第18章:会長の軟化と未来への扉
蓮の、家や地位を捨てることも厭わないという強い意志と、会社での誠実かつ大胆な働きぶりは、少しずつではあるが、頑なだった正臣会長の心を、確実に変え始めていた。息子が、自分の殻を破り、一人の人間として、大きく成長していることを、認めざるを得なかったのだ。
そんな折、『Claire』は、新たな経営危機に直面する。長年のライバルであった大手アパレル企業が、画期的な新素材を使った機能性商品を大々的に発表し、市場のシェアを、一気に奪い始めたのだ。
突然の危機に、役員たちは右往左往するばかりだった。しかし、蓮は、少しも動じなかった。彼は、冷静に状況を分析すると、守りに入るのではなく、逆に攻めに転じるという、大胆な反撃プランを打ち出す。それは、『Claire』が持つ伝統的なデザイン性とブランド力を、最新のIT技術と融合させた、新しい顧客体験を提供するという、革新的なプロジェクトだった。
そして、そのプロジェクトの根幹には、一見、地味ではあるが、非常に重要な要素が含まれていた。それは、紬が、経理部としての視点から提案した、徹底的なサプライチェーンの見直しと、無駄を排除した、地道だが堅実なコスト改革案だった。その改革案によって生み出された余剰資金が、蓮の大胆なプロジェクトの、大きな原動力となったのだ。
プロジェクトの最終承認を決める役員会議の場。オブザーバーとして、正臣会長も参加していた。
会議の場で、蓮は、プロジェクトの成功を確信し、力強くプレゼンを進めた。そして、最後に、彼はこう付け加えた。
「そして、このプロジェクトが実現可能となった背景には、財務体質を劇的に改善させた、ある提案がありました。この素晴らしい改革案を考えてくれたのは、ここにいる、白石君です」
蓮が、誇らしげに紬の功績を称えた時、会議室にいた全員が、紬に注目した。そして、その中には、正臣会長の、鋭い視線も含まれていた。
彼は、その時、初めて、白石紬という女性を、ただの「家柄の悪い、息子を誑かした娘」ではなく、息子の隣に立ち、彼を公私共に支える、有能で、聡明なパートナーとして、認識したのだった。蓮と紬が、仕事の話で、真剣に、そして、楽しそうに意見を交わす姿。それは、正臣が、今まで一度も見たことのない、息子の幸せそうな姿だった。
後日、紬は、正臣会長から、直々に、会長室に呼び出された。
緊張で身を固くする紬に、正臣は、以前のような冷たい態度ではなく、どこか不器用な、穏やかな口調で、話し始めた。
「……蓮は、お前と出会って、変わった」
「え…?」
「あいつが、あんな顔で、笑うようになったのは…君のおかげ、なのかもしれんな」
そして、彼は、窓の外に視線を向けながら、ぽつりと、しかし、はっきりと、こう言った。
「息子のことを、よろしく頼む」
それは、遠回しで、ぶっきらぼうな物言いだった。しかし、紬には、それが、彼なりの、最大限の、結婚の許可の言葉だと、はっきりと分かった。
「……はい! こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
紬が、満面の笑みで、深く頭を下げると、正臣は、少しだけ照れくさそうに、ふいと顔をそむけた。
一番大きな、そして、一番乗り越えるのが難しいと思っていた壁。その壁を、二人の力で、ついに乗り越えたのだ。
会長室を出た紬を、蓮が心配そうな顔で待っていた。
「父とは、何を?」
「蓮さん。お義父様が、あなたのことを、よろしくって」
紬が、いたずらっぽく笑ってそう言うと、蓮は、一瞬、驚いたように目を見開いた後、全てを悟ったように、優しい笑顔を浮かべた。
「…そうか。君なら、絶対に、父を認めさせることができると、信じていたよ」
そう言って、彼は、愛おしそうに、紬を強く、強く抱きしめた。
二人の前には、もう、何の障害もなかった。輝かしい未来へと続く、大きな扉が、今、ゆっくりと、開かれようとしていた。




