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一、友達になろう

 中学を卒業して高校にあがった私は、下駄箱の前に張り出されたクラス表を見て凍りついた。 

 私の穂月ありさという名前の下に、見覚えのあるゴシック文字が載っていた。 

 ―——眞鍋望(のぞみ)。 

 あなたは生きているの? 

 私が、殺してしまったのに……。 

 


****

 

 

「おーい、眞鍋。呼んでるぞー」 

 頭だけ上げて、なぜか少しはしゃいだ声で望を呼ぶクラスメイトを睨むと、教室の隅から「こわっ」という誰かの声が聞こえてきた。 

 わざと踵を引きずるようにして音を立てて歩く望の前を、クラスメイトたちが何も言わずによけていく。扉の前まできて廊下を見渡した。 

 休み時間中の廊下は騒がしく、時折給食袋が野球ボール代わりに飛んできたりもした。 

 望を呼んだというが、廊下にそれらしい人がいないので舌打ちして机に戻ろうと踵を返した。その時だった。 

 すぐ脇から控えめな声がして戻りかけた望を呼び止めた。 

「あ、あの。眞鍋望、くん……ですか」 

 目線を向けるとそこには見慣れない女子生徒が両手を胸の前で握りしめ、不安そうに瞳を揺らして立っていた。 

 望は再び教室の方に顔を向け、取り次いだ男子生徒を見た。男子生徒は望の視線に気づくと顔を背けたが、間違いなく彼は今、剥き出しの好奇心で目を光らせていた。 

 彼がはしゃいでいた意味に気づき、望の機嫌は急降下した。

 ガキだから、そういう風にからかうのが好きなんだ、と自分自身に言い聞かせて気持ちを落ちつけた。 

 望が振り返ると、少女とはすぐに目があった。 

 望はあからさまに不機嫌な顔で唸るように言った。 

「で、なに。俺に用があんの」 

 ぶっきらぼうで短い言葉に、少女は一拍置いてから口を開いた。

「えっと、わたしC組の穂月ありさです。あの、用事というか頼み事というか……」 

 言葉尻をすぼめ、ふわふわと視線をさ迷わせて答える彼女に苛立ちを覚える。

 まとまりを得ない彼女の話を耳にするより、早く席に戻って居眠りしたいと思う。だから早く切り上げてしまいたい、ただその一心で乱暴に言葉で先を促してやると、ありさは一つ深く頷いて、 

「わたしとお友達になってくれませんか」 

 という、突拍子もない発言をして、望から言葉を奪った。 

 ふたりの間に長い沈黙が降りた。なんとなく、望の背後が騒がしい。というより、クラス中がどよめいている。

 その時まで彼女の瞳の中に見えていた決意の光を、長い沈黙で霞みのように消してしまった。 


 望はしばらくありさの言葉を待っていたが、次がないとわかると今度は人の目が気になりだした。普段は怖がられてばかりいてモテた試しがないのに、今がその時であるかのような錯覚を覚える。そして陳腐なプライドが邪魔をして今ここで了解してはいけない気になり、断りの言葉は、思いのほかすんなりと口をついて出た。 

「ムリ。意味わかんないし、人間違えだろ」 

 言い捨て、くるりと回れ右をして自分の机に向かう。ありさは、そんな望を引きとめなかった。少しして、「失礼しました」という高めの声がして、立ち去る足音が聞こえてきた。 

 そうだ、さっさとどっか行っちまえ。 

 眞鍋望という男は凶暴な不良で、入学当初から手のつけようがないほど最悪な人間だ。望みがない、まったくの出来損ないだ。 

 まったく、自分の名前が笑えてくる。 

 望は胸の内でやけくそになってで吐き捨てると、机に額をつけて瞼を閉じた。 

 すこし冷たい机が、一連の出来事でほてった頭を冷やしてくれる気がした。 



 

 もう来ないだろうと高をくくっていたのだが、穂月ありさは再び望の前に姿を現した。 

 それは「友達になって欲しい」と言われた翌日の昼休みのことで、望はちょうど校舎裏の日陰に人目を避けて逃げ込んだところだった。 

「なんだよ」 

 誰にも会いたくないと思っていた矢先だったので、頭の横に突っ立って見下ろしてくるありさに対し、思わず突っぱねた物言いになる。するとなぜか彼女は傷ついた顔をして、瞬いた。 

「昨日わたしが言ったこと、少し考えてくれたかと思って……」 

 ガックリ肩を落として望から少し離れた所に腰を下ろすと、ありさは口を結んだ。彼女が固く口を結び、噛みしめるのを望は見るとはなしに見つめ、少しの罪悪感を感じた。 

 彼女の真剣な言葉に望はきちんと向き合いもせず、すこしもその言葉の真意を考えなかった、だけでなく、くさい物に蓋をするような態度で断ったのだ。 

 望が肘をついて体を持ち上げ、傍に放り投げていたコンビニのパンを引き寄せた。望が動いたことでビクリと肩を震わせたありさも、袋からパンを取り出すのを見ていくらか緊張を解き、ついで不思議そうに望を見た。 

