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社長命令で隠し子のフリをしていた地味な経理OL、クールなはずの御曹司にいつの間にか溺愛されて、極上のシンデレラになってしまいました。  作者: 水凪しおん


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第4章:ひとつ屋根の下の他人

「隠し子としてのリアリティを追求するため、本日より君は私のマンションで暮らしてもらう」

 パーティーの翌日、出社した紬に、蓮は当然のようにそう告げた。あまりに突飛な提案に、紬の思考はまたしても停止する。同居!? この社長と!?

「ですが、それは契約にありませんでした!」

「状況が変わった。昨日のパーティーで、黒田はこちらを徹底的にマークし始めたはずだ。別々に暮らしていては、すぐに嘘だと見抜かれる可能性がある。これも業務の一環だ」

 彼の言うことは、正論だった。正論なのだが、感情が全くついていかない。しかし、これは業務命令。紬に拒否権はなかった。

 その日の夜、最低限の荷物だけを持った紬は、タクシーで蓮が住むというタワーマンションに向かった。都心の一等地に聳え立つその建物は、下から見上げるだけで首が痛くなるほどの摩天楼だった。コンシェルジュがいるエントランスを抜け、専用のエレベーターで最上階へ。重厚な扉の先に広がっていたのは、庶民である紬の想像を絶する世界だった。

 リビングだけで、自分のアパートが丸ごと三つは入ってしまいそうな広さ。床から天井まで続く窓からは、宝石をちりばめたような東京の夜景が一望できた。高級ブランドの、しかし嫌味のない洗練された家具。どこまでも続く白い廊下。まるで、高級ホテルのスイートルームのようだった。

「君の部屋は、あちらの突き当りだ。ウォークインクローゼットもバスルームも付いている。必要なものがあれば、高遠に言えばすぐに用意させる」

 案内された部屋は、紬が今まで住んでいたワンルームよりも遥かに広く、豪華だった。しかし、そんな贅沢な空間に一人放り込まれても、全く落ち着かない。

「同居する上でのルールを説明しておく。まず、俺の書斎には許可なく入らないこと。それから、家事については専門の代行業者が全て行うから、君は何もしなくていい。そして、会社ではこれまで通り、あくまで上司と部下として接すること。いいな?」

「……はい」

 蓮が引いた、明確な境界線。私たちは、同居人であっても、家族でも友人でもない。ただの契約で結ばれた、ひとつ屋根の下の他人なのだ。

 そうして始まった同居生活は、紬が想像していた以上に、気まずく、そして孤独なものだった。

 蓮は、社長としての激務で、帰りはいつも深夜だった。朝、紬が起きる頃には、彼は既に出社しているか、ジムでトレーニングをしている。夜も、紬が寝静まった頃に帰ってくるのが常で、顔を合わせることすら滅多になかった。

 まるで、だだっ広い宇宙ステーションに、一人取り残されたような気分だった。家事代行サービスが完璧に整えられたリビングで、紬は一人、近所のコンビニで買ってきたパスタを食べる。窓の外のきらびやかな夜景が、自分の孤独を際立たせるようで、見ていられなかった。

 こんな生活が、いつまで続くのだろう。本当に、自分は正しい選択をしたのだろうか。高額な報酬と引き換えに、紬は温かい日常を失ってしまったような気がした。契約を後悔する気持ちが、日に日に大きくなっていく。

 そんなある日の深夜。喉が渇いて目を覚ました紬が、キッチンで水を飲んでいると、玄関のドアが開く音がした。珍しく早い蓮の帰宅だった。

 リビングに戻ると、彼はソファにスーツの上着を放り出し、ネクタイを緩めながら深いため息をついていた。その姿は、いつもの完璧でクールな一条蓮ではなく、ただ仕事に疲れ果てた一人の男だった。

「……おかえりなさい」

 紬が声をかけると、蓮は驚いたように顔を上げた。

「起きていたのか」

「はい、たまたま」

 彼はそれ以上何も言わず、ソファに深く体を沈めると、目を閉じてしまった。その横顔には、普段は決して見せない疲労と、そして深い孤独の色が滲んでいた。いつも大勢の部下や役員に囲まれて、きっと息の詰まるような毎日を送っているのだろう。この広い家に帰ってきても、彼を迎える人間は誰もいない。

 その姿を見ていたら、紬はたまらない気持ちになった。彼女は、何か自分にできることはないかと考え、そして、ふと思いついてキッチンに立った。冷蔵庫にあった卵と野菜を使って、簡単な中華スープを作る。ダシの優しい香りが、静かなリビングに広がった。

「あの、もしよかったら……。温かいものですけど」

 お盆に乗せたスープを、彼の前にそっと差し出す。蓮は、ゆっくりと目を開けると、驚いたようにスープと紬の顔を交互に見た。

「……君が、作ったのか?」

「はい。お口に合うか分かりませんけど…」

 蓮は何も言わず、スプーンを手に取ると、一口、また一口と、静かにスープを飲み始めた。その間、リビングにはスプーンと器が触れ合う音だけが響いていた。

 やがて、器が空になると、彼はそれをテーブルに置き、ぽつりと呟いた。

「……悪くない」

 それは、感謝の言葉と呼ぶにはあまりに不器用で、ぶっきらぼうだった。けれど、その短い一言が、ささくれ立っていた紬の心を、ふわりと優しく包み込むような気がした。

 偽りの親子関係の中で生まれた、初めての温かい交流。この出来事をきっかけに、冷たく気まずいだけだった二人の関係が、ほんの少しだけ、変わる兆しを見せた夜だった。

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