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悪女をやめて、森でピザを焼いて暮らします

作者: 栗原ちひろ
掲載日:2026/10/16

「国外追放、ですか?」


 私が訊ねると、レオンは重苦しく頷いた。


「はい。明日の朝、正式に通達が出るはずです」

「それは、エドワードさまが決めたこと?」

「……残念です」


 口ごもるレオンは黒髪に青い目、いかにも誠実な容貌の青年騎士だ。

 彼がいつも仕えている相手は、私の婚約者にしてこの国の第三王子、エドワード。


「ちなみに、私の罪状は?」

「宮廷の規律を乱したゆえ、とのことです」


 なるほど、と思い、私はちらと自室の鏡台を見た。

 そこに映るのは、豊かなストロベリーブロンドを完璧に巻き上げた派手な女だ。


 私、ロザリー・ベルモント侯爵令嬢は、生まれつき容貌が派手だった。

 真面目に勉強しても遊び人と決めつけられ、身に覚えのない浮気の噂まで立てられる。

 婚約者のエドワードも、私本人より噂を信じたのだろう。


 私は一度目を閉じてから、声を張り上げた。


「執事のアルベルト、それとメイドのアン!」

「は、はい、ロザリーさま、アンはここです」

「こちらに控えております、ロザリーさま」

「アルベルト、荷造りをお願い。道具類と食料、それから金貨を一枚、銅貨を少し。残りの私財は、使用人たちに分配してちょうだい」

「かしこまりました」


 私は寝る前に読んでいた古びた小冊子を小脇に抱え、髪から宝石入りの櫛を抜いた。

 窮屈だった結い髪が、ばさりと背中に広がる。

 

「アン、今までありがとう。この櫛を売って、病気のお父さまにお薬を買いなさい」

「ロザリーさま……!」


 可愛いアンは、目に涙をいっぱいに溜めている。

 エドワードの騎士のレオンは、戸惑ったように言った。


「一体どこへ行かれるつもりです?」

「さあ。みなさまのお邪魔にならないところへ行くつもりです」


 私はせいぜい優雅に一礼。


「それでは、お暇いたします」


◆


 それから十日。

 私はメイドのアンから譲り受けた普段着を着て、安い馬を借り、隣国へとたどり着いた。

 ここならいいかなと思えたのは、国境近く、山間部の宿場町。

 よそ者にも寛容そうな町だ。私はさっそく宿屋に押しかけた。


「私、サリーと申します。働き手として雇ってくださいませんか?」


 偽名を言って頭を下げた私を、宿屋の女主人はじろじろと見つめた。

 彼女は恰幅がよく、指は水仕事で荒れていて、働き者なのがよくわかった。


「ふーん。妙にこぎれいな子だけど、ちゃんと働けるのかねえ」

「私、体力あります。三日くらい寝ないでもいけますし」


 私は地味ドレスの袖をめくり、力こぶを作って見せる。

 宮廷では三連続で舞踏会をこなすこともあった。体力はある。


「はっ。バカな貴族じゃあるまいし、夜は寝なよ」

「あ~……ははは、そうですよね」

「でも、早起きできそうなのは何よりだ」

「力もあります。言葉も三カ国語できますし」


 前のめりになると、これは少し不審がられた。


「外国語? そんなのどこで覚えたんだい?」

「えーと、生まれた家が馬番の家で。馬を借りに来る外国人と話していたので」


 家が馬番なんて、もちろん嘘だ。

 私が馬に詳しいのは、派手な顔のせいで追いかけてくる男をかわすため、厩に逃げ込むことが多かったから。


「なるほどねえ。馬番の娘ってことは、馬も扱えるのか」

「はい! お世話も乗るのも得意です」

「……わかった。だったら雇ってあげる」

「ありがとうございます!」


 私は思いきり頭を下げた。

 女主人は、あたしはマルタだよ、と自己紹介をしてから、宿屋の奥の小屋を指さす。


「どうせ住むところもないんだろ? あの物置片付けて使っていいよ」

「助かります! ちなみに、家賃はおいくらでしょう?」

「家賃ねえ。何せ物置だし。先に住んでるやつの世話するなら、タダでいいかな」

「先に住んでる奴……?」


 えっ、それって、男性ですか?

