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二、まずは会話から

 気分が悪い。それだけで次の日は学校を休んだ。 

 朝はいつも通りに家を出て、学校に向かう電車に乗って途中下車。そして今、シャッターがおりている静かな街をぶらついていた。 

 人気のない店の前にはちらほらと煙草をくゆらし寝そべる人の姿がある。視線が鋭く、香水の匂いがきつい連中。 

 望は彼らほど道をはずれたくはないが、この先の運命がどう転がるかわからない。もしかすると、将来の自分の姿があの中に入っているかもしれない。 

 無意識のうちに目を凝らして周囲を見回していると、すれ違った男が望に舌打ちしてきた。きっと、知らず知らずのうちに目つきが悪くなっていたのだろう。 

 望は気分を悪くしながら、無視して歩く。それでもまとわりついてくる視線は望が制服を着ているからかもしれない。 

 見るんじゃねぇ。 

 つばを吐き捨て悪態をつきたくなるのを抑え、かわりに歩調を早めて路地を曲がった。 

 しばらく突き進むと、目の前に長い階段が現れた。 

 雑草があちこちから生え、端の欠けた階段を見て望は眉根を寄せた。 

 ここに来る途中脇道が無かったことを思いだし、戻るのも面倒だったのと、いらぬプライドが邪魔して、望はそのまま階段を下り始めた。 

 一歩ずつ段差を踏んでいくごとに、周りの空気が揺れ動く。 

 立ち並ぶ家はひっそりと静かに佇み、カーテンが隙無く閉まっている。 

 不思議と車の音も、電車の音も聞こえてこなかった。 

 望の周りは、朝の静けさに包まれていた。だんだんと彼の荒んだ心も穏やかになっていく、気がする。この場には、清浄な空気が立ち込めているのだ。 

 望は目元を和ませ、手摺りに寄りかかって深く息を吸い込んでみる。 

 遠くで誰かの声が聞こえた。 

「眞鍋くんっ——!!」 

 泣きそうな声で、必死に何度も繰り返し呼び叫ぶ。 

 望はその聞き覚えのある声に首を捻り、声のする方を見遣った。 

 すると玄関先にパンジーのプランターが並んだ民家の庭先で、ぼろぼろと泣き叫ぶありさの姿があって驚いた。 

「おい、お前どうしたんだよ」 

 望が声を掛けると、ハッとした様子でありさは叫ぶのを止めて振り返った。泣いて真っ赤な顔をふいにくしゃくしゃにして、望の名前を呼びながら傍の低い塀に駆け寄って来る。 

「大丈夫か、お前……」 

 取り乱す彼女の姿に戸惑いながら、望は塀を挟んでありさの前に立つ。 

「眞鍋くん」 

「なんだよ」 

「ごめんなさい」 

 ありさの突然の謝罪にたじろきつつ、望は昨日のことを思い出してゆるゆると首を横に振る。 

「昨日のことは、俺のほうが悪かったって……お前が謝る必要なんかねーよ」 

 そう言ってから気恥ずかしくなって、望は鼻がしらを指先でかく。ありさがきょとんとした顔を見せ、そして目尻に涙を膨らませた。 

 どうして彼女がそんなに泣くのか理解できなくて、望は途方に暮れながら塀に触れる。それを乗り越えようとしたが、足をかける前に透明なアクリル板に当たったみたいに足は宙を滑り落ちた。 

 不思議そうに自分の足を見る望に、ありさは下唇を震わせながら呼びかけた。顔を向けた望にもう一度謝ってから、瞼を伏せて言う。 

「ごめんなさい、眞鍋くん。わたしのせいで眞鍋くんまで……」 

「なんだよ。意味わかんねぇから、ちゃんと説明しろよ」 

「わたしと眞鍋くんの間にあるこの塀は、絶対に乗り越えられないの。そういう決まりで、ここはそういう世界なの」 

「はぁ?」 

「ここから出られないの。望も、そうだった……」 

 苦しげに言葉を切ると、ありさの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。それでも現状を理解できない望は、ぼんやりと泣きじゃくるありさを見つめていた。 

「おととい、眞鍋くんが学校に来てなくて、それで昨日、眞鍋くんのクラスまで行ったら、みんな、眞鍋くんのことなんて知らないって言うの……眞鍋くんの机はそこにあるのに!!」 

