第十話
「直人殿、なんとか私達のチームに入って貰う事はできないだろうか」
注文された品を全て並べ終え厨房へ戻ろうとしていた直人を捕まえると赤毛の女は勧誘を始める。直人はとめんどくさそうに話に付き合っていたが断っても頼まれるという事を繰り返すという悪循環に陥っていた。
「何度言われても入りませんよ。そもそも、パーティを組んでまで冒険をするメリットも感じませんし」
「いやそう言わずに是非ともお願いしたい。報酬も私達5人と直人殿の取り分を1対1にする事を決めている。それに、魔導具や魔法の補助に使う消耗品も報酬の中から支払おう」
どうしても諦める事ができないらしく、直人の出番が無くても報酬の半分は無条件で直人に渡すからと女は食い下がるものの、直人の反応は芳しく無かった。彼は積極的に戦いの場に自分の身を置く事を望んでおらず、どんなに良い条件であろうともチームを組んでまで冒険をしたいとも思えなかったのだ。そして、金品で引きつける事も不可能だった。それは、直人が神眼を持った魔法使いだからである。
「お金が欲しいなら喫茶店なんて開かず素直に国家登録の魔法使いになりますよ。もし、国側の承認が下りず慣れなかったとしても他国に行くとか魔導具屋で働くとかすれば問題ありませんし……。とにかく、勧誘は受け付けてませんので勧誘は今日で最後にしてください!」
強い口調で言いきると彼女の制止を振り切って直人は厨房まで戻って行った。ただ、会計の時にまた勧誘をされる事を過去の経験上分かっていた為、その足取りは非常に重かった。
夕方になり閉店の時間を迎えると、直人はクラリスと共に夕食の準備を始める。奴隷時代には皮を剥いたり具材を切ったりと単純作業しか出来なかった彼女も直人と暮らし始めてから鍛えられたのか、今では喫茶店のメニューと簡単な料理くらいであれば出来るまでに成長しており最近ではスープの担当は彼女になっていた。そんな彼女の手順に間違いが無いか直人は軽く確認したものの、特に問題もなかったようでスープを器に盛るように頼む。それと同時に丁度焼けたらしく、休みの日に身体が鈍らないようにと狩ってきた豚型の魔獣グラシムの肉をサラダが盛られた皿に移すと、ご飯にしようとクラリスを伴い食堂の方へ移動した。
直人はグラシムの肉を一切れ口に運ぶと思ったよりも美味しい事に驚いた、市場で安く売られていたので味に期待してなかった為である。もちろん、市場で安く売られていたのはあまり美味しくないからといったものでは無く、毎年この時期大量繁殖した所、冒険者に乱獲されるので腐らない内に売り切ろうと食材店の店主が安値での販売を決定した故である。ただ、どこの冒険者のチームにも参加しておらず、自分が食べる物の大半を自分で確保している直人にはそこまでの認識は無かったので安く売られていた本当の理由に到達できなかったのも頷ける話であった。
「美味いなぁ。クラリスはどうだ? 気にいったか?」
「はい。3食このお肉でも平気なくらい美味しいです」
「気に入ったのは分かるが流石に3食は厳しいだろ。まぁ、そんなに気に入ったのであれば多めに狩って保存しておくか」
「ありがとうございます」
直人の決定にクラリスは嬉しそうにほほ笑んだ。奴隷解放された当初はまだ奴隷そのものの受け答えをしていたが、平民となり3カ月と少し経ちまだまだぎこちないものの、直人から話しかければ会話も続くといった成長を見せていた。そんなクラリスの変化を本人以上に奴隷の指導に疲れていた直人は喜んだ。これでご主人様として振る舞わなくすむと。
「そうだ……忘れてた。クラリス、薬草を育ててみないか?」
唐突な直人の提案にクラリスは疑問符を浮かべながら首を傾げる。自分でも前振りが一切無かった事に気づいたらしく彼は提案の理由を彼女に語った、両親から自分の身を守るのに役立つと。一見脈絡も無い話だが、ケレス王国の法律に照らせば直人の意図は明白であった。ケレス王国を始めとしたこの世界の国々では子供の権利を守る法律なんてものは存在せず、成人前の子供の権利は全て親に帰属した。ゆえに、未成年であったクラリスは両親によって売られた。もちろん、この法律に従えば成人さえしてしまえば適用されず、奴隷として売られる事も無くなる。しかしながら、これはあくまでも法律面での話であり現実は子供にとって更に窮屈なものであった。それは、成人後でも両親ともめた場合、基本的に両親の方が正しいと処理されてしまうというものであった。いくら親の方が間違った事を言っていたとしてもである。
