【1-1】人は狂わなければ生きる意味などない
どうも。こちらも頑張っていきますので、どうか末永く見守ってくれると嬉しいです。よろしくお願いします
「私はね、何かに狂ってないと人は生きてる意味はないと思ってるんだ」
透き通るような優しい声でそう言われ、隣に座っていた少年は身体を震わせた。
この場所はスラム街だ。普通なら入らない。薄暗く、錆びた鉄の刺激臭が辺りに漂っている。呼吸するだけで埃が肺に入ってくるし、できるならこの場所からは離れたい。
だが──少年はその場所から一向に動こうとしない。もはや動けないと言っても過言ではなかった。その理由は隣で座っている少女にある。
人々に安らぎを与えるほどに美しい桃色の髪の毛。どんな色を混ぜ合わせても同じ色は作れないであろう幻想的な碧の瞳。化粧などしてないはずなのに艶のある肌と唇。長いまつ毛でまばたきをする度に少年は心を揺らした。
「安定のある世界なんてつまらない。完璧な世界なんて面白みが無い。いつ死ぬか、いつ生き残るのか。いつお金が無くなって、いつお金が増えるのか。そんなギリギリで私は生きていきたいの」
少女の吐息に合わせて少年の鼓動は強くなる。
「ねぇ、君はどう? 安定のまま生きたい? それとも生きるか死ぬかの瀬戸際にいたい?」
「ぼ、僕、は──」
「──坊や!」
少年の言葉を遮るように女性が近寄ってきた。おそらく少年の母親だろう。母親は少年を抱き上げる。
「こんな汚らわしい場所に来ちゃダメって言ったでしょ! スラム街の人間はみんな低俗で汚く……て……」
叫ぶように出していた言葉は少女に目を向けると同時に鳴りを潜めた。母親は唖然としたような、それでいて見惚れたような目を向けている。
「……? 続けて?」
「い、いや、あの……子供を……助けていただき、ありがとうございます……」
「……」
少女の美貌からか。それともカリスマからか。その身なりからは確実にスラムの人間だと予想できるはずが、母親は無意識のうちに感謝の言葉を表していた。
人からの感謝を受ければ誰だって気持ちがいいはず──だが、少女は一気に不満そうな顔へ変貌した。
「……つまらない。今のは殴ったり突き飛ばそうとしたりするとこ」
「へ?」
「私がスラムの人間なのは分かるでしょ。自分の愛する子供がスラムの人間と関わってるなんて親なら憤怒するとこ。なら私を子供から助けるために突き飛ばすなり、殴るなりするべき。貴女は面白くない」
見せつけるようなため息を出して少女は背を向けた。
「ま、待って……! 名前、名前だけでも教えて……!」
もう二度と会えない。そんな予感がした少年は、本能的にこの思い出を永遠に忘れない為に。少女に名前を聞いた。
少女は少しだけ悩む素振りを見せ──また前へ歩き出しながら答える。
「──シャーロット。シャーロット・アクレミス」
* * *
少女──シャーロットは、腐りかけの木造の机の上にお金を置いた。
「二千円も勝った。ルゥお爺ちゃん、褒めて」
机を挟んで座っているお爺さんのルゥに頭を突き出すシャーロット。ルゥは息を漏らしながらシャーロットの頭を乱雑に撫でた。
この二千円は行き場のないホームレスにとっては大金も大金。これだけでも一ヶ月は過ごせる金額だが、シャーロットはこのお金をあろうことかギャンブルに使ったのだ。
「お前……また賭博行ったな」
「ドーミラのとこの闘技場で稼いできた。昨日は四千円負けたから、明日二千円勝てばチャラ」
「勝つ保証ないだろ。しかもドーミラといえば悪辣なギャングとして有名だし……」
「──言っても聞かねぇんだもんなぁ姫ちゃんは!」
机から離れた焚き火の周りには、みすぼらしい格好をした男たちが座っていた。格好はシャーロットと同じくボロボロ。しかしシャーロットとは違って顔は良くない。まさに浮浪者と言ったところか。
「俺たちが何回叱っても賭博場行くからなぁ。もう根っこに染み付いちまってんだろ」
「ははは! ま、姫ちゃんならギャングくらい返り討ちにできるしな! 自由にするがいいさ!」