 私、強制的に結婚させられそうになってます?

 私は首を傾げたが、物置からのそのそと出てきたのは、毛の長い灰色の犬だった。


「わふ!」

「わんちゃんだ」

「モップっていうんだ。食い物にうるさいけど、行儀はいい。頼んだよ」


 そんなこんなで、私は住む場所と職を手に入れた。

 森の傍の宿屋と、物置。

 宿屋の敷地内の、何もない空き地。

 荷物にベルトで挟んでいた冊子を取り出し、ぺらり、と開く。

 そこには、森の中に設置された石窯の精巧な絵があった。

 私がずっと憧れていた、ピザを焼くための窯だ。

 そして、目の前には、窯を作れそうな空き地がある。


「……最高」


 私は、思わず微笑んだ。


◆


 それからの生活は大忙しだった。

 夜明け前に起きて、鶏とアヒルから卵を回収。沢で水を汲み、旅人の馬の世話をする。マルタが焼いたパンで宿の朝食が終われば、私もようやく朝ごはん。その後は皿洗いと掃除だ。


「やけに頑張るねえ、サリー」


 チーズの分厚いひときれを載せた黒パンを頬張っていると、マルタが向かいに座った。


「そうですか? 早起きくらいしかしていない気がしますけど」

「水も汲んでくれるし、馬の扱いも上手い。助かってるよ」

「沢に行くのが気持ちいいんです。森で運動すると、朝ごはんが美味しいですし!」


 舞踏会で飲み過ぎて二日酔いということもないですし、とは言わず、私はもう一口、パンにかじりついた。

 ここに来て初めて食べる黒パンは、白パンよりも深みのある味と香りが口いっぱいに広がる。近所で作られたチーズとの相性もばっちりで、いくらでも食べられそうだった。


 マルタは、ふーん、と言いながら自分もパンにかじりつく。


「このへんでうまいもんなんか、チーズと山菜くらいだけどねえ」

「最高じゃないですか! あと、森の中でキノコの群生地も見つけましたよ」

「キノコねえ。うちの国じゃあんまり食べないんだけど。あんたは食べるの?」

「大好物です。今度少し取ってこようかな」


 私がにこにこしていると、マルタもつられて少し笑う。

 そのあと、少し決まり悪そうに話を逸らした。


「そういや、モップはどうしてる?」

「モップさんなら元気ですよ」

「モップさん?」

「お見せしましょうか。汚れてますけど」


 怪訝な顔をするマルタを、私は物置小屋へ案内した。


「わふ!」

「ずいぶん片付いたねえ。……って、モップはずいぶん立派なところにいるじゃないか!」


 マルタが感嘆の声をあげる。

 物置小屋は、すっかり様変わりしていた。

 要らない家具はできる限り解体し、廃材を組み直して大きな作業机を作った。がらくただらけだった物置は、今では小さいながらも居心地のいい小屋になっている。

 壁際には私のベッドと、モップのベッド。

 私のベッドは、もともとあったものを修理しただけだ。

 でも、モップの寝床は大きな棚に枯葉を詰めたクッションを入れ、古い絨毯を切って飾りをつけたこだわりの品である。

 ふかふかの寝床にふんぞり返るモップを横目に、マルタは作業机を撫でた。


「ここで何かするつもりかい?」

「はい。いずれここでピザを練って、焼こうと思って」

「ピザ? なんだい、それ」

「古い本で見かけたんですけど……高温の窯で焼く、素敵な食べ物なんですよ」


 私はベッドの枕の下から、古びた小冊子を取り出した。

 我が家から持って来た、数少ない品のひとつだ。

 異世界から来た人が残したものだという話もあるけれど、本当かどうかはわからない。

 ただ、私はこの本に描かれた絵が好きだった。

 丸い生地の上に、色とりどりのソースと具材をばらまいたピザ。

 夢のように愛らしくて、見るからに美味しそう。

 まだ食べたことはないけれど、ここには、きっと幸せがあると思う。