そもそも役人は親子間や親族間の揉め事には介入する事は無く、するとしても法律の影響で長年培われた親の方が正しいという論理に基づき親の味方になった。もっと、両親の事を敬うようにと。このように現実では両親の主張が通り安くなっておりクラリスが成人しもう奴隷として売られる事が避けられたとしても、お金の無心という形で搾取される事がまかり通るのだ。ただ、何事にも例外があり子供の意見が受け入れられる事がある。それは、子供が一定の地位に就いていたり金を持っていたりする場合である。そして、この例外には冒険者で一定のランクを持っている者も含まれていた。そこで、クラリスが両親の要求を拒否できるようにクラリスに薬草採取の依頼をこなさせ冒険者に仕立て上げる事を思いついたのだ。ゆえに、土地を貸してやるから薬草を育てないかと彼女に提案することになった。直人の話を聞き、クラリスは両親の性格を考えるとそのような将来が待っている可能性が高いと確信し、直人の言うとおりにしてみようと決意したが少し引っかかる事があったようで直人に質問をする。
「あの……直人様の提案は大変嬉しいのですけど、薬草採取の依頼なのに栽培して持って行っても大丈夫なのでしょうか?」
「あぁ問題無い。ただ、それだけだと信頼度が上がりにくくEランク止まりになってしまうので信頼度を挙げる為に薬草の調合を覚えてもらう。薬として定期的にギルドに卸せば薬師としてだが信頼度が上がりDランクまで昇格できる。やっぱり、Dくらいないと一人前の冒険者として認められないから薬作りは必須だな」
「薬作りまで教えてもらえるんですか!?」
「あぁ。まぁ俺は魔法薬の方が得意だからそこまで詳しく無いが、魔法の絡まない薬もある程度なら作れるから心配はするな」
あっさりと薬作りを教えると言った直人にクラリスは驚きながらも何度も何度も頭をさげ感謝の言葉を告げた。そんな彼女に対して直人は苦笑しながら気にするなとしか言えなかった。
1日の業務を終え、自室へ戻って来たが直人は何かする事も無くぼんやりと考え込んでいた。今後の進退をどうするかという事を。直人がユピリスに住み着いてから既に8カ月以上経ち、この街に大分慣れたと思ったらしくブノアから提案があったのだ、ケレス王国の国籍を取得してはどうだろうかと。あくまでも軽い世間話として振られたものであり強制力を伴うものでは無かったが、彼に決断をする時期が迫ってきているのかと自覚させるには十分すぎる言葉であった。
直人にとってこの街、強いてはケレス王国に所属する事はそう悪い事とは思えなかった。各国の置かれている様々な状況を見てもケレス王国は住みやすい国であり、実際に住んでみてもその考えが変わる事は無かった。しかしながら、同時にこのままこの国に所属しても良いのだろうかという考えも捨てきることができなかったのも事実であった。そう、本当にこのまま国に所属して自分が望むように『生きる』ことができるのだろうかと。
死の森にいる時から直人が考え続けて来た事が人間らしく生きたいといったものであり、その考えは今も変わっていない。ゆえに、なるべく周囲に溶け込むべく職業上人と関わり合いの持てる喫茶店を選んだのだ。自分の能力であれば魔導具店や冒険者等の魔法を使う職業の方が圧倒的に適正があるにも関わらず、苦労をしたとしても普通の人と関係を持つ為に喫茶店を開業した。その苦労の甲斐もあり、まだまだ友と呼べる関係とは言い難いが常連になりつつある客と少しずつではあるが親しく会話が出来るまでになってきた。それに加え、取引先の人や唯一の従業員であるクラリスとも友好的な関係を築くことができた。そう、直人の努力はようやく見える形になりつつあったのだ。だが、そんな時にブノアの国に所属しないかという誘いがあった為、彼は悩む事になった。どうする事が一番正しいのだろうかと。
自分の評価はそう悪いものでは無いと彼自身そう思っていたし、その考えは的を得ていた。この街に住み着いた当初は館に篭って何もしなかったものの、喫茶店を始めた頃からは領主館や冒険者ギルドに貴重だったり品数になり易い薬草を定期納品するようになったりと街強いては国にとっては有用な人物だと判断をされていたのだ。そして、人柄の面でも少々消極的な部分が見受けられるものの、基本的に善人であり国に害するような所があるようには見受けられなかった。結局の所、直人の当初の計画通り、何の問題も無く国に所属する事ができる状態になったのだ。ただ、その事実が彼に決断する事を要求した。国に所属するか出て行くかということを。