 ありさはしゃくり上げながら、途切れ途切れに言葉を続けた。 

「望の時もそうだったの。中三の夏休みに遊びに行って、ここに、来た……」 

 彼女はぶるぶると肩を震わせ、望は黙ってその続きを待った。 

「あの時もここは朝で、わたしたちはぐるぐると歩き回ったの。そしていつの間にか日が暮れて、望は自動販売機でジュースを買ってくるって行ってどこかに行っちゃったの。一人になって、だんだん怖くなってきた……そしたらポツンと明かりがついた家を見つけて、思わずその家に駆け寄ってチャイムを押した……」 

「それで……?」 

 思わずつばを飲み込み、望が先を促したが、ありさはゆるゆると頭を横に振った。 

「そこで何があったのかわからないの。私はまた元通りの生活に戻って、望は……戻らなかった。もちろんそのことを親にも友だちにも話したけど、誰も望のことを覚えてなかった——ッ!」 

 ありさが悔しそうに、悲しみの色を湛えた目を涙で揺らして、両手を握りしめた。 

「望はわたしが殺したの! わたしが、見捨てたの!」 

 そう叫び、彼女はすがるような目をして望を見あげた。望は彼女の向けた視線のその意味をすぐに悟ったが、彼女が先に言う前に手を挙げてそれを制した。 

「もし本当にそうだとして、お前はなんでここにいるんだよ。自由に行き来できるんなら、お前がその親友を探しに行け。ついでに俺ももとの場所に戻せ」 

 それで何もかも元通りだ。 

 しかしありさは呟いた。 

「だめなの」 

 何がだめなんだとむっとした望に、彼女は説明した。 

「確かに、わたしはこの場所に来られるようになった。けど、それは塀の外側。外側からじゃ中に入れないし身動きがとれない。つまり、何もできないの」 

「……なんだよそれ。ふざけんなよ。俺は帰る」 

「えっ! かっ、帰るってどこへ?」 

「家だよ家!」 

「でも、ここからは出られないってさっき……」 

「だから信じられないっつってんだよ!」 

 ありさの心配そうな言葉に噛みついて、望は元来た道を戻り始めた。 

「……信じてくれたら、戻ってきてね」 

 という彼女の声を背中に聞き、長い長い階段を一歩ずつ、確かめるように上っていく。 

 空はいつの間にか明るく、腕時計を見ると九時を回ったところだ。 

 足を動かしながら、望はありさの見せたすがるような目の意味を考えていた。それは考えるまでもなかったが、きっと、もう一人の眞鍋望を探してきて欲しいという無言の要求だったに違いない。 

 ありさが嘘をつくようには見えないが、眞鍋望という存在自体が架空の人物かもしれない。 

 だいたい、おととい俺は学校休んでねぇよ。と内心ありさの話につっこんでみる。 

 サボったのは今日で、おとといから休んでいたなんて言うありさは、望がこの変な場所で三日間も過ごしていることになる。 

 俺はまだここに一時間もいねぇよ。 

 内心不安にかき乱されながら、終わりの見えてこない階段を登り続けた。 

 雑草が生えた、二人並んで歩けるぐらいしかない狭い階段をはさむようにして、カーテンや雨戸、シャッターの閉まった民家が並ぶ。 庭先には赤や黄色の望が名前も知らないような花が咲き、風に揺れていたり、空っぽの犬小屋が置いてある。 

 人気がない、といえば確かに奇妙な場所だった。 

 頭の中に、最初泣き叫んでまで望を探していたありさの泣き顔を思い出し、なんとなく心配になってきた。戻ろうとすると、望のみみっちいプライドが頭をもたげてくる。 

 ありさの話を信じられないと言い、家に帰ると言った。それなのに「やっぱり出られませんでした」といってすごすごと彼女のもとに戻っていくのか。 

 ありえない、と思った。けれど、やっぱり彼女のことが心配だった。彼女の無事を確認するぐらい……。 

「そうだ、確認するだけだ」 

 言い訳がましく望は独りごちると、ありさのいる場所に早足で戻って行った。 




 