 マルタはぺらぺらと冊子をめくって言う。


「見た目は平べったいパンみたいだねえ。麦で作れるのかい?」

「生地はそうですね。でも、窯を作るのが大変みたいです。レンガか石がないと」


 私は挿絵の隣に挟んだ紙を開いた。

 そこには、自分で描いたピザ窯の設計図がある。

 私はかつて、王妃教育の合間を縫って、先生をつかまえてはピザ窯の作り方を相談した。王宮では役に立たない知識だったけれど、いつか自分で窯を作りたかったのだ。

 設計図を眺めていると、マルタが宿屋の方を顎で示した。


「ふーん。この感じなら、うちの余ったレンガでいけるかもね」

「えっ、本当ですか!?」

「ああ。宿屋にくっついてるほうの物置から、使えそうなものを選んで持っていきな。あたしもピザには興味があるからね。客が少ない日に、窯作りをやってみたらどうだい」


 レンガがある。

 窯を作っていい。

 つまり、ピザを焼けるかもしれない!


「ぜひ! ぜひお願いします!」


 私は設計図をぎゅっと抱きしめた。

 水仕事で荒れた手は、以前の手とはまるで違う。

 私はこの手で窯を作る。

 そして、いつか、この小屋で、焼きたてのピザを食べるのだ。


◆

 

「それで、これは一体、どういうことなんですか?」

「あら、あなたは……えーっと」

「レオンです。エドワードさまのおつきの騎士の、レオン・ハーグリーヴス!」


 大きな声で言われ、私はくすりと笑った。

 今日は宿屋の休業日。村の知り合いたちが集まり、レンガやセメントの入ったバケツを運んでくれている。ついに、ピザ窯を作る日が来たのだ。

 そこへちょうどよく旧知のレオンが訪れたので、私は彼にもレンガを渡した。


「覚えてるわよ、ど忘れしただけ」

「大丈夫ですか? 宮廷ではひとの名前を忘れるのは厳禁ですよ」

「そうだったわね。ここは宮廷じゃないから忘れていたわ」


 ちょっと棘がある言い方になったかな、と思いながら、私は手元の図面をのぞき込む。

 そこへ、村の肉屋さんから声がかかった。


「おーいサリー! このレンガ、ここだっけ?」

「ちょっと待ってね。星マークが書いてあるやつよね?」

「そうそう、星の三だ!」

「そこで大丈夫よ、設置して」


 肉屋さんは嬉しそうにうなずき、レンガを私たちの物置小屋の外に置く。

 モップは小屋から顔だけ出して、ふんふんと嬉しそうだ。

 もちろん私もとっても嬉しい。

 難しい顔なのは、レオンひとりだ。彼は忌々しそうに鼻を鳴らす。


「隣国に旅に出た部下に噂を聞いてきてみたんですが……酷いところですね」

「えっ。どこが?」

「ど田舎ですよ。店ひとつない」

「馬に乗っていけば、村があるわよ」

「馬に乗ってるんですか!? 馬車じゃなく?」


 レオンはさっと青くなる。

 私はびっくりして、彼を見上げた。


「あなただって乗るでしょう? 騎士なんだから」

「あなたは騎士じゃないでしょう」

「私はただの宿屋の娘。レオンはこれも運んで。星の四よ、肉屋さんのお隣に置いてね」

「これは一体何をなさっているんですか? 砦でも建設中?」

「私の夢を作っているの」

「…………」


 そう言うと、レオンはレンガを運んでくれた。

 けれどその後、また浮かない顔で私のところへやってくる。


「ロザリー殿」

「なあに? 私はまだ指揮をしなきゃ」


 なんとなくレオンと話したくないな、と思って後ずさると、さっと手を握られた。

 ぞわ、と肌が粟立つ。


「お労しい。こんなに手が荒れて」

「ええと?」

「殿下はまだ、ロザリー殿のことを誤解しています。宮廷に復帰するのは難しいかもしれない。ですが、わたしと小さなしあわせを掴むなら……ああ、もちろん正妻というわけにはいきません。ですがわたしにも、それなりの甲斐性はあります。二番目、三番目の妻ならば、可能性はあります」