もし、ケレス王国に魔法使いとして国民として所属する事が決まれば、魔法量の測定や魔法属性の適正並びに魔法に関する知識の調査が行われる。そして、その結果、必然的に直人の眼の色が蒼である事と貴重な光魔法に対する適正を持っている事が発覚する。そうなれば彼はほぼ確実にケレス王国の首都に移り住む事になる。それは元々直人自身想定していた事であり、そうなるまでの言わば信頼作りの為に喫茶店を経営して過ごしていた。だが、計画に反して喫茶店の店主としてこの街に馴染みつつあった彼にとって、王都へ行くことは再度自分の居場所を失う事になる事を恐れる事になった。かといって、国に所属せず冒険者という形で国に居座れば何らかの意図を持っていると勘ぐられる事になる為、直人は国に所属をしないのであればこの国から出て行くしかないという状況に陥っていた。全ては彼の自業自得とはいえ、簡単に結論が出る事が決してない思考にとらわれる事になり、一晩中考え続けたものの直人が結論を出す事は出来なかった。
「クラリスは何かしたい事はあるか?」
パイ生地をこねている最中に突然ふられた質問にクラリスは首を傾げた。一体、この人は何を考えているのだろうかと。そんな彼女の疑問を悟ったのか直人は誤解をさせないように付け加えた。
「いや、せっかく平民になったんだから趣味なり仕事なり何かしたい事はあるかと思って」
「したい事……。今の生活に満足していますし……」
「うーん。例えば楽器を演奏したいとか、機織りをしたいとか、学者になりたいとか何でもいいんだ」
「……すみません思いつかないです」
必死に考えたものの一切したい事が思いつかなかったらしく、クラリスは申し訳なさそうな顔をして直人に謝った。そんなクラリスの様子に焦った様子で直人は気にするなとフォローしたが、相も変わらず落ち込んだままのクラリスをそのままにしておくこともできず少し考え声をかけた。
「いつか見つければいいんだ。いままでの奴隷生活ではそのような事を考える事も無かっただろう? だけど、せっかく平民になったんだ。したい事があればした方が良いよ。まぁ、買いだしに行った時に見た物とか、物語で読んで気になった物とか些細なきっかで見つかる事もあるからその内見つければ良いと思うよ」
「はい。そうしたいと思います」
直人の言葉に思う所があったのか、顔をあげ直人の眼を見ながらクラリスはしっかりと頷いた。そうすると良いと直人は微笑みながら頷き、パイ生地をこねる作業に戻った。ただ、表情とは対象的に自分がこの街を出る時の身の振り方を決めさせておきたいといった苦悩に満ち溢れていた。そして、幸か不幸か直人と同じく作業をしていたクラリスはそんな直人の胸中を悟る事はなかった。
そんな会話があってから数日後、喫茶店の定休日に直人は市街を散策していた。目的地が決まっている様子は無く、キョロキョロしながら石畳の上を歩いていたが、とある店の前で足を止めると迷わず入店した。
「いらっしゃい」
直人が扉を潜るや否や店主の男が声をかけてきた。大きな声に一瞬驚いたものの直人は軽く挨拶を返す。
「で、本日は何をお探しで?」
「包丁一式が欲しいと思ってね」
「一式といいますと? 牛刀と小型刀の各種ですかい?」
「いや、菓子の裁断用のものやパン切り包丁も欲しいのだけど、全部取り扱ってる?」
「へい! 今揃えますんでしばしお待ちを!」
久々の大口客に店主はほくほく顔で直人の前に色んな種類の包丁を揃えていく。店主に許可を取り直人は1本1本手にとって確かめ、店主の話を聞きながら決める。店主が出してくれた包丁を全て見終わり、結局直人は11本の包丁を買う事にして金を払った。
「へい。確かに。では今から包みますんでおまちくだせぇ」
特に値切られずに即金で買ってくれた直人に店主は1秒でも待たしてはなるものかと急いで包装していった。その甲斐もあって直人が思った以上に早く包装が終り商品を受け取る事ができた。
「ありがとう。また、欲しい物があったら来ます」
「へい。お待ちしてますぜ」
手揉みしながら言う店主に直人は苦笑しながら店を出て、何か目ぼしい物を売っている店は無い物かと再び探し始めた。クラリスの今後の為になるものは無いかと。