「だいたい、お前らがこの子を賭博場に連れてったからこんなになってんだろ!? だから俺はやめとけって言ったんだよ! 五歳の子供が行っていい場所じゃねぇもん!」
仲睦まじく喧嘩をするホームレスたち。シャーロットは気品のあるような笑いを見せる。
「今日は豪華にディナーしよ。パン屋のおば様がパンの耳とコーンスープくれた」
「……俺らが行ったら門前払いどころか、ごみ捨て場にすら近寄らせてくれねぇのにな」
「姫ちゃん様々だな、がはは!」
ルゥはホームレスたちにパンの耳とお椀に入れた冷めたコーンスープを渡すシャーロットを見ている。その目にはスラムにいるとは思えない生気があった。原因は十中八九シャーロットだ。
シャーロットがいるだけでこの場所は笑顔に包まれる。可愛さは当たり前だが、シャーロットには見て分かるだけのカリスマがあった。
──それこそ、自分たちの傍に居させてはいけないと。もったいないと思うほどに。
ルゥは配り終わって戻ってきたシャーロットの前にお金の束を置いた。
「……ギャンブル資金?」
「なわけあるか。……ちょっと柄にもなく真面目な話をするから聞いてくれ」
ルゥは椅子を寄せ、改めてシャーロットと目を合わせる。
「お前はこんな場所にいちゃいけない人間だ。もっとこう……いいところに行くべきなんだ」
「なんで? 私の居場所はここ」
「違う! お前は普通に暮らせ! 俺たちみたいな人間とは一緒にいちゃいけない人間なんだ」
怒鳴り声はスラム街に響き渡ったがシャーロットは一切ひるまない。
「私の父親は全員この場所にいる。家族が一緒にいちゃいけない理由はない」
「っ……!」
嬉しい。本当は嬉しいと叫びたい。シャーロットを抱きしめてあげたい。だがルゥは必死にそれを堪え、呼吸を整える。
「……それでも。お前はもっといい所へ行くべきなんだ」
ルゥはひとつの紙をシャーロットに差し出した。そこに書かれてあったのは──『グリモワール学園入学手続き』と書かれたもの。
グリモワール学園は世界でも有数の魔法学園。魔法を極めんとする若人が切磋琢磨する魔境とも言われる場所だ。
「お前はここに行ってくれ。お金は俺たちがなけなしの財産を全部ブッパした。卒業すれば、安定した職業につける。普通に暮らせるんだ」
「興味ない。それにルゥお爺ちゃんは知ってるでしょ。私が『安定』とか『完璧』とかの言葉が嫌いなこと。私は狂気が好きなの。安定や完璧という言葉はその狂気を塗りつぶす不純物でしかない」
分からず屋というか、頑固というか。一体誰に似たのかとルゥは考えてしまう。シャーロットの意思は固い。このシャーロットの心を動かすのはそう簡単なことじゃない──。
──そう思っていた時、ルゥの後ろから男が現れた。
「お前はほんっとに姫ちゃんの扱い方が下手だなぁ。だから老年期に入っても女の一つもいないんだぞ」
「うるせぇよ。関係ないだろ」
「いつの間にいたのヤドウお爺ちゃん」
「──なぁ、姫ちゃん。姫ちゃんは狂気が好きなんだろ?」
ルゥを押しのけるように隣へ。表情を変えないシャーロットに顔を近づける。
「ここはな。魔境とも呼ばれるほど競争率が高い学園なんだ。一位になっても、いつ引きずり下ろされるか分からない。油断をすれば格下にも刃を刺される。そんな場所だ」
「……ほんと?」
「あぁ。特にスラム育ちの姫ちゃんならかなり下からのスタートになるだろうなぁ。──姫ちゃんは本望だろ?」
──あれだけ変わらなかったシャーロットの表情に明かりが灯された。瞳はキラキラと光を帯び、身を乗り出すその姿は年相応の少女のように見える。
「蹴って、蹴られて、引きずり落とす。それがまかり通る場所。グリモワール学園はまさに姫ちゃんの言う狂気の世界なんだよ」
「魔境……狂気……!」
シャーロットは入学手続きの書類を握りしめて高らかに天へ突き掲げる。
「私入る。グリモワール学園に行く」
「それでこそ俺たちの娘! よくぞ言ってくれた! 期待してるぞ?」
ヤドウはシャーロットの頭を撫でながらルゥにウィンク。舌打ちをして流れてきたイメージのハートを手で払いながら、楽しそうに笑うシャーロットに微笑みを浮かべるのだった。