 ――レオンは、なんの話をしているんだろう。


 私は、ぼうっとして彼の話を聞いていた。

 そこでモップが突然吠え、レオンの足元をぐるぐる回る。


「わふ!」

「こらこら、モップさん。危ないわよ」


 抱き上げて眉間を撫でると、モップはまだ不満そうに唸っていた。毛に絡まった葉っぱを取ってやると、ようやく「わふん」と鳴く。

 私がほっとすると、レオンが辛そうな声を出す。


「とにかく、ここでの生活を後悔したら、連絡してください。あなたを、助けに来ます」


 そう言って、レオンは帰っていった。

 私はモップを抱いたまま、その後ろ姿を見守る。


「助けに来るなら、もっと早く来たらよかったのに」


 ぼそり、というと、腕の中のモップが私を見上げてきた。


「わふん……?」

「大丈夫よ、モップさん。私は充分幸せなの」


 そうつぶやいて、私はモップを強く抱いた。

 モップは大人しく抱かれていてくれて、やがて、私の顎をぺろりと舐めた。


◆


 さて、それからほどなく、私の夢のピザ窯は完成した。

 が、実際のピザ焼きはさっぱり上手くいかなかった。


「……上手くいきませんね」

「なんでだろうねえ」


 親身になってくれるようになったマルタと、試作のピザを囲む。

 シンプルなトマトソースのピザは、底が焦げているのに、上のほうは生焼け。焼き直したものは、今度は耳がパサパサになってしまった。

 私はそれをかじりながら、小冊子をめくる。


「窯の設計は完璧なはずなんですけど……。もう一度、生地のほうを改良してみます」

「別にこれだって、まあまあのパンにはなってるんだけどねえ」

「もう少し、頑張らせてください。私の夢見るピザは、もっとこう、幸せの形って感じなんです」


 マルタは深く頷いたものの、少し心配そうな顔をした。


「好きなだけおやり。でも、材料だなんだで、あんたの貯金もそろそろ……」

「大丈夫です。また稼げばいいので!」


 私はにぱっと笑い、マルタにおやすみなさいを言った。


 物置小屋でひとりになると、頭の隅にレオンの顔がちらついた。


 ――三番目の妻ならば。


 今思い出しても、悲しくなる言い分だ。

 でも、彼の三番目の妻になったら、庭でピザを焼かせてもらえるかもしれない。

 私は、そのピザで幸せになれるだろうか……?


「わふ」


 モップが私の膝に顎を載せてきた。私はその頭を撫でる。


「モップさんも心配してくれるの? 大丈夫、いつかきっと上手くいくわ」

「わふー……」

「……上手くいかなかったら、それはそれでいいじゃない? 三番目の妻っていう最終手段もあるし」

「うー! わふわふわふわふわふ!!」

「えっ、三番目は駄目? えっ、どこへ連れていくの、モップさん!」


 モップは私のスカートを咥え、庭の隅へと引っ張っていった。

 そこには、こんもりと土を盛り直した跡がある。

 モップは猛然と土を掘り返し、泥団子のようなものを私の前に転がした。


「これは……ええっ!? ものすごい高級キノコじゃない!」

「わふ!!」

「これ、どこで見つけたの? この森?」

「わふわふ!!」


 モップは得意げに走り回った。

 きっと、森で掘り起こしたキノコを、わざわざ庭に埋めておいてくれたのだろう。

 私は目の前がぱっと明るくなるのを感じた。


「すごい、お宝だわ! 絶対にこれをピザに載せたい……。ここから離れるなんてバカだわ、私。ここで、どうにかピザを完成させなきゃ!」

「よく言った!!」


 突然、ものすごい美声で怒鳴られる。

 私は目を丸くした。

 いつの間にか、目の前に灰色の髪を肩まで垂らした、とんでもなく美しい男性が立っている。髪と同じ灰色の毛皮をあしらったケープを羽織り、水色の目をきらきらと輝かせていた。


