第3話(前編)、見覚えのある人
星瀬水綾が通信で言っていた通り、政府軍の増援は妙に少なかった。
だが、星瀬たちが住民の避難誘導に成功したからだろうか。道中では思っていたほど多くの死傷者を見かけなかった。
レイン、言述、玥夜はさらに数十人の盗を倒し、ようやく慰霊碑の近くへ辿り着く。
碑前広場の状況は既に制圧されていた。
広場では数名の軍人が巡回しており、盗団の連中は全員気絶させられ、縛り上げられた状態で一か所へまとめられている。回収待ちなのだろう。
ただ、一つだけ違和感があった。
誰一人として仮面をつけていない。
「六区の盗団は?」
レインは思わず疑問を口にした。
ここへ来る途中、何度か視線を感じた。
こちらを観察しているような気配。
だが、目で探しても、虚実で感知しても、その覗き見している相手を捉えられない。
「確かに!」
玥夜も言われて気付いたように声を上げる。
二人の俠は立場上いろいろ危ういため、広場へ軽々しく近付かなかった。
代わりにレインだけが平然を装い、巡回中の政府軍へ歩み寄る。
身分証を提示し、事情を聞こうとした──その時だった。
盗団員を拘束していたロープが切れた。
レインと数名の軍人が反射的に振り返る。
幸い、縛られていた盗たちはまだ目を覚ましていない。
だが、ロープが人為的に切断されたことだけは間違いなかった。
何もない空間から、一人のフード付きマント姿の仮面の人物が姿を現す。
その手には異様なほど鋭いバタフライナイフ。
──六区盗団!
レインの隣にいた同僚が即座に銃を抜き──
そして、もう一度同じ動作を繰り返した。
「……え?」
本人も困惑している。
六区の盗も、自分が見つかったことへ驚いたのか、慌てて広場の反対側へ逃げ出した。
銃を持った同僚は混乱しながらも、すぐ銃口をそちらへ向ける。
同時に、別の軍人が新しい拘束ロープを取り出し、盗たちを縛り直そうとした。
事故は、一瞬だった。
銃声。
次の瞬間。
ロープを持っていた軍人が激しく咳き込み、胸に大穴が開く。
鮮血が溢れ出した。
「何をしてる!?」
広場の各所で巡回していた軍人たちが、信じられないものを見るような顔で駆け寄る。
だが撃った本人は、青ざめたまま首を横に振る。
「違う……俺じゃ……!」
誰よりも本人が、自分の行動へ驚いていた。
そして異常は、まだ終わらない。
四方から駆け寄った軍人たちは、なぜか止まれなかった。
全員が勢いのまま激突し合い、額を切り、血を流す。
「止まって! もう動かないで!」
巻き込まれなかったレインには見えていた。
これは事故なんかじゃない。
「異能攻撃よ!」
観察が正しければ。
ここにいる全員は、何か行動しようと思った瞬間、直前の動作を繰り返してしまう。
逆に静止していれば発動しない。
条件に一致する異能は一つだけだった。
おそらく『虚』による妨害。
異能波動は感じられない。
だが、視線だけは感じた。
それを頼りに、レインは一瞬だけ人影を捉える。
直接見返したら、おそらく消える。
そう判断し、視線だけで広場の外へ合図を送った。
視線を受け取った言述は、一瞬で意味を理解した。
なぜ会ったばかりの政府軍が自分を信用したのか。
なぜ自分が無意識にそれへ応えたのか。
理由は分からない。
だが、身体は勝手に動いていた。
彼は周囲の不審人物を探し始める。
しばらくして。
林の方へ歩き出した。
そこには、不自然なほど場違いな茶髪の青年が立っていた。
「すみません」
先に声を掛けたのは言述だった。
青年が振り返る。
「ここ危ないですよ。さっきまで政府軍が避難誘導してましたし、一緒に移動しません?」
言述はさりげなくレイン側を確認する。
そして予想通り。
青年が視線を外した瞬間、広場の異常現象は消えた。
「僕なら大丈夫です。異能で身を守れますから」
青年は事情を理解していないような顔で、礼儀正しく笑う。
「ご心配ありがとうございます」
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ!」
玥夜も前へ出た。
「ここ超危険なんだけど!? 盗団が急にミサイル撃ってくるかもしれないじゃん!」
「いや、それはないでしょ」
青年は肩をすくめる。
「公園中に盗がいるのに、自分たち巻き込んでどうするんですか」
そして興味深そうに言述へ目を向けた。
「お二人、僕と同じくらい余裕そうですけど。あっちは手伝わなくていいんですか?」
「いやあ、俺たち一般市民なんで」
話題を逸らされたと気付いた言述は、困ったように笑う。
もちろん大嘘だ。
「避難組とはぐれちゃって。どこが安全か分からないんですよ」
「ずっとここにいたみたいだし、もしかしてあなたも迷子ですか?」
「いえ」
青年は即答した。
「探し物です」
答えは簡潔。
だが内容は曖昧すぎた。
「そうだ、お二人は……何て呼べば?」
「私は黎昀琉です」
玥夜が余計なことを言う前に、言述が真顔で嘘を吐く。
「あなたは?」
「うーん」
青年は少し考えてから笑った。
「辜瑋謙って呼んでください」
主異能によって強化された聴覚は鋭すぎた。
二人の会話は、一言残らずレインの耳へ届いている。
期待通りだ。
言述は得意の話術と特殊異能者相手の適当な会話で、しっかり時間を稼いでくれていた。
レインは慰霊碑へ近付く。
微かな異能反応を辿りながら、碑の表面へ付着した土に気付いた。
……また『沼地』。
異能範囲が広すぎる。
公園全体に痕跡が残っている。
虚実ですら、その存在感を完全には隠しきれていない。
まるで公園全体を掘り返したかのようだった。
盗団は何を探している?
