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社長命令で隠し子のフリをしていた地味な経理OL、クールなはずの御曹司にいつの間にか溺愛されて、極上のシンデレラになってしまいました。  作者: 水凪しおん


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第8章:雨の夜の告白

 探偵の影に怯える日々は、紬の精神を静かに、しかし確実に蝕んでいった。夜も熟睡できず、些細な物音にもビクッと肩を揺らす。蓮や高遠の前では平静を装っていたが、一人になると、言いようのないプレッシャーに押しつぶされそうだった。

 そんなある日の夜、紬は会社の重要な機密データが入ったUSBメモリを、自宅で作業するために持ち帰ることになった。細心の注意を払ってカバンにしまい、いつもより少し早い時間に会社を出る。

 しかし、運悪く、駅に着いた途端、空がにわかにかき曇り、バケツをひっくり返したような激しい雷雨に見舞われた。傘を持っておらず、駅の軒下で雨が弱まるのを待つしかない。ゴロゴロと不気味な地響きが、不安をさらに掻き立てる。

 少し小降りになったのを見計らい、紬はマンションまでの道を走り出した。その時だった。背後から近づいてきたバイクが、すれ違いざまに、紬が肩にかけていたカバンを強引にひったくったのだ。

「あっ!」

 あまりに一瞬の出来事に、声も出なかった。バランスを崩して、水たまりの中に派手に尻もちをつく。バイクは、あっという間に闇の中へと消えていった。

 カバンの中には、財布も、家の鍵も、そして、あのUSBメモリも入っている。

 会社の、機密データが――。

 その事実が、紬の頭をハンマーで殴りつけた。全身の血が、急速に引いていくのを感じる。どうしよう。どうしよう。どうしよう。頭の中に、その言葉だけが、壊れたレコードのようにぐるぐると回り続ける。

 雨は、再び勢いを増し、容赦なく紬の体を打ち付けた。冷たい雨粒が、まるで非難の言葉のように感じられる。びしょ濡れのまま、道端に座り込む。頭に浮かぶのは、蓮の失望しきった顔だった。彼を裏切ってしまった。彼の信頼を、全て台無しにしてしまった。

 もう、ここにはいられない。彼の隣にいる資格なんて、私にはない。

 絶望が、冷たい泥のように心に溜まっていく。涙さえ、出てこなかった。ただ、呆然と、降りしきる雨を見上げることしかできない。

 その時だった。強いヘッドライトが、闇を切り裂いてこちらに近づいてくる。そして、一台の黒塗りの高級車が、紬の目の前で急ブレーキをかけて停まった。

 運転席のドアが乱暴に開けられ、降りてきた人影を見て、紬は息を呑んだ。

 傘もささず、高価なスーツが濡れるのも構わずに、ずぶ濡れになって立っていたのは、一条蓮だった。彼の顔は、見たこともないほど必死な形相をしていた。

「なぜ、すぐに連絡しなかった!」

 彼の怒声が、激しい雨音を突き抜けて響き渡る。その声には、怒りと同じくらい、深い心配の色が滲んでいた。彼は、帰りが遅いのを心配して、秘書に持たせていた緊急用のGPSで、紬の場所を確認したのだ。

 有無を言わさず車に乗せられ、マンションに連れ帰られる。震える紬を見て、蓮は何も言わず、すぐにバスルームにお湯を張り、暖かい着替えを用意してくれた。その手つきは、不器用だったが、驚くほど優しかった。

 暖かいシャワーを浴び、彼の大きすぎるバスローブに身を包んでリビングに戻ると、蓮が暖かいココアを差し出してくれた。

 その優しさに触れた瞬間、張り詰めていたものが、ぷつりと切れた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 紬の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。止まらない。しゃくりあげながら、彼女は全てを打ち明けた。探偵に嗅ぎ回られていたこと。怖かったこと。彼に迷惑をかけたくなくて、一人で抱え込んでいたこと。そして、大事なデータを失ってしまったこと。

「私、もう、あなたの隣にいられません……!」

 涙ながらに訴える紬を、蓮はただ黙って見ていた。そして、ゆっくりと彼女の隣に座ると、その震える体を、力強く、しかし優しく抱きしめた。

 驚いて身を固くする紬の耳元で、彼は低い声で囁いた。

「君を、一人にはしない」

 雨音が、全ての音を消していく。彼の腕の中は、不思議なほどに安心できた。契約とか、偽りの親子とか、そんなものは全て消え去って、ただ、一人の男性が一人の女性を守ろうとしている。その事実だけが、そこにはあった。

「よく、今まで一人で耐えたな。辛かっただろう」

 彼の声が、雨音に紛れて、紬の心に深く、深く染み込んでいった。この人の腕の中でなら、自分は大丈夫かもしれない。そう、心から思えた。この夜、二人の間にあった見えない壁は、激しい雨音と共に、跡形もなく崩れ去っていった。

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