「おぬしの気持ちが固まるのを待っていた! ここに骨を埋める気ならば、わたしもおぬしを助けることができる。この森と、そういう契約をしてしまっているからな」

「え、あ、その……どなたですか?」


 どうにか尋ねると、灰色の美青年は髪をかき上げた。


「ああ? どう見てもモップだろうが」

「ど、どう見ても、高位の魔法使いさまに見えます!!」


 自称モップの美青年は、かすかに笑った。


「なるほど、魔法使いの出で立ちを知っているとは。おまえは元は王族に近しい者だったのだな。ならば知らせよう。わたしの名はセドリック・オルフェウス」

「セドリック・オルフェウスさま……! 世界三大賢者のひとり!」

「今はモップでいい。現世はこりごりだ。それより!」


「は、はい!」


 セドリックはずかずかと物置小屋を出て、ピザ窯に歩み寄った。


「おまえのピザとやらをとっとと食わせろ。なぜ窯ごときで手こずっておるのだ」

「申し訳ありません! 私が無知なばっかりに……」

「言い訳はいい、知識はわたしが補う。お前は自分の頭を使え」


 セドリックは言い、窯の前にしゃがみこんで内側を指で叩く。


「サリー、ひとつ訊く。窯のこの形状には、どのような意味がある?」


 ピザ窯のことなら、暗記するほど読んでいる。

 私はセドリックの隣に座り、はきはきと答えた。


「ピザ窯は、火で直接食べ物を焼くためだけのものではありません。石に熱を蓄えさせ、その熱で焼くんです。下からは窯の床が生地を焼き、上からは天井に蓄えられた熱が具材と生地の表面を焼く。さらに、窯の中を巡る熱い空気が全体を包む。それで短時間にパリッと焼けるんです!」