レインは碑を見上げる。
そして。
瞳孔が縮んだ。
突然。
上から圧力が落ちてきた。
鋭い刃が視線ごと身体を貫くような感覚。
理由もない恐怖が心の底から湧き上がる。
動けない。
だが思考は正常だった。
意識もはっきりしている。
精神攻撃ではない。
ただ純粋に。
身体だけが動かない。
碑の先端には何もない。
──本当に?
どれほど停止していたのか分からない。
次の瞬間。
レインは身体の自由を取り戻した。
迷わず胸ポケットからペンを抜き、全力で投げる。
キィン!
突如空中へ現れたナイフが、それを弾いた。
翻るマントの裾。
そこには。
方尖碑の上へ立つ、一人の仮面の人物がいた。
レインは即座に二本目を抜く。
しかし。
白い仮面の奥。
その瞳と目が合った瞬間。
身体の主導権が再び奪われた。
異能だ。
間違いない。
なのに異能波動がない。
完全に隠せる能力者は一種類だけ。
虚実。
二つに分かれた半身同士が、無言で視線をぶつけ合っていた。
そしてその光景を。
別ルートから広場へ到着した楊靖銨とりゅうちゃんは目撃した。
「レイン!?」
「待って、近付かないで!」
異変に気付いた楊靖銨は反射的に駆け出そうとする。
だが、りゅうちゃんがその腕を強く引いて制止した。
その瞬間だった。
不意に周囲の光が陰る。
二人が反射的に空を見上げると、白いUFOが頭上を横切っていた。
近道をしてきた二人の真上を通過し、そのまま慰霊碑の方角へ真っ直ぐ飛んでいく。
だが、今のレインにはそんな異様な光景へ気を向ける余裕などなかった。
仮面の奥にある瞳。
ただその目から視線を逸らせない。
身体も動かない。
そして──
唐突に。
掠れた声が、静かに耳元へ届いた。
「俺は美しい軌跡を探したい。けど記憶はもう曖昧だ」
「前へ進まなきゃならない。止まれない、止まりたくない」
煙に掠れたような声。
朗読するかのような口調で、鋭い眼差しの主は突然、場違いな言葉を口にした。
レインは一瞬、目を見開く。
……聞いたことがある。
いや、違う。
これは『言葉』じゃない。
これは──
記憶の断片が繋がった、その瞬間。
仮面の奥の瞳が、ふっと視線を逸らした。
レインは身体の自由を取り戻す。
躊躇なく手に持ったペンを空へ投げ放つ。
だが今度は。
マントの端すら掠めなかった。
「団長、撤退です!」
UFOの高度が少し下がる。
下部に開いた入口から、風に流された声が届いた。
仮面の人物は振り返る。
そして。
瞬きをするほどの時間で、その姿は完全に消え失せた。
影すら残さず。
まるで最初から存在していなかったかのように。
直後。
空から雷が落ちる。
透明化していたUFOの位置へ真っ直ぐ叩き込まれた一撃。
だが、僅かに遅かった。
轟音だけを残して空を裂く。
レインはその場へ力なく座り込んだ。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
さっきの雷から感じた、どこか覚えのある力の気配さえ、今は気にならない。
全部理解したと思っていた。
過去を捨てさせられたこと。
嘘だらけの身分を背負い、殺人から逃げ続けること。
誰にも認識されない顔。
昔の知り合いが誰一人、自分に気付かないこと。
ああ、そういうものなんだと。
全部受け入れたつもりだった。
これ以上酷くなることなんてないと思っていた。
けれど。
全然違った。
そんなものは。
まだ、ほんの一万分の一にも届いていなかった。




