、冒険者ギルドに頼れば問題も起こらないはずだ」
自分を奴隷として売った両親から完全に解放されると改めて実感したのか、クラリスな涙を流しながら頷いた。自分の身内であるクラリスをここまで苦しめて来た彼女の両親に心の中で呪詛を吐きつつ直人は言葉を紡ぐ。
「だから、今日は正真正銘、クラリスが1人前の独立した大人になった記念すべき日なんだよ。なので、俺からクラリスに何か贈り物をしたいと思う」
「そ、そんな。十分今まで助けてくださいました。これ以上何か頂く訳には参りません」
「気にする事無いよ。俺がクラリスにあげたいからあげるんだから。何も言わなかったらこーんなでかい宝石とか贈っちゃうよ? 取れない様に魔法をかけて」
直人が拳を握って宝石の大きさを強調するとクラリスは慌てた。直人の財力であれば十分可能なことに思えたし、彼のお金に対する執着の無さから見ても実現の可能性が高かったからだ。だけど、クラリスにはどうしても欲しい物は1つもなかった。しかし、どうしても会いたい人であれば1人だけ居た。
クラリスはその願いを言っていいか悩む。寵愛を受けてから、気に入られてから頼もうと思っていた願いを言うべきかと。まだ早いんではないだろうかと。だけど、こんな機会は今後訪れるか分からなかった。だって、今まで直人が自分に色目を使う事なく自分の身体を要求することがなかったのだから。そのことがクラリスを悩ませた。直人であればいつでも喜んで身体を許すつもりがあったけど、直人がそれを望んでいないのであれば私達が男女の仲になることはないかもしれないと。だとしたら今の関係が続く可能性が高いだろうと。そして、男女の仲ではないが現状でも十分すぎるほど直人は自分の事を気にかけてくれていると。なら、今このようやく訪れた機会にお願いすることもそう悪い事ではないのではないか。クラリスにはそう思えた。ゆえに、クラリスは心を決めた。姉様を解放してもらえるように頼んでみようではないかと。そう決意して、直人の眼をしっかり見て言った。
「物ではないですが……1つだけお願いがあります」
「俺ができることだったら何でも良いよ。予算とかも気にしなくても良いから言ってみて。無理なら無理っていうから」
どこか深刻な顔をしたクラリスを見て、お金がかかることなのかと思いつつ直人は続きを促す。かかったとしても金貨100枚程度のことだろうと想定しながら。ゆえに、クラリスの願いは直人にとって予想外のものだった。
「はい。姉様を、私と一緒に売られた姉様を買って頂きたいのです」
「え? えーと確か死んだって言わなかったっけ?」
「あの時は直人様に気を使わせてはならないと思い事実を隠していましたが、貴族様に買われただけで今でも生きていると思います」
「え、えっと、それでクラリスのお願いというと姉をその貴族から買って欲しいということで良いのかな?」
「はい。どうかよろしくお願いします」
頭を下げるクラリスに任せておいてと言う直人であったが、直人はクラリスの姉のことよりも違うことが気になっていた。それは、クラリスが何故私に隠し事をしていたのかという事と何故今のタイミングで打ち明けたかということであった。だが、すぐに答えの出るものではなくパーティが終わるまで直人の中で答えが出ることはなかった。
馬車で2日ほどかかる位置にある街にクラリスの姉を買ったフレデリク男爵が住んでいた。といっても空を飛べる直人にとっては日帰りで行ける位置でしかなかった。そして、気に入っている娘の姉がここで奴隷として働いていると聞いたので買いたいと申し出たところ、ただの労働力でしかなかったクラリスの姉エリアはあっさり売ってもらえた。それも仕方が無いことであった。直人が対価として差し出したのは金貨500枚以上は確実な魔導具一式であり、エリアの買値の10倍以上のものであったのだから男爵としても断る気は起きなかったのだ。
だが、日々過酷な労働を強いられてきた結果、エリアはがりがりに痩せており空を飛んで連れて帰るには負担が大きすぎると判断するほかなく、馬車と護衛を手配してユピリスまで送ってもらう契約をして直人は単身ユピリスにまで戻った。複雑な想いを胸中に宿しつつ。
クラリスの姉エリアが館に住み始めてからというものクラリスは以前にもまして楽しそうに笑うようになった。そんなクラリスを見て直人は思う。所詮、自分はエリアの代替だったのだと。取り換えの利く駒でしかなかったのだと。クラリスも姉を手に入れる為に俺を利用するために近くに居ただけなのだと。勝手にクラリスを身内だと家族だとそう考えていた自分が間違っていたのだと。ひどく冷たくなった手を擦りながらただひたすらそう思った。
エリアの身体の痣を消すように回復魔法をかけ、体力を付ける魔法薬を毎日飲ませた結果、引き取ってから2週間も経つ頃には以前とは見違えるくらい元気になった。だが、彼女の元気と引き換えに直人が得たものは1つも無く、むしろ失っただけであった。クラリスが何をするにもエリアと行動を共にし、エリアに構う。頭では理解できた。久しぶりに会った姉だから。生き別れた姉だから。一緒に居たいというそのクラリスの気持ちは痛いほどよく分かった。だけど、それと同時に思った。本物が来たらスペアである自分は不要になったのではないだろうかと。むしろ、スペアですらなく助けを呼べば助けに来てくれるどこかの便利屋でしかなかったのだろうかと。その事を思いついた時、胸につっかえていたものが落ちる気がした。そうか、自分は家族でも恋人でも頼れる人でもなんでもなく、金と力を持っているだけの便利屋だったのだと。ああ、友達ですら無かったのだと。この瞬間、直人が今まで信じていた世界が崩れる音がした。
クラリスの姉エリアを引き取ってから1カ月経ったある日突然、直人はユピリスから姿を消した。後に残されたものは、資産一式をクラリスに譲渡するという公文書のみだった。