 望が例の塀から顔を覗かせると、ありさは不安げに芝生の上に座り込んでいた。 

「おい、ヘーキか?」 

 声を掛けるとこちらを見て、頷く。制服のスカートについたほこりを払って立ちあがると、塀の傍に寄ってきた。 

 ずいぶんと意気消沈しているみたいだった。それでもさっきより冷静さを取り戻しているらしく、口を開くと案の定、そこから出て来た声は落ち着いていた。 

「わたしね、眞鍋くんを利用するつもりなんて少しもなかった。確かに公園で言われたように、最初は望の代わりを眞鍋くんに求めてたかもしれないけど、でも眞鍋くんと望は全然似てない。そうでしょ? 眞鍋くんは男の子で望は女の子だし、ふたりとも性格がハキハキしてるけど他はちっとも似てないし。望はトランペットが上手だけど、眞鍋くんはそういうの興味ないみたいだし」 

「だから?」 

「だからね、わたしは眞鍋くんを望の身代わりだとか思ったことはないよ。今までだって、それにこれからもずっとだよ。望の代わりがいないように、眞鍋くんの代わりもいないんだから」 

 ありさはたまに、望だったら顔から火が出そうなことをすんなりと自然に口にする。 

 望が思わずその場にしゃがみ込んで顔を隠すと、ありさは不思議そうに「どうしたの」と声をかけてくる。 

 望は、ただ恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうだった。 

 周囲から白い目で見られることは当たり前だが、豊かな感情に溢れた瞳を向けられるのは初めてだった。 

 拳をぶつけられることなんて数え切れないほどあるのに、どうしたのと言われたことはなかった。 

 母親に存在を拒絶され、父親に出来損ないだと罵られた記憶はあるのに、隣に並んで、一緒に時間を過ごした想い出は少なかった。 

 すべてが初めてだった。穂月ありさがくれたものは、初めてだったんだ……。 

 目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになるのを瞬きで乾かした。 

 望はありさに背を向けたまますっくと立ち上がり、乾いた唇を湿らしてから、 

「お前の親友、捜してきてやるよ」 

 と言った。 

 でも、と口ごもるありさに、なんだよと鋭い目を向けた。ありさは目を泳がせてから再び望に視線を合わせると、ポケットから携帯を取り出した。 

「眞鍋くん、携帯電話持ってる?」 

 ありさに言われて、それまでポケットに突っ込んおいて存在を忘れていたシルバーホワイトの携帯を取り出して見せた。 

 ありさはそれを見て頷くと、折りたたみ式の携帯を開き、 

「眞鍋くんのメールアドレスを教えて」 

 と言った。 

 望は無言でアドレス帳に載った自分のメールアドレスを提示し、ありさがそれを見て自分の携帯に打ち込んでいく。 

「前に入った時、望とわたしの携帯が使えたの。家や警察とかにはつながらなかったけど、同じ空間にいるわたしたちの間ならやり取りができた。だから、もしかしたらわたしと眞鍋くんもできるかもしれない……」 

 ありさは望のアドレスを登録しながら独り言のように呟き、そして出来上がったメール作成画面を確認して、送信ボタンを押した。 

「あ」 

 望が思わず声を出し、震えるシルバーホワイトの携帯電話を見つめた。 

「……届いた」 

 モニター画面を見ると、未登録のアドレスが載ったメールが受信されていた。 

「よかったぁ」 

 ほっとするありさの声がする。ちらりと目だけを動かして彼女を見ると、本当にうれしそうだった。 

 再び自分のモニター画面に視線を戻し、メールを開示する。 

 テキスト画面には穂月ありさのゴシック文字と、彼女の携帯の電話番号が載っていた。すぐに望も登録し、メールを返す。それはすぐにありさに届いた。 

「これで連絡が取れるようになったね」 

 と言って、ありさは自分の携帯電話を操作している。望の電話番号を登録しているのだろう。 

 望はこの場を立ち去る前に確認しておきたくて、ありさを見た。 

「お前は、いつでもここから出られるんだよな」 

「うん……。でも、望が見つかるまでここで待ってる」 

「……わかった。見つけたら連絡する」 

 望は手に持っていた携帯電話を揺らして見せ、ふいっと彼女に背を向けて階段を下り始めた。 

「待ってるからー! 気をつけてねー!!」 

 そんな彼女の言葉を、黙って自分の胸にしまった。

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