「なるほど。悪いところがわかったぞ。おまえの窯は、熱の釣り合いが悪い」

「熱の釣り合い……そんなことがわかるんですか?」


 驚く私に、セドリックはつんと顎を上げた。


「炎の精霊が見えるからな。おぬしの窯は床の一部ばかりが熱くなり、天井には十分な熱が蓄えられておらぬ。だから、場所によって焼け方が違うのだ」

「窯の作りの問題ですか」


 薄々わかっていたことだけれど、はっきり言われると悩ましい。

 床の石。丸く積み上げた天井。薪をくべる場所。煙の抜ける穴。

 窯の形を確かめながら、私は考えた。


「……窯の形を変えるしかないのかも。それか、薪を置く場所を工夫する? 火そのものを動かして、窯全体を熱くするとか……。うーん、どれも難しそうですね」

「そうだな」


 セドリックは隣で頷きながら、じっと待っていた。

 急かさず、私が考えるのを待ってくれている。

 それが嬉しくて、私はもう一度、窯を見上げた。

 どうすれば、熱を均一に広げられるだろう。


「……服を着せる?」

「なんだと?」

「窯に、ティーコージーみたいに服を着せるんです! 温まったところの熱を閉じ込めれば、足りないところにも熱が回るんじゃないですか?」

「なるほど、そういうことか」

「やってみる価値はありますかね?」

「やめた方がいい」


 きっぱり言われ、私はがくりとうなだれた。


「駄目ですか」

「この窯が一体何度になると思っておるのだ。服などすぐに焦げてしまう」

「ですよね。やっぱり、私には無謀だったかな」


 私は膝を抱え、深いため息をついた。

 せっかく作った窯が、いまいちなままになるかもしれない。

 みんなに、美味しいピザを食べさせられないかもしれない。

 その考えは、今の私にとってはかなりおそろしいものだった。


 この窯は、私ひとりで作ったものではない。

 ここで出会った大切な友人たちに手伝ってもらって、やっと完成したもの。

 ここでの新生活の象徴のようなものだったから。


「だが、考え方はよい」


 セドリックの言葉に、私はがばっと顔を上げた。


「本当ですか?」


 セドリックはすっくと立ち上がり、衣装のポケットから、親指の先ほどの赤い卵を取り出した。それを窯の中に入れ、外側に手を置く。

 水色の目がきらめき、灰色の髪が風もないのにふわりと揺れた。


「火の精霊よ。ここをおまえの住処と定める。火竜の山の溶岩のごとく、この窯の火がおまえの力だ。住まえ、抱えよ、太古に滅びし火竜の卵を孵せ」


 歌うような言葉とともに、窯の内側で炎がぶわりと揺れた。

 セドリックの入れた卵が燃え上がったように見え、数秒後、すっと消え去る。


「卵……消えた……?」

「精霊との契約がなされたのだ。これでよい」


 セドリックは何事もなかったかのように手を引いた。


「これで、この窯は火竜の住む山と同じものになった。炎の精霊はここに住まい、火竜の卵を孵すため、全体を一定の温度に保とうとするだろう」

「すごい……!」

「ただし、何もないところから炎は生まれん。おまえが薪をくべ、炎の精霊を喜ばせ続けねば、逆に災いになることも……」

「すごい、すごい、すごい!! ありがとう、モップさん!」


 私は感極まって叫び、セドリックに抱きついた。

 セドリックは目をまん丸にしたあと、決まり悪そうに顔をしかめた。


「まだ説明が終わっておらんが……まあ、いいか」

「あの! 早速ピザを焼いてみてもいいですか!?」


 彼の首にかじりついたまま尋ねると、セドリックはにやりと笑った。


「では、きちんと食べられるものを頼むぞ、サリー」


◆


 それからは、お祭りだった。


「すごい……こりゃ、一体なんなんだい!?」


 初めて完璧なシンプルピザを食べたマルタは、目を丸くして叫んだ。


「これが、ピザです!!」

「なるほど。もう一枚焼ける?」

「はい、すぐに!」


 私は夢中で二枚目を焼き、マルタはそれを半分自分で食べ、残りを宿の客に振る舞った。

 客たちも、すっかりピザに夢中になった。


「次は家族と一緒に来るよ! 夕食だけでもいいのかい?」

「ええと、それは……」

「いいよいいよ、ピザだけでも食べにおいで!」


 マルタの許可を得て、宿屋はたちまちピザを出す料理屋のようになった。


 やがて客が溢れてしまい、宿屋は新しい人を雇った。

 私はピザ専門となり、物置小屋を本格的なピザ工房に改装した。宿屋の看板の隣には『森のピザ屋』の看板が吊り下げられ、客席は工房の前から森の中へと広がっていった。


「サリー、これは使えないかい? 肉によく合う香草だよ!」

「いいですね、やってみます!」

「こっちも載せてくれよ。鹿のソーセージだ!」

「美味しそう……! この香草と一緒に載せたらいいかもしれません!」