「まだ、食べてなかったの?」 

 彼女の問いには答えず、望はもくもくと食べ続けた。 

 一つめのパンを食べ終わり、緑茶で口内を潤してから初めて望はありさをきちんと見た。 

「なんで俺なの」 

「え?」 

「お前友達いないのかよ。別にわざわざ不良に声かけなくてもよかっただろ」 

 つんとして言い放つと、彼女は真面目な声で言った。 

「違う。眞鍋くんじゃないとだめなの」 

 望は驚いてまじまじとありさを見た。 

 それってほとんど告白なんじゃ……と考えている傍で、ありさは言葉を続ける。 

「小、中学って仲がよかった友達がいたの。高校に入ってちょっとびっくりしたけど、その子も眞鍋望っていう名前だった」 

「は? それだけ?」 

 望の言葉を理解できなかったのだろう、ありさはキョトンとしてしばらく瞬いていた。そんな彼女に淡い期待をしていた自分が馬鹿らしくなり、思わず顔を顰める。 

「……ごめんなさい。自分勝手なことを言って」 

 しょんぼりと肩を縮めて呟くありさを見て、望はため息をもらした。 

「勝手にしろ」 

 どうしても突き放した言い方になってしまうのは、今までの習慣からだ。それでもありさは「ありがとうございます」と言って小さく会釈すると、うれしそうに笑った。 



 

 ありさと知り合ってから望の生活に変化は訪れたかというとそうでもなく、あいかわらずな日々を送っていた。 

 学校では目つきも悪く椅子にふんぞり返って座り、注意を向ける教師をあしらい、家に帰ると部屋に籠もって親と口をきかない、そんな日常。 

「それでね、中学にあがって吹奏楽部に入って、わたしはクラリネットを吹いて、望はトランペットを吹いていたの」 

 その間に少しだけありさが入ってくる。 

 誰もいない公園でありさが中学時代の想い出を楽しそうに話すのを聞きながら、自分と同じ名前が出てくるたびにぴくりと体が反応する。 

 ありさの言う”望”は自分のことではないのに……。 

 ぼんやりと彼女の横顔を見つめていると、ありさが身を固くしてこちらに顔を向けた。 

「どうしたの、眞鍋くん」 

 そうだ。ありさは俺のこと“眞鍋くん”と呼ぶ。初対面から今の今まで、少しも違えたことはない。 

 望はすっとありさから視線を逸らした。 

「お前のいう眞鍋望は、男か?」 

 少しどきどきして聞くと、ありさがはじけた笑い声を上げた。 

「ううん、違うよ。望は女の子。わたしの親友だったの」 

「だった……?」 

 望が聞くと、痛いところを突いたのかありさは口を噤んで俯いた。 

 泣くかもしれないと思って望はぎょっとしたが、彼女は意外としっかりした声で、 

「死んだの」 

 と言った。 

 望はありさの顔を覗き込み、彼女の握りしめた手がかすかに震えているのを見て、嘘を言っているのではないのだろうと思う。そこで答えにふさわしい言葉を探してさらに悩んだ。 

 ご愁傷様? お気の毒に? ドンマイ? 気にすんなよ? 

 どれもこの場に似合わない言葉な気がして、思わず沈黙していると、彼女の努めて明るい声がして、 

「気にしないで、別に何も言わないでくれていいの」 

 と言った。それがありさの強がりだとわかっているだけに望はいたたまれなくなって、他に話題を探す。 

「……そいつの写真とかって、今持ってたりすんの」 

 するとありさはおもむろにスカートのポケットを探って、プリクラを貼った携帯電話を取りだした。 

「隣にいるのが望なの」 

 小さな写真の中に、笑顔のありさと一緒にピースをするもう一人の眞鍋望が写っていた。 

 長い黒髪をポニーテイルにしている彼女の姿を頭の中に叩き込み、望は携帯電話を返した。それを受け取りながらありさは自嘲ぎみに、 

「わたし、未練がましいけど、できたらもう一度望に会いたいの」 

 と呟く。 

「ごめんねって謝って、ちゃんと仲直りしたい」 

 彼女の独り言にも近いそんな願望を聞かされて、望はあることに気づく。 

「ってことは、俺はもう一人の眞鍋望の身代わりか。おまえのその未練を紛らすのに、苗字と名前が同じってだけで」 

 表情も自ずと固くなり、ありさを睨みつけた。

「ち、ちがっ」 

「違わねーよ。もうやめようぜ、お友達ゴッコはさ」 

「眞鍋くん……」 

 ありさが傷ついた顔をして望を見る。 

 そんな顔で見るな。そんな目で俺を見るなよ。 

 望はありさの視線を振り切るように勢いよく立ち上がった。 

「じゃーな。俺はお前の言う親友とは似ても似つかない不良だ。だから……」 

 ありさに背を向けていた望は肩越しに振り返り、地を這うような声を放った。 

「俺に構うんじゃねぇ」 

 望の言葉に顔色を白くして、目を丸くして棒立ちになっているありさから目を逸らすと、木陰の多い公園から夕日の降り注ぐ道路に出た。 

 胸にのしかかってくる痛みに顔を顰め、舌打ちをするとズボンのポケットに両手をつっこんで駅に向かう道を歩き出した。 

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