エピローグ:一条夫妻の新しい日常
結婚から、一年後。
『Claire』の社長夫人となった紬は、経理部を円満に退職し、蓮を公私にわたって支える傍ら、かねてからの夢であった、恵まれない子供たちのための服飾支援を行う、小さなチャリティ団体の設立準備に、生き生きと奔走していた。
蓮は、若きカリスマ社長として、会社を順調に成長させ、かつては敵対していた父、正臣会長とも、今では、本当の親子のように、良好で、温かい関係を築いている。
二人が住む、あのタワーマンションのリビングには、今も、お揃いのハリネズミのマグカップが、仲良く並べられている。そして、ソファの上には、あの休日に二人で協力して勝ち取った、少しだけくたびれたクマのぬいぐるみが、幸せそうな二人を見守るように、ちょこんと座っていた。
ある日の夜。団体の設立準備で、少し疲れた様子の紬が、ソファで資料を読んでいると、帰宅した蓮が、後ろから、その体を優しく抱きしめた。
「ただいま。無理はするなよ」
「おかえりなさい。大丈夫ですよ。だって、すごく楽しいんだもの」
そんな、穏やかで、ありふれた、しかし、最高に幸せな会話を交わした後、紬は、ふと、何かを決意したように、蓮の方へと向き直った。その瞳は、少し恥ずかしそうで、でも、確かな喜びと、強い意志の光を宿していた。
「あのね、蓮さん…」
「ん?」
「私たち……もうすぐ、偽りなんかじゃなくて……」
紬は、蓮の手を取ると、そっと、自分のお腹へと、導いた。
「本物の、『お父さん』と『お母さん』に、なるみたい」
その言葉の意味を理解した瞬間、蓮は、驚きと、そして、これ以上ないほどの喜びに、大きく目を見開いた。彼は、言葉を失ったまま、紬を、壊れ物を扱うかのように、大切に、大切に抱きしめ、そして、彼女がお腹へと導いてくれた自分の手に、そっと、自分のもう片方の手を重ねた。
まだ、何も感じない、その場所。そこに、自分と、愛する紬との間に生まれた、新しい命が宿っている。
偽りの親子を演じることから始まった、二人の物語。
それは今、本当の家族の物語となって、この先、未来永劫、続いていく。
「……ありがとう、紬」
蓮の目から、一筋の涙が、静かに流れ落ちた。
「世界一の、宝物だ」
彼は、愛する妻と、まだ見ぬ我が子を、力の限り、優しく、抱きしめた。
二人の幸せな物語は、まだ、始まったばかりだ。