 私は夜なべして、新しいピザを考えた。

 ピザの小冊子には、私が描いた新しいピザの絵が次々と挟まれていく。工房には香草の束が干され、いつもいい匂いが漂っていた。


 焼きたてのピザは、とにかく美味しい。

 パリッとした生地から小麦の香りが広がり、たっぷり載せた熱々のチーズが、気持ちよく伸びていく。


 私の店の名物ピザには、『森の散歩』という名前をつけた。

 モップの見つけた高級キノコと、そこまで高級ではないけれど味の濃いキノコ。そこに、爽やかな香りの香草をたっぷり載せる。

 ひと口食べれば、朝の森を散歩しているような気持ちになる。

 つまり、とっても幸せな味だ。


 そして、数ヶ月ののち。


「いらっしゃい、ようこそ森のピザ工房へ! ……って、あら」


 木製の大皿に載せたピザを持って小屋を出ると、見知った顔があった。

 なんとも言えない顔をしたレオンと、連れの騎士たちだ。

 彼らは、森の中にまで広がった客席と、賑わうピザ屋を呆然と見渡している。

 私が何か言おうとしたところに、お客から声がかかる。


「サリー、こっちこっち!」

「あっ、すみません。さあ、召し上がれ。実りの森のピザ、キノコマシマシです」

「うおお、美味そうっ!」


 お客の前にピザを置き、私はレオンに向き直った。

 レオンは少し躊躇ってから、やっと切り出す。


「元気そうで、何よりだ。その……同僚がここのピザ屋の評判を聞きつけて、どうしても食べてみたいと言うので来たんだが」

「そうだったんですね。あいにく満席なんですが、少し待っていただけます?」

「ああ。その。ロザリー」

「今は、サリーです」

「サリーか。きみは、なんというか……きれいになったな」

「はい?」


 私は思わず首を傾げた。

 私が綺麗になったわけがない。

 日にも焼けたし、筋肉もついた。手は荒れているし、お化粧だってほとんどしていない。

 今の私は、宮廷ではきっと笑いものだと思う。

 レオンの言葉は、きっとお世辞だ。

 でも、私はそれでいい。


 私はにこっと笑った。


「そんなことを言っても、順番は順番ですから。待っていてくださいね」

「いや、違う、お世辞じゃないんだ。ロザリー、わたしは――」


 レオンが追いすがろうとしたところへ、横からすっとセドリックが割り込んだ。

 そして、手にしていたピザの一切れを、レオンの口に突っ込んだ。


「うちの店主につきまとうなど、このセドリック・オルフェウスが許さんぞ。腹が減っておるなら、わたしのおやつを分けてやる。それでも食って待っていろ」

「むぐぐ、もぐ、もぐ……わたしは、腹が減っているわけでは……いや、美味い……うまっ、なんだこれ、美味いっ……!!」


 レオンは反論しようとしたものの、結局ピザの美味しさに負けた。

 周囲の騎士たちも、うらやましそうに彼を見ている。

 セドリックは、ふん、と鼻を鳴らして私の肩を抱いた。


「彼女のピザはこの世で一番の美食だ。いずれ世界も征服することができよう。貴様らのような凡人は、その美味さにひれ伏していればよいのだ」

「モップさん、言い過ぎですよ。お昼ご飯の時間が終わったら、甘いピザを焼いてあげますから、お客さんにもうちょっと優しくしてください」

「ちっ、仕方がない。……ところでサリー、甘いピザには何が載るのだ?」

「顔が近いです! 何を載せようかな~。モップさんがいい子でいたら、とびっきりのドライフルーツを載せるかも!」

「わたしはいつでもいい子だろうが!」


 言い合っていると、周囲がどっと笑った。

 レオンはそんな私たちを、しばらくぼうっと見ていた。

 やがて席が空くと、彼は素直に腰を下ろし、ピザを注文する。

 私は彼の前にも、焼きたてのピザを置いた。

 騎士たちはすぐにピザを食べ始めたが、レオンは私を見上げ、何か言いたそうな顔をしている。

 けれど私はもう、彼が何を言おうとしているのかを確かめる必要はなかった。


 私はただ、笑って言う。


「どうぞ召し上がれ。これが、私の幸せです」 

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― 新着の感想 ―
んん? レオンがエドワードにロザリーの悪い噂吹き込んで別れさせた後、ヒーローよろしく自分で救いに行って「第3夫人でもいいわ♡」とさせようとしたのか?? だいたい、侯爵令嬢なら親はどうした?? 娘のこと…
ローマは一日にして成らず。ピザも一日にしては成りませんね。 ロザリーがピザを完成させるために工夫を重ねる様子がとても健気でした。 彼女が完成させたピザ、とても美味しそうですね。
これでは物足りないです。もっと読みたいので続編を希望します。 面白いお話ありがとうございました。
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