試しにキスして良いですか?
愛してるとか、好きだとか、そんなの関係ない。
ただ、今、目の前の人とキスができるかどうかが私には大切なんだ。
「ねぇ、シないの?」
目の前の男は私にそう聞いた。
「どっちでもイイよ。」
私は必ずこう答える。そう答えるとたいてい目の前の男は私に覆いかぶさってくる。
「やっぱり、君もシたかったんでしょ?」
私は心の中でこう答える。
「ベツニシタクナイ。」
でも、目の前のこの男は第一段階は突破した。そう、私はこの男とキスできたんだ。
その男がゆっくりと私に愛撫を始めた。でもキスはなぜかしなかった。
首筋、胸、お腹、どんどんと下がってくる。私は思わず顔を背けた。でも、感じてるフリはしないといけない。私は声を出した。女の演技に男は気がつかないのだろうか。
すると、その男は興奮したのか私の顔を見た。そして、少しはにかむと頬にキスをした。
「あ。」
不意にその男の首筋の香りが私を包んだ。
「嫌いじゃないな。」
私はその香りに包まれながら目を閉じた。
自然に声が出てる自分がいた。触られる所が、熱くなるのを感じる。次第に体中熱くなる。この男の体温が伝わってくる。暑い。熱い。男からの汗が私の胸を伝う。
コトが終わってから、男は俗にいう賢者タイムに入る。私に背中を見せ、視線すら合わせない。スル前はあんなに接触的だったのに一体この差はなんだろう。きっと、女の私にはわからない世界なんだろう。
「シャワー浴びてくる。」
私はそう言うと、床に落ちてる洋服を拾った。
その男は何も言わず携帯をいじっていた。
シャワーを浴びながら私の反省タイムが始まる。
「キスは良かった、イケナイのはいつもの事、愛があればイクトカ、イカナイとか関係はないか。でも匂いは好きだった。」
一瞬あのハニカム顔が頭を過ぎる。
「可愛かったな。」
私は首を振ると、鏡を見た。自分の裸が映る。
「こんな体。」
女の体はずるい。体があれば誘惑できる。体があれば恋愛ごっこができる。でも、私は誰かを本当は好きになりたいだけなのかもしれない。
シャワーから出ると、その男はいつも間にか寝ていた。
「私たちどういう関係なの?」
私は寝顔にそう言うと、静かにベッドの隣に入った。そして、そっと背中にもたれた。
「あったかいな。」
私はいつの間にかそのまま寝てしまった。
起きると、男の姿がない。
「またか。」
私が肩を落としてると、男はバスタオル一枚で浴室から出てきた。
「起きたんだ。そろそろ時間だから出るよ。」
「あ、うん。」
私はいそいで身支度を整えた。
男は普通の顔で隣りで着替えていた。
まじまじと見るとなかなかのイケメンかもしれない。
「なに?」
男は私の視線に気がついて、目を合わせてきた。
「なんでもない。」
私は思わず目を背けた。昨日あんなことをしてるのに今更何を恥ずかしがってるのか自分でも分からなかった。
「準備出来た?」
「うん。」
その男はスーツに身を包んでいた。
「あれ?昨日スーツだったっけ?」
「今日はこれから仕事なんだ。」
「そうなんだ。」
私はあえて何も言わなかった。
男の人のスーツ姿は卑怯だ。イケメン度が20%は上がる。しかも不意打ちなんてなおさらだ。何を隠そう私はスーツが大好きだった。これにメガネだったら確実に惚れていたかもしれない。
「なに?」
名前も知らない男が私の視線に気がついた。
「なんでもない。」
なんとなく自分のほうが立場が下になってしまった気分だ。
私とその男は無言で会計を済ませた。お金を全部出してくれないってことはやっぱりこれまでかな。私の脳裏に浮かんだ。
その後も無言でホテルを出ると、そのまま歩いた。どこに向かってるのかも分からなかった。だけど、別れの挨拶がないから勝手に自分の家に帰って良いのかも分からない。
「ここでご飯食べようか。」
「え、あ、うん。」
私は戸惑った。
「時間ない?」
その男は少し寂しげな表情を浮かべた。
「いや、時間はあるから。」
期待をさせる行動は止めてほしい。素直にそう思った。
でも、この人ともう少し一緒にいたい。
それはキスできたから?匂いがすきだから?スーツ着てるから?
女はみんな素直にはなりたいのになれない動物だと思う。いや、これは個人差があるのかな。
男の人はコーヒーを飲みながら、私をちらっと見た。
「どうしたの?」
私は思わず聞いた。
「いや、なんでもない。」
「ふーん。」
しばらく無言で朝食を済ませると、男の人は携帯を手にした。
電話がかかってきたようだった。
「もしもし。」
男の人はさっと立ち上がると私の前から去っていった。
目の前には置き去りにされたコーヒーと私。
もしかしたら相手は女かもしれない。でも、私はそんなことを考えてはいけない。嫉妬なんて格好悪い。
だって私はこの男の体しか知らない。
あのキスと匂いとあの笑顔。
それしか私には思い出はない。
私たちは連絡先も、名前も知らない関係。
「ごめん、職場からだった。」
「大丈夫なの?」
もしかしたらそれも嘘かもしれない。だけど私は信じる。信じるふりをする。
「うん、もう少ししたら出ようか。」
私は笑って頷いた。
女は怖い。女の私はいうのだから間違いない。
一体私は何のために恋愛してるのだろうか。
そもそも恋愛してるのだろうか。
好きとか嫌いとか愛してるとか、私は何を求めてるのだろう。
キスできたから私はこの人が好きなの?
私はもやもやといろんな感情がこみ上げてきた。
「ねぇ。」
目の前の男の人が私に微笑んでいた。
そしてそのまますっと手を伸ばすと私の眉間を触った。
「え?」
「眉間のしわ。」
私は思わず思いっきり笑った。すると、目の前の男の人も笑った。
名前も知らない私たちは声をあげて笑っていた。
しばらく笑ったあとにその男の人はこう言った。
「名前教えて。」
男の人はそう言うと私に手を差し出した。
「私の名前は、ゆい。」
「俺の名前は、ゆうじ。」
握手した手は暖かかった。こんな自己紹介なんて中学生以来かもしれない。どこか恥ずかしくてでも、心は暖かい。 昨日の夜はもっと濃厚に接してたはずなのに私は差し伸べた手が恥ずかしくなった。
でもどこか心地が良い。
私たちはお店を出ると駅に向かった。
駅までの道のりはお互い何も話さないままだった。
でも、悪くない。握られた手は確かに愛を感じていた。